輪子の競輪日記

2018年07月25日 13時05分39秒 | 未来予測研究会の掲示板
輪子は初めて福井競輪場へ行く。
福井は輪子の祖父の故郷であり、父が語った小浜湾を見たいと思ったから。
大ファンの「ワッキー」を声援する目的が一番の福井行き。
福井競輪
400mを使用している。
日本競輪学校の400mバンクをモデルにして造られているため、選手の間ではクセの少ない走りやすいバンクと言われている。
ただし、直線が比較的短いため、先行タイプの選手がやや有利とされている。
輪子は、データをネットで検索して「ワッキー」に合う競輪場であると確信した。
やはり地元のワッキー人気は絶大。
外の熱気は高まるばかり。
無論、冷房で涼しい特別観覧席を選択。
車券を買うのは後半の3レースのみ。
輪子はその自らの規範を崩さない。
11レースは地元の野原 雅也(福井103期)が先行する展開。
本命は9-1-7のラインである。
1-7-9を1000円買う。
車券を買った後から、輪子は本命の隣を思い付く。
1-7-8の車券である。
別線は3-5-8のライン。
競輪ファンの大半は、2番手は有利でも3番手は不利という原則のようなものが頭に刷り込まれている。
このため、3番手の選手が車券に絡むと、しばしば穴となる。
「幸運の女神は隣に」輪子は想った。
「1-7-9の本命で決まるとしたら、皆がハッピー。でも、競輪は違うのでは?」
地元の野原 雅也選手(福井103期)が先行するので、1-7は有り得る。
多くの競輪ファンの常識(期待)。
2車単の1-7は320円の1番人気。
では3着は?
輪子は9番(野原選手)の隣の8番北村信明選手(徳島93期)に注目した。
3-5-8ラインの3番手、ほとんど注目されていない。
しかも、先行する3番の北津留 翼選手(福岡90期)は不調と見られていた。
でも、決勝戦に進んだもである。
北津留選手が目いっぱい頑張れば、3-5-8ラインの誰かが3着に絡むはず。
輪子は1-7-9の隣の8番を300円押さえた。
1-7-8の配当は、何と2万5720円(54番人気)!
1-7の車単が320円(1番人気)
2車単と3連単の大きな開きに改めて、輪子は驚く。
「幸運の女神は隣で微笑んでいるのね」と解釈。
そして、ワッキーの12レース
福井競輪開設記念「不死鳥杯」
まさか、脇本選手と中川がラインを組むとは思いも寄らなかった。
1着脇本 雄太選手(福井94期)
2着中川 誠一郎(熊本85期)
輪子は3-1の1番人280円を確信して、1万円を投じる。
福井県まで来なければ、こんな車券買いはしなかった。
「競輪大好き人間の父親の血なのだろうか」と輪子は自らを怪しむ。
「本命でも1000以上は」買わない輪子は自らの鉄則を初めて破る。

いつかは実現しないもの

2018年07月25日 11時39分28秒 | 未来予測研究会の掲示板
輪子の祖父は福井県出身である。
作家水上勉と同じ福井県大飯郡本郷村に生まれている。
だが、祖母の故郷の富山県高岡に行ったことがあるが、福井県には一度も行っていない。
祖父は大東亜戦争の時にビルマで戦死している。
祖父の子どもたちは戦後、地元福井ではなく、京都や富山に移り住む。
輪子は父から福井県大飯郡本郷村のことを聞かされていた。
「小浜湾で、親父に水泳を習ったんだ」
「どんな海なの?」
「それは、きれいな海だ。輪子行くか」
「行きたいな」
「いつかな」
皮肉なもので、いつかは実現しないもの。

小浜湾(おばまわん)は、福井県小浜市およびおおい町に面する湾で、若狭湾の支湾。
東側に突出する内外海半島小浜市松ヶ崎から西部に突出する大島半島おおい町鋸崎にて、若狭湾と区切られる。若狭湾国定公園の一部。

