ひとはなぜ戦争をするのか

2022年12月23日 11時48分43秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 
1932年、国際連盟がアインシュタインに依頼した。「今の文明においてもっとも大事だと思われる事柄を、いちばん意見を交換したい相手と書簡を交わしてください。」選んだ相手はフロイト、テーマは「戦争」だった――。
宇宙と心、二つの闇に理を見出した二人が、戦争と平和、そして人間の本性について真摯に語り合う。
 
養老孟司氏・斎藤環氏による書きおろし解説も収録。

【原本: 『ヒトはなぜ戦争をするのか』(花風社、2000年)】

目次
フロイトへの手紙――A・アインシュタイン
アインシュタインへの手紙――S・フロイト
解説1 ヒトと戦争――養老孟司
解説2 私たちの「文化」が戦争を抑止する――斎藤環
 

内容(「BOOK」データベースより)

一九三二年、国際連盟がアインシュタインに依頼した。「今の文明においてもっとも大事だと思われる事柄を、いちばん意見を交換したい相手と書簡を交わしてください」。選んだ相手はフロイト、テーマは「戦争」だった―。宇宙と心、二つの闇に理を見出した二人が、人間の本性について真摯に語り合う。ひとは戦争をなくせるのか?

著者について

アインシュタイン,アルバート
Albert Einstein. 1879‐1955年。南ドイツのウルムに生まれる。両親はユダヤ系ドイツ人。スイス特許局技官として勤務する傍ら研究を続け、1905年に特殊相対性理論、1916年には一般相対性理論を発表。人々の宇宙観を変え、現代物理学を大きく動かした。1921年、ノーベル物理学賞受賞。1933年、ナチスの脅威により米国に亡命。「統一場理論」の構築に取り組むが、未完のままプリンストンにて死去。

フロイト,ジグムント
Sigmund Freud. 1856‐1939年。東欧のモラビアにユダヤ商人の長男として生まれる。3歳のときウィーンに移住。ウィーン大学で学位を取得後、パリへ留学。開業医として神経症の治療を行ないながら、精神分析の理論を構築。伝統的な人間観を揺さぶる革新的なこの理論は、精神医学という分野を超えて大きな影響を与えた。1938年、ナチスのオーストリア侵攻から逃れロンドンに亡命。

浅見 昇吾
上智大学ドイツ語学部教授。哲学、倫理学。

養老 孟司
1937年神奈川県生まれ。東京大学医学部卒業後、解剖学教室へ入る。1995年東京大学医学部教授を退官。現在、同名誉教授。

斎藤 環
1961年岩手県生まれ。医学博士。筑波大学医学医療系社会精神保健学教授。専門は思春期・青年期の精神病理学、病跡学など。
 
「文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩みだすことができる」フロイト
 
 
 
同時代を生きた天才二人の書簡です。わくわく感が止まりません。
「ひとはなぜ戦争をするのか」を知識人に問えば、科学者は科学者なりの、哲学者は哲学者なりの、文学者は文学者なりの、宗教家は宗教家なりの、芸術家は芸術家なりの答えがあると思います。
お二人とも人類史に名を残す偉大な科学者ですので、さすがに理論的だなあと思います。
二人ともユダヤ系のため、この後ナチスドイツによるホロコーストのためそれぞれ米英への亡命を余儀なくされます。
自らもそういった時代の中にあり、身近に危険を感じながらの思索であり、現代人のような安全な場所からの考証とは違います。
国際連盟から依頼を受けたアインシュタインが戦争をテーマに選び、相手にフロイトを選びます。
戦争をやめられない原因が人間の心にあるのではと考えたためです。これが慧眼でした。
これに対してフロイトは、人間の心には破壊欲動があること、文化の発展により解決されていくであろうことを述べていく過程はスリリングです。
また、各国家が主権の一部を譲渡することで超国家的機関を作り、大きな権限を持たせることが必要との共通見解が導かれます。
現代でいうと国際連合がそれにあたるのでしょうが、ウクライナを見ての通り残念ながら戦争を抑止するまでには至りません。
戦争をさせないために特化した機関が必要なのかもしれません。
 
 
アインシュタインの問いかけに対し、フロイトは人間個人に潜む心理を戦争の原因だと返していますが、
それだけでは説明が付かないように思います。
確かに心理的に戦争へ向かい易い傾向はあるでしょうが、
政治的な要因(指導者や大衆の考え方)や民族的な要因(不寛容さや他民族への敵意)、経済的な要因
(貧困や窮乏)なども合わせて考えないと戦争へ向かうプロセスを説明出来ません。

フロイトは自信の精神分析学を踏まえ最大限誠実な返答をしたのだと思いますが、疑問は解決されて
いないと感じました。ただアインシュタインが提案している世界政府への権力譲渡やフロイトの文化
を高めていけば戦争に対する抗力になる、と言う点には同意します。

兎も角戦争の無い平和な世界を望みます。
とは言え平和を唱えていれば良いとは思えません。戦争へ
向かう過程で必ず現れるアジテーターに惑わされないよう、憎悪や不寛容をグッと堪えたいと思い
ます。同時に残念なことではありますが、現実的な抑止力についても熟慮が必要でしょう。それらを
含めて考える切っ掛けになる本ではありました。

なお巻末にある解説は視点が狭すぎます。戦争の話をしているのに局所的な紛争やテロのことばかり
述べています。
テロが戦争に発展することもありますが、いきなり大規模戦闘が勃発することもある
ので、適切な解説とは感じませんでした。
 
