誤った思想を打ち砕き、「生命尊厳」「人間尊敬」の哲理を広めてゆくために、民衆救済の大言論闘争に立った日蓮大聖人は、1260年(文応元年)7月16日、時の最高権力者である北條時頼に、<諫暁の書・立正安国論>を提出した。
「立正」とは、一人の人間を最大に尊重する仏法の生命哲理を、人々の胸中に打ち立てることだ。
「安国」とは、社会の繁栄を平和を築くことだ。
つまり、正法を持つ一人が、社会の安定を祈り、行動することで、自他共の幸福が輝く社会建設していくことできるとの原理だ。
対話が人心を変革する。
そして、心の変革を遂げた人間の連帯こそが「立正安国」実現への方途である。
これが日蓮大聖人の確信であった。
客(北條時頼)と主人(日蓮大聖人)との十問九答の問答形式で展開されている。
主人は、文証と道理を尽くして、誠実に粘り強く、かつ鋭く核心をついた言葉で対話を続けた末、客は心を改め、法華経の信仰を実践、語り広げていくことを決意する。
立ち上がった一人の民衆が、民衆を救い、社会を変革していく。
この「立正安国」の原理こそ、日蓮大聖人の仏法の魂である。
「立正安国」とは、即「世界平和」である。
どこまでも悩める人に寄り添い、一人の人間に内在する生命力を信じる。
なぜ、日本は戦争に突入したのか?
当時の軍国主義、生命軽視の誤った思想に日本全体が気付いていなかったからである。
・思想・宗教・言論を統制・弾圧し、天皇制まで捻じ曲げた「12歳の少年」のような未熟な国であったのである。
さらに、治安維持法は悪法の元凶であった。
戦後は過去の日本を謙虚に反省し、断固として決別したことを宣言し、出発点にしたはずであるが、憲法改正を命題する内閣が誕生した。
憲法改正は元来<内閣の命題>ではなく、あくまでも<国民の命題>である。
内閣の命題としたところに思いあがりがある。
希望の哲学、励ましの心理学、日蓮は万般に精通した人生の教師であった。