歴史
日本海側の天然の良港として古くから朝鮮半島との交易があり、渡来した仏像等が残る。
応永15年1408年 6月20日に、室町幕府の将軍足利義持へ象やインコなど献上品を積んで、南蛮船が小浜に渡来し、文献や仏画に残されている。
また象を繋いだと言われる石が西津地区に存在する。
湾内で取れた魚介類は干物や焼き物に一旦加工し、鯖街道を通じ京都に運ばれ「若狭ぐじ」をはじめ「若狭かれい」等の名で名産品となり「御食国」の一角を担った。
また北前船の停泊地でもあった。
1978年7月7~8日に北朝鮮によるアベック拉致事件が湾内の小浜公園付近で起きている。

「ワッキー?」

2018年07月25日 11時03分02秒 | 未来予測研究会の掲示板
輪子が脇本雄太選手(福井94期)の大ファンになったのは、昨年の全日本選抜競輪の時であった。
取手競輪場の第一コーナーに、地元取手選手応援コーナーがある。
取手競輪場で初めて開催されたG1であり、多くの競輪ファンが場内を埋め尽くし、寒い2月であったが競輪場は熱い声援に包まれていた。
その中で、「ワッキー」と声援を送る3人の女性ファンがいた。
「ワッキー?」輪子は初めて聞く愛称に注目した。
「誰だろう」輪子は手にしたスポーツ新聞の出走表に目を転じた。
「脇本、先行しろ」と男性ファンが叫ぶので、輪子は「ワッキーは脇本なのね」と注目した。
発走直前の独特なアクションの主こそ、声援が送られていた脇本雄太選手であった。
脇本選手は1着ではなかったが、見せ場をつくった。
そして、敗れても温かい声援が送られていた。
「次は頑張って!」
輪子は脇本選手に一途さを感じていた。
中学、高校まで陸上の短距離選手であった輪子は先行選手が好きでもあった。

第32回読売新聞社杯全日本選抜競輪(G1)は、2017年2月16日から19日まで、取手競輪場で行われた。
優勝賞金は3000万円。
平成28年熊本地震被災地支援競輪として開催。

「リスク計算」

2018年07月25日 06時17分33秒 | 沼田利根の言いたい放題
「リスク計算」とは、沼田利根が思いに至った人生の分岐点である。
計算高い人はとかく嫌われる。
しばしば自己中心的であり、他人をかえり見ない。
であるが、人生の途次に「リスク計算」の弱さを人は露呈するのもだ。
貰った賄賂は500万円。
年収1500万円であったのに、収賄罪で御用となる。
定年まで5年あり、次の天下り先も用意されていたはず。
「おいしい」と貰った500万円のために、失ったのはお金ばかりではなく、名誉でもあった。
「犯罪はわりに合わない」そのとおり。
可愛い我が子が3人もいたのに、夫を殺す。
傍目に見ても、優しい母親であった。
「自分が殺人者になれば、残された我が子はどうなるのか?」
「リスク計算」ができなかったのだ。
無職、金が欲しい。
強盗や窃盗を思い付く、だが、殺した相手が所持していたお金はわずか1000円。
「カードの暗証番号を言え、言えば命は助かるぞ!」と脅す。
被害者はウソの暗証番号を教えた。
「暗証番号を教えても、教えなくても殺される」と考えたのである。
麻薬に手を出す。
アルコール依存より最悪である。
期待リターンとリスクの計算の問題。
心を埋める酒である。
心を埋める麻薬である。
どちらも選択できる。
「人間を止めますか? 麻薬を止めますか?」その問いかけは、リスク計算の本質をシビアに表現している。
高い金利のサラ金に手を出す。
これこそ、「リスク計算」の本質である。