 

 

 
 
 
 
 
 
 

ジョー・ブラックをよろしく

2022年12月23日 11時24分26秒 | 新聞を読もう

12月21日午前2時15分からCSテレビのザ・シネマで観た。 これで2度目である。

1998年-181分-ファンタジー/ロマンス

基本情報解説・あらすじ

ブラッド・ピットが地上に降り立ち人間の女性との恋に落ちる死神に扮したロマンティックなファンタジー。

事故死した青年の姿を借りて、一人の死神がマンハッタンに現れた。

ジョー・ブラックと名乗るその人物は大富豪パリッシュの元を訪れる。

彼の死期が近いためであった。だがパリッシュが天命を全うするまでにはまだ少しの時間が残されている。

ジョー・ブラックをよろしく

死神ことジョー・ブラックはそれまでの短い間を休暇とし、パリッシュの案内で人間界の見学を始めた。しかしパリッシュの娘スーザンはジョーの姿に驚く。

彼の姿は先日出会った魅力的な男性その人であったのだ。そしてジョーもスーザンの好意を気にかけるようになっていく……。

ジョー・ブラックをよろしく
 

1998年のマーティン・ブレスト監督作品、出演はブラッド・ピット、アンソニー・ホプキンス、クレア・フォーラニ、ジェイク・ウェバー。

若かりし頃のブラッド・ピットが、ひたすらに格好く神の領域に達してしまっている。そして、クレア・フォーラニも対抗出来る位に相当、美しい。

加えて、大御所俳優アンソニー・ホプキンスが老獪で素晴らしい演技だった。 序盤のコーヒーショップでの出逢いとその別れ際からのショッキングな死の掴みが素晴らしく、三時間という時間があっと言う間であった。

恋愛、父娘の愛情、会社の経営とバランス良く丁寧に描かれた脚本・演出には脱帽である。

貫かれるのは愛がなければ人生に意味がないということ。ラストの終わり方も最高だった。大好きな作品のひとつです。

画像1

 

神々しい美しさのクレアフォーラニ

ブラッドピット扮する死に神は、アンソニーホプキンス扮するビルのところへ休暇でやって来たが、クレアフォーラニ扮する娘スーザンと愛する仲になってしまった。


何とも不思議な話だったね。死に神と来れば、ブラッドピットよりアンソニーホプキンスの方がイメージに合うのだが、そうであればスーザンとは恋仲にはなれないな。

クレアフォーラニが、医師らしい神々しい美しさを魅せて全体を盛り上げてくれたね。貫禄満点のアンソニーホプキンスもさすがに素晴らしかったし、ブラッドピットも若干戸惑う死に神としてスーザンとからむシーンはとても良かったよ。

 

ゴッドファーザーはパーティーで始まるがこの映画はパーティーで終わった。What a Wonderful Worldの音楽と共に。

オフィスへ飛ぶヘリの中で娘のスーザンに語るホプキンスの言葉はどれも美しく愛と輝きに満ちた人生と詩そのものだった。それがスーザンの心に深く残った。ブラピ死神を呼んだのも彼の美しい言葉なんだろう。それだけ言葉が大切な映画だから知的でエレガントなホプキンスはまさに適役だった。妻となる女性に初めて出会った時の彼女の装いも正確に言葉で表現できる。面白くてピリッとした言葉も沢山あった、「死と税金からは逃れられない」のように。「PLAN75」のようでなく、娘達に心からの愛情と感謝を告げ美しい花火のもと、怖がることはないと言ってくれるブラピのような人にいざなわれて死ねたらどんなにいいだろう。

コーヒーショップでのブラピと死神ブラピは全く異なっていて上ピーナッツバターのスプーンを口に咥えたり、ネクタイを結べなくてグチャグチャになったり。

ブラピは美しい。この時のブラピ・イメージに拘泥せず解放されて素敵に年をとっていることが嬉しい。女優もそれが難しくないようになればと思う。

 

今までタイトルだけで拒絶反応をして観てこなかったが、期待を見事に裏切って満足出来た作品。ブラッドピッドもカッコよく良かったが、それにも増してアンソニーホプキンスが地位と名誉を手に入れたにも関わらず家族、仕事共に誠実に生き、最後は死を素直に受け容れる姿が眩しかった。

最後も清々しくも寂しく終わるとと思いきや死神(ジョーブラック)、と父(ボブ)が永遠の道から2人の想いを成熟させた形で娘の元に本来の魂と生還させパーティー&花火映像と共にハッピーな気分となる。
散りばめられた言葉と関連付けられたストーリー展開も上手く仕立てられていてGood!!