医療界の中枢から町の在宅医

2018年07月24日 12時22分49秒 | 医科・歯科・介護
小堀鴎一郎さん
 個々の死を深く見つめて 往診の現場や患者の姿、著書に

毎日新聞2018年7月21日 東京朝刊

日本は「多死社会」に向かっている。国は在宅医療を推進し、終末期に際しても、医療や介護の多職種が連携するシステムが作られつつある。「人の死をマニュアル化しなければ、数がこなせない時代が来る」。そう憂う医師の小堀鴎一郎さん(80)は、著書『死を生きた人びと 訪問診療医と355人の患者』(みすず書房)で、死に向かう人々の最期の日々を記した。【三輪晴美】
異色の医師だ。
医療界の中枢で外科医として腕をふるい、国立の医療機関で院長まで勤め上げた後、民間病院に一医師として赴任。
日本は「多死社会」に向かっている。国は在宅医療を推進し、終末期に際しても、医療や介護の多職種が連携するシステムが作られつつある。「人の死をマニュアル化しなければ、数がこなせない時代が来る」。そう憂う医師の小堀鴎一郎さん(80)は、著書『死を生きた人びと 訪問診療医と355人の患者』(みすず書房)で、死に向かう人々の最期の日々を記した。【三輪晴美】

異色の医師だ。医療界の中枢で外科医として腕をふるい、国立の医療機関で院長まで勤め上げた後、民間病院に一医師として赴任。通常なら名誉職などに就いて悠々と過ごすところだ。

 「手術がしたくて現場にとどまり、成り行きで患者宅を訪問することになった。そこで初めて、自分が個々の人に魅力を感じることに気づきました」

 本に登場する患者は、それぞれの事情を抱えている。ささやかな願いをかなえて逝く人もいれば、死を自分のことと思えず不本意な最期を迎える人も多い。どんなケースでも、小堀さんの筆致は冷静で、主観で対象を評することがない。

 例えば93歳の女性。外見にハンディキャップを持つ娘に介護されながらの暮らしは、最期まで平穏で、母娘とも延命のための医療は望まなかった。小堀さんはある日、娘と娘を育てた本人に対する賛辞を伝えたが、いつもは礼儀正しい女性の表情は硬いままで、その日は最後まで言葉を発しなかった。その様子が淡々と描かれる。「分からないですから。ハンディを負った娘を残して死にゆく女性が、私の言葉に慰められたのか傷ついたのか。それを主観で判断するのは医者の傲慢です」。かくして「普遍的という言葉が介入する余地のない『死』」のさまざまな情景が浮かび上がる。

 祖父は、同じく医師でもあった文豪、森鴎外。影響について問うと「自分では分からない」と笑う。しかし、「母(随筆家の小堀杏奴(あんぬ))の本棚には、鴎外やその崇拝者たちの本が並び、それらを子どもの頃からむさぼり読んでいました」。

 鴎外は、晩年ものした史伝の数々で、名もなき人々の姿までを丹念に描いた。その主観を排した記述は、小堀さんが患者を描く文体に通じる。医師人生の終盤で、祖父よろしく名もなき人々の生を見つめ、その姿をとどめたのは、単なる偶然ではないだろう。

 本書では、患者の記録の合間に死や病をめぐる先人たちの文章を引き、データに基づく医療の現場を織り込んだ。「事実の断片をコラージュのように貼り合わせた」が、その集積が響き合い、読者の胸に迫るのは、確かな筆力と死者への深い思いゆえではないか。

 今も週3日、自ら車を運転して往診に回る。患者の死に共に向き合い、できれば最後の望みがかなうようにしたい。そのような医療は、これからの社会では「見果てぬ夢」ではないか。「どうすべきかを提示したわけではない。ただ事実を知って考えてもらいたいのです」
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■人物略歴

こぼり・おういちろう
1938年、東京生まれ。東京大医学部卒。東大病院と国立国際医療研究センターに約40年間勤務の後、埼玉県新座市の堀ノ内病院に赴任。訪問診療医として多くの患者のみとりに関わる。