 
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利根輪太郎の競輪人間学 ハイリスク・ハイリターン

2022年12月23日 09時04分55秒 | 未来予測研究会の掲示板

ハイリスク・ハイリターン:損失する危険が大きいが、うまく行けば利益も大きいこと。

GⅢ 伊東競輪 椿賞争奪戦

初日(12月22日)

12レース

並び予想 6-3-9 1-5 2-4 7(単騎)8(単騎)

レース評

渡辺に前を任せた深谷が番手から白星発進。小原がマーク対抗。山崎のスピードなら本線撃破も可能。中本との九州独占も。

1番人気 3-9(2.4倍)

我孫子の勝負師は、12レースだけで3-9で勝負して負けて帰る。

利根輪太郎は11レースを見送って、12レースに集中する。

11レースの5番中野 慎詞選手の軸は硬いと思ったが、ラインの5-3(1.4倍)に迷ったのだ。

結果は5-9-1となる。

ベテランの3番伏見 俊昭選手が伸びきれなかったのだ。5番の番手なのに4着になる。

11レースを見て、12レースも固く収まらないと考えた。

この日は、2車単が3レース、5レース、6レース、7レース、8レース、9レースが1番人気。

10レースは2番人気で決着する。

11レースが1番人気か2番人気で収まったとしたら、12レースも硬いと思っただろう。

6番の番手に格上の深谷 知広選手である。

6番が失速したら番手から3番の深谷 選手が抜け出さすだろう。

だが、その後ろの9番はどうなのか?

2着は分からないと思った。

それなら、動ける単騎の8番野原 雅也選手や7番の小松崎 大地選手の2着もあると考えた。

特に9番の隣の8番は、出目作戦上押さえねば!

本命の隣を買え=3-9 ➡ 3-8の図式である。

だが、地元選手の本命ラインを外すのはリスクが大きい。

しかも、2番山崎 賢人選手も軽視できない。

結局 3-2 3-7 3-8の2車単各1000円勝負とした。

結果が3-9なら仕方がないと思ったのだ。

1番人気を車券上で軽視する方針するので、この日は、7レース、8レース、9レースを落とし、やっと10レースが的中。

9-2-1 2,600円(6人気)を200円。

車券が外れ続けて200円しか買えなかったのだ。

これではダメだと、頭を切り変える。

いわゆるハイリスク・ハイリターンである。

最低でも500円、否!1000円だ!と。

結果

3-8 2,650円(8番人気)

3-8-4 2万6,510円(78番人気)

 




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 3 深谷 知広   9.7   死守し直伸
  2 8 野原 雅也 1車輪 10.4 B 単騎カマシ
3 4 中本 匠栄 1/2車身 9.6   S 位置取切る
  4 5 諸橋 愛 1/4車輪 9.4     コース探し
5 6 渡邉 雄太 3/4車身 10.0     叩れ第2先
  6 1 宿口 陽一 1車輪 9.7     捌き捲るも
7 7 小松崎 大地 2車身 9.5     位置取合い
× 8 2 山崎 賢人 1車身1/2 10.1     飛付き競負
9 9 小原 太樹 2車身 9.8     もつれ浮き

 


利根輪太郎の競輪人間学 ハイリスク・ハイリターン

2022年12月23日 09時04分55秒 | 未来予測研究会の掲示板

ハイリスク・ハイリターン:損失する危険が大きいが、うまく行けば利益も大きいこと。

GⅢ 伊東競輪 椿賞争奪戦

初日(12月22日)

12レース

並び予想 6-3-9 1-5 2-4 7(単騎)8(単騎)

レース評

渡辺に前を任せた深谷が番手から白星発進。小原がマーク対抗。山崎のスピードなら本線撃破も可能。中本との九州独占も。

 

1番人気 3-9(2.4倍)

我孫子の勝負師は、12レースだけで勝負して負けて帰る。

利根輪太郎は11レースを見送って、12レースに集中する。

11レースの5番中野 慎詞選手の軸は硬いと思ったが、ラインの5-3(1.4倍)に迷ったのだ。

結果は5-9-1となる。

ベテランの

 

結果

3-8 2,650円(8番人気)

3-8-4 2万6,510円(78番人気)

 




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 3 深谷 知広   9.7   死守し直伸
  2 8 野原 雅也 1車輪 10.4 B 単騎カマシ
3 4 中本 匠栄 1/2車身 9.6   S 位置取切る
  4 5 諸橋 愛 1/4車輪 9.4     コース探し
5 6 渡邉 雄太 3/4車身 10.0     叩れ第2先
  6 1 宿口 陽一 1車輪 9.7     捌き捲るも
7 7 小松崎 大地 2車身 9.5     位置取合い
× 8 2 山崎 賢人 1車身1/2 10.1     飛付き競負
9 9 小原 太樹 2車身 9.8     もつれ浮き

 


人権侵害の<いじめ>問題と「子どもの権利条約」:守られる権利

2022年12月22日 12時09分42秒 | 社会・文化・政治・経済

人権は全ての人が生まれながらに持つ権利であり、そこにはなんの義務を課せられることではない。

普遍的人権に関する教育は、宗教的、民族的、文化的、国家的に少数派を含む社会の多様性への理解を促す。

そして、寛容、尊重、無差別を重んじる社会の構築につながり、人権侵害を防ぐことができる。

また、自分の人権を学び、他者の人権を尊重することを学んだ人は、問題や紛争が起きた時に、相手が誰であろうと平和的な解決策を模索する傾向が強まる。

つまり、人権教育を人生の早い時期に実施できれば、<いじめ>はじめ、さまざまな問題に対する体系的な予防措置としての役割を果たすことができる。

それは公正で平和で幸福な社会の確立に寄与するだろう。

今こそ、具体的な行動に移すことが肝要なのだ。

日本ユニセフ協会は、児童の権利条約の主な理念として「児童の最善の利益」「差別の禁止」を挙げ、児童の権利を4つに分類している。

  • 生きる権利 - すべての子どもの命が守られる権利
  • 育つ権利 - 教育や医療、生活への支援などを受ける権利
  • 守られる権利 - 暴力や搾取、有害な労働などから守られる権利
  • 参加する権利 - 意見を表現しそれが尊重される権利、自由に団体を作る権利
  • 前文:本条約の理念。
  • 第1条:児童の定義。
児童とは、18歳未満のすべての者をいう。ただし当該児童で、その者に適用される法律により早く成年に達したものを除く。
  • 第2条:児童およびその父母・保護者・家族の構成員に対する差別の禁止。
人種・皮膚の色・言語、性別、宗教・思想信条、社会的身分や財産、心身障害などによる差別的取り扱いを禁ずる。
  • 第3条:児童の最善の利益の保護。
締約国は児童の最善の利益のために行動しなければならないと定める。
  • 第4条~第5条:締約国の義務。
  • 第6条:子どもの生きる権利
すべての児童は生命に対する固有の権利を有し、締約国は児童の生存および発達を可能な最大限において確保する。
  • 第7条:氏名および国籍を得る権利、父母を知り父母から養育される権利。
  • 第8条:児童が法律で認められた国籍、氏名、家族関係を含むその身元関係事項を不法に奪われない権利。
  • 第9条:児童が父母の意思に反して父母から分離されない権利。
たとえ分離されていても実の両親 (parents) と関係を保つことを定める。
ただし児童虐待放置、両親の別居の場合など、児童の最善の利益のため、権限のある当局が司法の審査と法手続に従って必要と決定する場合はこの限りでない。
  • 第10条:第9条の児童の権利を守るための出入国に関する条項。
  • 第11条:児童の不法な国外への移送および国外から帰還できない事態の防止。
  • 第12条:児童の意見表明権。
児童は自らに影響を及ぼすすべての事項について、自由に自己の意見(原文:views、考察・考え)を表明する権利を有する。
自らに影響を及ぼす司法上・行政上の手続において、国内法の手続規則にのっとり聴取される機会を与えられる。
児童は表現の自由と、あらゆる情報や思想を求め、受け、伝える自由を持つ。
次の目的に限り法律による制限を課すことができる。他者の権利や信用の尊重、国の安全、公の秩序、公衆の健康、道徳の保護。
第13条と同様の制限、父母・保護者が児童の発達に応じた指示を与える権利と義務の尊重が付される。
締約国は、思想、良心及び宗教の自由についての児童の権利を尊重する。
児童に有益な書籍やマスメディアの普及、少数言語を用いる児童への配慮、有害な情報からの児童の保護。
  • 第18条:両親の責任と育児への支援。
父母(原文:both parents)の責任と、締約国の親への支援(ことに働く父母への支援)を定める。
  • 第19条:児童虐待、ネグレクト、児童の搾取児童性的虐待の防止と保護義務。
  • 第20条:家庭環境を奪われた児童、家庭環境が児童の最善の利益に反する児童への特別な保護と援助の義務。
  • 第21条:養子縁組における児童の最善の利益の確保。
  • 第22条:難民児童に対する保護と人道的援助。
  • 第23条:精神的・身体的障害を有する児童の尊厳、自立促進と社会参加、医療教育などの確保。
  • 第24条:児童の病気治療と健康増進の確保。そのための環境汚染の防止と公衆衛生の向上。
児童の健康を害するような伝統的な慣行の廃止を含む。
  • 第25条:身体または精神の保護・治療のため収容された児童の処遇状況に関する定期的な審査。
  • 第26条:児童が社会保障を受ける権利と、締約国が国内法に従いその措置をとる義務。
  • 第27条:身体的、精神的、道徳的及び社会的な発達のための相当な生活水準についての児童の権利。
  • 第28条:児童が教育を受ける権利とその機会の平等。
中途退学率の減少、非識字の廃絶、学校の規律を本条約と児童の人間の尊厳に適合させること。
  • 第29条:教育内容の向上。児童の発達、人権の尊重、多様性の尊重と自由な社会における責任。
  • 第30条:少数民族原住民の児童の言語・文化・宗教の尊重。
  • 第31条:児童の休息と余暇の権利、遊びとレクリエーション、文化的・芸術的活動の尊重。
  • 第32条:児童の経済的搾取、危険な労働への従事の禁止。児童労働法と雇用最低年齢の制定。
  • 第33条:薬物の不正使用からの児童の保護。
  • 第34条:児童買春などあらゆる性的搾取、性的虐待からの児童の保護。
わいせつ物やわいせつな演技に児童を搾取的に使用することを含む。
  • 第35条:児童の誘拐人身売買を防止するための国内および国際的な措置。
  • 第36条:児童の福祉を害するあらゆる搾取から保護する。
  • 第37条:児童に対する残虐な刑罰の禁止。児童の自由を不法に奪うことの禁止。
18歳未満の者が行った犯罪について、死刑または釈放の可能性がない終身刑は科さないこと。
  • 第38条:戦争武力紛争からの児童の保護。15歳未満の者を軍隊に採用することを控える。
  • 第39条:虐待、放置、搾取、拷問、武力紛争などの被害者となった児童の、心身の健康と尊厳の回復。
  • 第40条:刑事訴追された児童の権利保護。無罪推定の原則自白強要の禁止など。
  • 第41条:除外規定
  • 第42条:締約国の条約周知義務。成人および児童に対し積極的に広く知らせる。
  • 第43条:「児童の権利に関する委員会」の設置と、委員会に関する細則。
  • 第44条:締約国は定期的に条約締約による進歩について、第43条の委員会に報告する。
  • 第45条~第54条(省略)