死を生きた人びと

2018年07月24日 12時03分18秒 | 医科・歯科・介護
訪問診療医と355人の患者

著者 小堀鷗一郎

[好評重版中まもなく出来]
これまでに355人の看取りに関わった訪問診療医が語る、患者たちのさまざまな死の記録。
現代日本では、患者の望む最期を実現することは非常に難しい。「死は敗北」とばかりにひたすら延命する医者。目前に迫る死期を認識しない親族や患者自身。そして、病院以外での死を「例外」とみなし、老いを「予防」しようとする行政と社会。さまざまな意図に絡めとられ、多くの高齢者が望まない最期に導かれていく。
「病院死が一般化するにつれ、自分や家族がいずれは死ぬという実感がなくなり、死はドラマや小説の中に出てくる出来事でしかなくなっていった」。
多くの人びとが死を忘れたことが、すべての根底にあると著者は考える。
しかし著者の患者たちは、日々の往診の際に著者と語り合ううちに、それぞれの最期のあり方を見いだしていく。8割が病院で死亡する現代日本において、著者の患者は、その7割が自宅での死を選んでいる。
「死は「普遍的」という言葉が介入する余地のない世界である」。
日本の終末医療が在宅診療・在宅看取りへと大きく舵を切りつつある今、必読の書。
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目次

はじめに

第1章 在宅医療の世界へ

第2章 在宅死のリアリティ――死者355名からのメッセージ
1 在宅医療と在宅死
2 在宅医療・在宅死の経済的側面
3 患者と家族にとっての在宅死
4 医師は在宅医療を知らない
5 介護関係者・行政・社会にとっての在宅死
6 常に慰める

沖縄戦 少年兵の「護郷隊」

2018年07月24日 10時50分22秒 | 社会・文化・政治・経済
日本軍史上初のゲリラ兵14~16歳の学徒

鉄血勤皇隊(てっけつきんのうたい)は、太平洋戦争末期の沖縄県において、防衛召集により動員された日本軍史上初の14~16歳の学徒による少年兵部隊である。
沖縄戦において正規部隊に併合され、実際に戦闘に参加し多くの戦死者を出した。
沖縄戦では、憲法違反の疑いもあるこれらの陸軍省令(改正規則)を根拠として、「事実上の強制」すらあった手続きにより、1945年3月に第32軍の命令で、防衛召集された旧制中学生ら1780人による鉄血勤皇隊が編成され、戦闘行為に動員されて、約半数が戦死した。
鉄血勤皇隊は、不十分な装備のまま任務を遂行せざるをえなかった。
具体的には陣地構築、伝令や通信、さらに戦車への斬り込み攻撃を命じられた者もいた。
戦車への斬り込み攻撃とは、木箱に10キロの黄色火薬を入れた「急造爆雷」を背負って戦車に体当たりして爆破するのである。
装甲の厚い戦車車体ではなく、キャタピラの切断を狙って、轢かれるようにして爆死する。
そのためには体が小さいほうが潜り込み易いとの理由をつけて、鉄血勤皇隊の少年達が多く斬り込みを命じられた。
伝令も、同文書を複数人に持たせ、そのうち1人がたどり着けばよいという状態であった。
末期になると、直接軍組織に編入されていた彼らの中には、大人の兵士と同様に戦陣訓を使って捕虜にならないように命令され自決したものもいた。
合計 1780人 死亡者890人 死亡率50.0%
出典:『歩く・みる・考える沖縄』より

「ありえた日本」という視点

2018年07月24日 10時28分49秒 | 社会・文化・政治・経済
ノンフィクション作家・保坂正康さんの「明治維新150年の問い」
「ありえた日本」という視点
毎日新聞連載「昭和史のかたち」になるほど、と教えられ、考えさせられるものがあった。
歴史にイフを持ち込むのはおかしい、という意見もあるが、現実の歴史と「ありえた歴史」を考察してみることに、それなりの意味がある。
日本は選択次第で、別の国家になっていた可能性があるからだ。
保坂さんは、江戸時代の幕藩体制は連邦制国家だと思う、と記している。
幕府に代わる中央政府は、有力藩の30から40をアメリカと同様の州とし、連邦制国家を作るべきだったと思う。
何しろ江戸時代は270年近くただの1回も対外戦争を行っていない。
武術を人間錬磨の手段に変えた。
そのために、抑制された文化や規範がこの国の中心軸となった。
それを生かしての近代国家像が成り立ったのえはないか。
つまり明治新政府が地方政権を尊重して連邦制をとれば、日本の歴史はもう少し現実とは異なったものになり得たのであろう。
「ありえた近代日本」、この視点を大切にしたい、と保坂さんは記している。
欧米をモデルして実現した明治帝国主義は、対外戦争をも目指したのである。