日本国内では、「児童」が法律用語としては主に小学生を指すため、「子ども」という枠語を使うべきだとの議論がなされたが、国会承認及び官報では「児童の権利に関する条約」の訳名で公布されており、国による正式和訳名称はこの表記を使用している。

なお、文部省は「本条約についての教育指導に当たっては、『児童』のみならず『子ども』という語を適宜使用することも考えられる」という案を示しており、マスメディア・団体・個人も「児童」を「子ども」などに置き換えることがある。その場合、主に「子どもの権利条約」と称される。

 


「世界人権デー」

2022年12月22日 11時48分53秒 | 社会・文化・政治・経済

世界人権デー

1948年12月10日に「世界人権宣言」が国際連合総会で採択されたことを記念し、1950年の国際連合総会で毎年12月10日を「世界人権デー」として、記念行事を行うことが決議される。

第一条
 すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。
 人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。

世界人権宣言とは


出典:UN Photo
世界人権宣言は,基本的人権尊重の原則を定めたものであり,初めて人権保障の目標や基準を国際的にうたった画期的なものです。

 20世紀には,世界を巻き込んだ大戦が二度も起こり,特に第二次世界大戦中においては,特定の人種の迫害,大量虐殺など,人権侵害,人権抑圧が横行しました。このような経験から,人権問題は国際社会全体にかかわる問題であり,人権の保障が世界平和の基礎であるという考え方が主流になってきました。
 そこで,昭和23年(1948年)12月10日,国連第3回総会(パリ)において,「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」として,「世界人権宣言」が採択されました。
 世界人権宣言は,基本的人権尊重の原則を定めたものであり,それ自体が法的拘束力を持つものではありませんが,初めて人権の保障を国際的にうたった画期的なものです。
 この宣言は,すべての人々が持っている市民的,政治的,経済的,社会的,文化的分野にわたる多くの権利を内容とし,前文と30の条文からなっており,世界各国の憲法や法律に取り入れられるとともに,様々な国際会議の決議にも用いられ,世界各国に強い影響を及ぼしています。
 さらに,世界人権宣言で規定された権利に法的な拘束力を持たせるため,「経済的,社会的及び文化的権利に関する国際規約(A規約)」と「市民的及び政治的権利に関する国際規約(B規約)」の2つの国際人権規約が採択され,その後も個別の人権を保障するために様々な条約が採択されています。これらの条約が保障する権利の内容を理解し,広めていくことが一人一人の人権を守ることにつながるのです。
                                                                                                               
※外務省のホームページへリンクします。
世界人権宣言
◆主要な人権関係条約
経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(A規約)
市民的及び政治的権利に関する国際規約(B規約)
あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約(人種差別撤廃条約)
女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(女子差別撤廃条約)
拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約(拷問等禁止条約)
児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)
強制失踪からのすべての者の保護に関する国際条約(強制失踪条約)
障害者の権利に関する条約(障害者権利条約)

「教師こそ最大の教育環境」

2022年12月22日 11時48分53秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▽宝や財宝を収めた蔵も、鍵がなければ開いて、中の財宝を見ることができない。

これは例えであるが、鍵とは人間力であろう。

▽教育は共育である。

教師こそ、子どもの可能性を開く鍵。

つまり、「教師こそ最大の教育環境」。

だが、教員の志望者が減っているの。

▽なぜなのか? 

教員の労働環境が劣悪であることが、広く知られるようになったからだ。

最近では「ブラック部活動」「教員の働き方はブラック」といった言葉が、若者の間で共有されるようになった。

これらが、教員の仕事をネガティブに伝える役割を果たしてしまい、志望者の減少をもたらしているのだ。

 


<習慣化力>を付ければ、なりたい自分に近づくるだろう

2022年12月22日 11時24分05秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▽勝利すること、成功することで、初めて見える景色がある。

自分たちがやってきたことに間違いないがなかったと、自信が持てるようになる。

たとえ、環境が劇的変化しなくとも、そこからひらけていくものが必ずある。

▽習慣は、「やろう」という強い意志の力を必要としない。

頑張らずに継続でき、むしろ、やめようと思っても、やめられない。

▽仕事や勉強、掃除、運動、健康習慣―。

<やりたい>以外にも<やらなくては>は、たくさんある。

<習慣化力>を付ければ、なりたい自分に近づくるだろう。

▽良い習慣は、良い人生につながり、心身を健康にするはずだ。

また、習慣化自体に自己肯定感を高める効果もある。

▽一つの行為を、自然とできるようになるには、「一定期間の繰り返し」は必要だ。

 


文学は政治から離れることができない

2022年12月22日 10時57分38秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

「文学は政治から離れることができない。
しかし、政治は、絶対に文学の代わりにはなれません。

「文学は人の魂を築き上げることができるが、政治にはできない」中国の作家・巴金さん

巴金さんは、文化大革命の時代。「反革命分子」とされ、文学界から追放された。
壁新聞では「売国奴」と罵られもした。
彼は、この苦難をきちんと総括し、自分を徹底的に分析し、当時、起こった事柄を、はっきり見極めていくことの大切さを強調した。

私は書かねばなりません。
私は書き続けます。
そのためには、まず自分をより善良な、より純潔な、他人に有益な人間に変えねばなりません。
時代の誤った出来事を看過してはならない。巴金さん
その要因と本質とを深く洞察し、未来のために戦いを開始するのだ。巴金さん


ふるさと歌謡コンサート 文化庁補助対象事業

2022年12月21日 20時14分52秒 | 社会・文化・政治・経済

~音楽で故郷を元気に!〜『ふるさと歌謡コンサート』3都市で開催 

コロナ禍で活動の場が激減してしまったアーティストの披露の場を創出 音楽で地方を盛り上げていくコンサート

<熊本会場>2022年12月17日 (土) / 熊本市健軍文化ホール(熊本県熊本市東区若葉3丁目5番11号)は終了。

東北を繋ぐ架け橋プロジェクト ひだまり(代表:鈴木ミチ)主催、~音楽で故郷を元気に!〜『ふるさと歌謡コンサート』が下記の通り2会場で開催。
 
 
<茨城会場>2022年12月21日 (水) / 牛久市 エスカードホール(茨城県牛久市牛久町280(牛久駅西口駅前エスカード牛久4階))
 
<福島会場>2022年12月28日 (水) / 会津若松市文化センター(福島県会津若松市城東町14-52)
チケットはカンフェティ(運営:ロングランプランニング株式会社、東京都新宿区、代表取締役:榑松 大剛)にて発売中です。
 
動画リンク 主催者の鈴木ミチさんの赤べこの歌
 
 
~音楽で故郷を元気に!〜『ふるさと歌謡コンサート』
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~音楽で故郷を元気に!〜『ふるさと歌謡コンサート』3都市で開催 
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~音楽で故郷を元気に!〜『ふるさと歌謡コンサート』加藤大知

映画 スティーラーズ

2022年12月21日 15時11分05秒 | 社会・文化・政治・経済
12月21日午前3時45分からCSテレビのザ・シネマ観た。
 
映画『スティーラーズ(2013)』の概要:アメリカ南部の田舎町。
質屋を訪れた3人の男達が抱える、それぞれの事情を描いている。ストーリーは3つに別れているが、それぞれに関係性があり見ごたえがある。
コメディタッチなストーリーの中、バイオレンスなシーンも交えたR15指定作品。
スティーラーズ
 
1 麻薬の売人を襲おうとしている奴ら
2 行方不明になった妻に送った指輪を偶然見つけた男
3 エルビス・プレスリーの物真似芸人をしている男
質屋を通して3つのストーリーが絡む。

あらすじ

某日、アメリカ南部、強盗団リーダーの白人主義者と幻覚に悩まされる仲介役はドラッグディーラーの金を強奪する計画をたてる。

同日、数年前に妻をさらわれた男は、女性を狙った誘拐・監禁の常習犯に出逢い、プレスリーを崇める無一文のドサ回り芸人は魂の救済を謳う謎の男に出逢う。

些細なことで命を狙うヒステリックで恨み節な小人、平和ぼけした取り巻き、手癖の悪いコック、注文をきかない理髪店主、その中心にいる冴えない質屋の店主…。

人生は欲望と復讐で溢れている。これは、たったひとつの巡り会いが生み出すイカれた奴らの運命の一日。

常に予測不能なギリギリの男たちが、生き残りを賭けて動き出した時、笑うに笑えない結末が待っていた。

出演者

 
スティーラーズ
 
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  • 映画『スティーラーズ』の登場人物(キャスト)

    ロウドッグ(ポール・ウォーカー)
    アメリカ南部の田舎町の青年でジャンキー。どちらかというとまだ理性があり、時々哲学的なことを話したりする。髭を生やした男前だが、独特な手の動きをさせて甲高い悲鳴を上げる。
    ランディ(ケヴィン・ランキン)
    ロウドックの友人でやはりジャンキー。強引で傲慢な面があり、リーダー的存在だが、意外にもピエロを怖がる。執着心が強い。
    ヴァーノン(ルーカス・ハース)
    ロウドックの友人でジャンキー。知能が低く、強盗で使うショットガンを質に入れて、待ち合わせの場所まで行くためのガソリン代を捻出。切れたら何をするか分からない。
    リチャード(マット・ディロン)
    裕福な男性。6年前に結婚した妻が行方不明になっており、忘れられない。金持ち特有の傲慢さがあり、何をしてでも行方不明の妻を探し出そうと奮闘。
    ジョニー・ショー(イライジャ・ウッド)
    若い青年だが、変人だと噂されている。女性を何人も飼っている異常者。釣りが趣味。痛いことには耐えられず、リチャードの拷問にすぐ音を上げる。
    リッキー・バルドースキー(ブレンダン・フレイザー)
    エルヴィス・プレスリーを神と崇め、物まねで巡業している男性。過去の栄光に縋っており、金髪の恋人に逃げられてしまう。
    アルトン(ヴィンセント・ドノフリオ)
    質屋の店主。恰幅の良い白人男性で、いつもいる黒人の友人と毎日、たわいない話をしている。

    映画『スティーラーズ』のネタバレあらすじ(ストーリー解説)