帝国主義国家

2018年07月24日 10時01分47秒 | 社会・文化・政治・経済
日本帝国主義(略称: 日帝)とは、日本における帝国主義を指す用語。
一般的には明治から第二次世界大戦終結までの、いわゆる「大日本帝国」における植民地主義、覇権主義、膨張主義、軍国主義などを指す場合が多いが、それ以外の時代も含めて批判的に使われる場合もある。
また特に社会主義や共産主義の立場からは、日本における帝国主義論の用語としても使われている。
日本は明治維新後、西欧列強に追いつくために、強引な西欧化から近代化を行い、富国強兵・殖産興業を押し進め、西欧列強の植民地政策に追随した帝国主義諸政策を推進していった。
その結果として、日清戦争・日露戦争・韓国併合・第一次世界大戦などを通じて、大陸進出を着実に進展させ、台湾・朝鮮・関東州・南洋群島などを「外地」として支配して領土を増やした。
併合した朝鮮・台湾の同化政策や、満州事変・日中戦争(支那事変)・太平洋戦争勃発などに前後して、大東亜共栄圏や八紘一宇を掲げて皇民化教育を行った。
これらの日本統治時代は、大韓民国などでは「日帝時代」とも呼ばれている。

帝国主義(英語: imperialism)とは、一つの国家が、自国の民族主義、文化、宗教、経済体系などを拡大するため、あるいは新たな領土や天然資源などを獲得するために、軍事力を背景に他の民族や国家を積極的に侵略し、さらにそれを推し進めようとする思想や政策。
帝国主義の観点から列強を「帝国主義国」とみなして、その国家の政体にはかかわらず「帝国」と呼ぶ例には、スペイン帝国、ポルトガル海上帝国、オランダ海上帝国、デンマーク海上帝国、ロシア帝国、イギリス帝国、フランス植民地帝国、ベルギー植民地帝国、ドイツ植民地帝国、イタリア植民地帝国、アメリカ帝国、更には社会主義国に対する社会帝国主義などがある。
帝国主義は他者を支配する事を積極的に肯定する思想によって正当化された。

マリア・ルス号の清国奴隷

2018年07月24日 09時54分15秒 | 社会・文化・政治・経済
1872年7月9日、清(中国)の壕鏡(マカオ)から南米西岸のペルーに向かっていたペルー船籍のマリア・ルス(Maria Luz マリア・ルーズ、マリア・ルースと表記する書籍もありが、航海中の悪天候から帆先を破損、横浜港にこの修理のために入港した。
同船には清国人(中国人)苦力231名が乗船していたが、過酷な待遇から逃れるために木麗(モクヒン)をはじめとする数人の清国人が監視の目を欺いて海中へ逃亡し、イギリス軍艦(アイアンデューク号)に救助を求めた。
イギリスはマリア・ルスを「奴隷運搬船」と判断し、イギリス在日公使は日本政府に対し清国人救助を要請した。

当時の外務卿(外務大臣)副島種臣は、神奈川県権令(県副知事)大江卓に清国人救助を命じた。
日本とペルーの間では当時二国間条約が締結されていなかったため、政府内には国際紛争をペルーとの間で引き起こすと国際関係上不利であるとの意見もあったが、副島は人道主義と日本の主権独立を主張した。

日本の安全感の低下

2018年07月23日 12時33分42秒 | 沼田利根の言いたい放題
社会モラル問題。
安全であるべき、新幹線で続く事件や異常について、中西寛京都大学教授が指摘しているとおり、それは「文明のきしみ」であろうか。
医療機関でも、異常とも思われる事件がある。
「文明のきしみ」は人間のきしみであるのではないか。
「平和に過ごす人々に対して理不尽な暴力が振るわれるのは象徴的」と中西教授は指摘する。
「あるべきよう」は人間の本来のあるべき姿であるはずだが、看護師が入院患者を死に至らしめる。
介護施設や擁護施設での社会的弱者への暴力や殺人。
学校も安全ではない。
児童を身守る立場の保護者がワイセツ行為の挙句に殺してしまう。
これまでに考えられないことが起きている。
社会からの疎外感を抱き、自暴自棄となった人物が起こす無差別の暴力行為。
「誰でもよかった」と容疑者は言う。
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北條泰時に影響を与えた明恵上人
北条 泰時(ほうじょう やすとき)は、鎌倉時代前期の武将。鎌倉幕府第2代執権・北条義時の長男。
鎌倉幕府第3代執権(在職:貞応3年(1224年) - 仁治3年6月15日(1242年7月14日))。
鎌倉幕府北条家の中興の祖として、御成敗式目を制定した人物で有名である。
明恵上人「あるべきよう」人間の本来あるべき姿を説いた。