    映画『スティーラーズ(2013)』のストーリー(あらすじ)を結末・ラストまでわかりやすく簡単に解説しています。この先、ネタバレを含んでいるためご注意ください。

    映画『スティーラーズ』のあらすじ

    アメリカ南部の田舎町。アルトンが経営する質屋はどこか古めかしくて貧乏臭いが、様々な客がやって来る。その日は、郡主催の盛大な祭りが開催される日だった。

    ショットガンを持った青年が質屋を訪れる。

  • アルトンとその友人は強盗かと身構えたが、なんてことはない。青年ヴァーノンはショットガンを売って、車のガソリン代が欲しいだけだった。

    田舎町の青年ロウドックは、友人のランディとヴァーノンの3人で強盗を計画していた。

  • 待ち合わせは人気のない野原。だが、彼は体調が芳しくなく、ランディに今日はやめようと進言。

  • しかし、ランディは祭りが開催されている今日でなければ、騒ぎが大きくなるため、頑なに今日でなければならないと言うのだった。

    ようやくヴァーノンが到着。しかし、彼は強盗に必要なショットガンを質に入れてしまい、手に入れた金で車にガソリンを入れて来たと言う。ロウドックは驚きを隠せず、ヴァーノンを叱りつけた。

  • そこへランディがやって来て、会話中のヴァーノンを車で轢いてしまう。

  • ヴァーノンの弟から兄がランディの金を盗んだと吹き込まれたためだ。

    血塗れのヴァーノンは最早、虫の息である。ランディとロウドックはどうすることもできず、彼をその場に放置して、ヴァーノンの弟の元へ向かった。

  • 弟は狂ったジャンキーであるため、言動には信憑性がない。ロウドックはランディに忠告するも、友人は話を聞いてくれず。

  • 結局、ヴァーノンの罪は弟の嘘だということが判明した。

    その後、車で走行中の2人は突然、対向車が車線をはみ出してきたため、道路から外れて野原へ突撃。

  • そこで、弓矢を発見し持ち主から盗んでしまう。
    その頃、友人に無実の罪で轢かれてしまったヴァーノン。幸い怪我は大したことなく、たまたま通りかかった謎の男からショットガンを譲り受ける。

映画『スティーラーズ』のあらすじ【承】

夜。マスクをしてヘロインを売ってくれる店へ乗り込んだロウドックとランディ。だが、店主は強盗されることを察しており、準備万端で待ち構えていた。相手は銃でこちらは弓矢。勝ち目はない。しかし、そこへ怒り狂ったヴァーノンが登場し、ショットガンを放ちまくる。ランディは早々に死亡。そして、店は爆発してしまった。

ヴァーノンがショットガンを売り渡した後、質店に新婚旅行だと言う夫婦が訪れる。銀行の関係で金が下ろせず、現金が必要になったらしい。夫リチャードは妻の指輪を換金しようとして、ガラスケースにある指輪を発見。顔色を変えた。

その指輪は6年前、行方不明になった妻が持っていた物だった。リチャードはアンノンに指輪を売りに来た人物を聞き出し、ついでにアンノンの車も購入した。新妻は乗って来た車で帰し、自分は質屋から買った車に乗る。

指輪を売りに来た人物はレストランのコック。彼から指輪の出所を聞き、コックの叔父を訪ねる。叔父はジョニー・ショーという男と賭けをして貰ったと言う。叔父と対決して勝利を収めたリチャードは、ジョニーの家を突き止めて訪ねた。

ジョニーは若い青年だったが、広大な土地に住み地元では変人と噂されていた。リチャードはジョニーを拷問にかけて指輪の出所を聞き出す。ハンマーで殴ると奴は簡単に妻の居場所を吐いた。

ジョニーが白状した場所へ行くと、檻に閉じ込められた全裸の妻がいる。リチャードは凄惨な状態の妻に絶句し、檻から出そうとするも彼女は怯えて出て来ようとしない。6年の間に何があったのか。怒りを募らせたリチャードは、ジョニーの家へ戻って奴を殺してしまう。

映画『スティーラーズ』のあらすじ【転】

再び、檻に閉じ込められていた妻の元へ戻り、彼女をようやく外へ連れ出したリチャード。なぜ、逃げ出そうとしないのか聞くと、妻は自分がナンバーワンになったからだと言う。意味不明だったが、話の様子だとどうやらここにいるのは彼女だけではないようだ。

リチャードは他の建物へ入り、ピラミッドに積まれた檻に閉じ込められた女達を発見。ジョニーは妻を含めて合計15人もの女達を飼っていたのだ。
愕然としたリチャード。こんなことがあっていいものだろうか。彼は檻の扉を全て開け、女達に自分の意志で逃げろと言い、妻を連れて出発した。

病院へ向かう車の中、妻と会話したリチャード。彼女を安心させるためにジョニーを殺したと告白。すると、妻は酷くショックを受け、リチャードが持っていた包丁で彼をめった刺しにしてしまう。

車は道路から外れ大破。衝撃で妻が死亡してしまう。リチャードは這う這うの体で新妻へ電話。よりを戻そうと都合の良い話をするも当然、新妻は許してくれるはずがなかった。

新婚夫婦が去った後、アンノンの質屋へプレスリーの恰好をした男がやって来る。彼はリッキー・バルドースキー。エルヴィス・プレスリーを神と崇め、物まねショーをして巡業に回っている。リッキーはエルヴィス本人が持っていたとされる、メダルペンダントを質に入れた。

その金で車のガソリンを入れたリッキー。彼は郡の祭りでショーをするために訪れたのだが、いかんせんとにかく貧乏だ。共に来た恋人には愛想を尽かされ、何日も風呂に入っていないのか、とにかく強烈な匂いを醸している。

映画『スティーラーズ』の結末・ラスト(ネタバレ)