小さな詐欺師(麻原)をどんどん大きくしてしまった

2018年07月23日 06時32分05秒 | 医科・歯科・介護
オウム事件の95%は麻原個人の犯罪

毎日新聞の読者から「オウム真理教という宗教団体に子供が入って帰ってこない」という訴えがった。
教団は「極限のお布施」を求め親の遺産も全部差し出せと説き、教祖の血を100万円で飲ませていた。
でも、警察に相談すると「信教の自由だから」と。
サンデー毎日でオウム真理教を告発した。
タブーに挑戦したのだ。
記事連載後、取材に協力した坂本堤弁護士一家が居なくなった。
取材した牧太郎さん自身もオウムから狙われた。
抗議にきた麻原(松本智津夫元死刑囚)に「高いお布施は行き過ぎでは」と聞くと「地獄に落ちるぞ」と凄い形相になった。
自宅近くに「でっちあげはやめろ」とビラを張られた。
そして11月、坂本さん一家が居なくなった。
裁判ではサンデー毎日の牧さんを狙っていて方向転換したという話が出た。
1995年に地下鉄事件が発生。
再びサンデー毎日は教団と対峙する。
「オウム事件の95%は麻原個人の犯罪だと思う。宗教の名の下での詐欺行為は以前からあり、それをメディアや警察が放置し、麻原が身につけ集大成した。ただ警察が早く坂本事件を解明していれば、後の事件はなかったのではないか。さらに麻原はテレビに出たことで勢いづいたのではないか。そう考えると、世の中が小さな詐欺師をどんどん大きくしてしまったと思えるのです」と牧さんは指摘する。

 カジノ法案の問題点は?

2018年07月23日 04時35分51秒 | 社会・文化・政治・経済
カジノ解禁の問題点の一つはマフィアやテロ組織上陸の可能性 -
NEWSポストセブン カジノの合法化を進める「統合型リゾート(IR)整備推進法案」が、
昨年末衆議院で可決。いよいよ、カジノ解禁に現実味が帯びてきた。
しかし、そこには、いろいろな課題が残されている。
たとえば治安の問題もそのひとつ。
政府が週内の成立を目指すカジノを含む統合型リゾート(IR)実施法案。
成立すれば、日本で初めて民間事業者が「賭博」を運営できるようになる。
建設や運営で多額の金が動くだけに、暴力団などの反社会的勢力を完全に排除できるか、大きな課題の一つだ。

国民の7割が反対するカジノ法案

2018年07月23日 04時25分38秒 | 社会・文化・政治・経済
18時間の審議で強行採決

2018年6月15日 - 2016年12月に共同通信社が実施した全国電話世論調査では反対が69.6%に上り、 2018年4月の朝日新聞の世論調査でも71%が今国会で成立させるべきではないと回答するなど、時間が経っても日本国民にまったく支持の広まらないカジノ ...

参院6増、5割が反対=カジノ法案は6割-時事世論調査:時事ドットコム

2018年7月13日
自民の参院選改革案の問題点 支持政党別では、自民党支持層でも「反対」が45.0%にのぼり、「賛成」は32.3%にとどまった。公明党支持層も「反対」と「賛成」が34.8%で拮抗(きっこう)したほか、反対と回答したのは、立憲民主党支持層で70.7 %、国民民主党支持層で62.5%だった。 ... 一方、カジノを中核とする統合型リゾート( IR)実施法案への賛否を聞いたところ、「賛成」22.1%、「反対」61.7%、