陽が暮れて、モーテルの前で不思議な老人と出会ったリッキーは、老人から魂を売って理想の夢を手にしないかと話を持ち掛けられる。
ブルースの神と呼ばれた男が十字路で悪魔と出会い、魂を売り渡した話は有名だ。もしや、老人も悪魔なのだろうか。彼は恐ろしくなり母親へ相談を持ちかけようとするも、母親は喚き散らすだけで話にならない。一先ずは考えさせてくれと老人に話した。

祭りにてショーを披露したリッキーだったが、持ち込んだカセットテープは伸びていて音楽もふにゃふにゃ、ダンスも決まらない。理想と現実は酷くかけ離れ、落ち込んでしまう。
こんなはずじゃなかった。リッキーは決意して老人に対し、了承の意を伝えた。

すると、ステージのライトが点灯。教会のゴスペルグループが現れ、生演奏をしてくれる。曲はアメージンググレース。リッキーのショーにはたちどころに観客が集まり始める。そこへ、ジョニーの家から逃げ出し、列を成してやって来た全裸の女達が祭りへ参加。全裸は良くないと気の良い老人がアメリカ国旗を女達にかけてくれる。

曲の終盤。ロウドック達が強盗に入った店が爆発。まるでリッキーのショーを盛り上げるかのように花火が上がる。お陰で彼のショーは大成功を収めた。

様々な偶然が奇跡的に噛み合ったショーのお陰で、リッキーには大きな仕事が舞い込み、愛想を尽かした恋人も戻って来る。だが、彼は彼女を受け入れず、その場に置き去りにするのだった。

不機嫌になった彼女の元に殺されたと思われたジョニーが現れ、女性に甘言を説く。そして、逃げ出したペット達とリッキーの元恋人を連れて帰宅。

祭りでこんなことが起こっていたとは知らないアンノン。彼はいつも通り、黒人の友人と挨拶をして店を閉める。こうして、今日も平穏無事に一日の営業を終えるのであった。

映画『スティーラーズ』の感想・評価・レビュー

登場人物達がほぼ全員ぶっとんだキャラクターで、引いたり驚いたりしているうちに物語が終わった。オムニバス映画だが、3つのストーリーが絶妙に絡み合っているので、1本の映画として違和感なく見ることができた。
特に、リチャードの物語には一番驚かされた。

妻を助け出してハッピーエンドになるのかと思いきや、包丁で刺されるという予想外の展開にビックリした。色々と突っ込みどころ満載だが、それを含めておもしろい作品。(女性 30代)


質屋を起点に3つのそれぞれのストーリーが展開し、絶妙に絡み合っていく内容。
それぞれに独立しているかと思いきや、絶妙に絡まり合って1本の作品になるという展開が秀逸。登場人物はそれぞれにとにかく奇抜で壊れた人しかいない。

笑いがありサイコもあってヒヤっとさせられつつ、最後はもう気持ちよく爆発という展開が面白かった。

そして、なぜかラストシーンでほっと一息させるという終わり方がいい。世界とはもしかしてこんな感じで本当は絶妙に絡まり合って繋がっているのかと考えれば、より楽しく観られる。

ただし、今作のようなぶっ飛んだ展開はなかなかないと思うが。この作品のような秀逸な映画はあまり他にないように感じる。(女性 40代)


ポール・ウォーカーにブレンダン・フレイザー、ノーマン・リーダスと好きな俳優ばかり出ているので楽しみにして鑑賞しましたが、私には合いませんでした。
登場人物の中にあまりにもぶっ飛んだキャラクターが1人いるのは「面白い」と感じられるのですが、今作の場合はみんなヤバいやつなので、かなりとっ散らかっていて引いてしまいました。
オムニバスストーリーかと思いきや、しっかり全員が絡み合ってくる展開はとても面白かったです。
好きな人にはものすごくハマる作品だと思います。(女性 30代)

 


昼顔 (1967年の映画)

2022年12月21日 14時23分34秒 | 社会・文化・政治・経済

『昼顔』(ひるがお、フランス語: Belle de jour, 「三色朝顔」「日中の美女」「昼間に稼ぐ娼婦」の意)は、1967年のフランス・イタリア合作映画である。

ルイス・ブニュエル監督作品、原作はジョゼフ・ケッセルの同名小説である。
第28回ヴェネツィア国際映画祭で最高賞である金獅子賞を受賞した。

昼顔』(ひるがお、フランス語Belle de jour, 「三色朝顔」「日中の美女」「昼間に稼ぐ娼婦」の意)は、1967年フランスイタリア合作映画である。

ルイス・ブニュエル監督作品、原作はジョゼフ・ケッセルの同名小説である。第28回ヴェネツィア国際映画祭で最高賞である金獅子賞を受賞した。

ストーリー

美しい若妻のセヴリーヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)は、医師である夫のピエール(ジャン・ソレル)とともにパリで幸せな生活を送っていた。

その一方、マゾヒスティックな空想に取り付かれてもいた。

ある日セヴリーヌは友人から、上流階級の婦人たちが客を取る売春宿の話を聞き、迷った後に「昼顔」という名前で娼婦として働くようになる。

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昼顔
 

 スペインを代表する巨匠ルイス・ブニュエル。

盟友サルヴァドール・ダリと組んだシュールリアリズム映画の傑作『アンダルシアの犬』(’29)で監督デビューし、社会リアリズム的な『忘れられた人々』(’50)から文芸ドラマ『嵐が丘』(’53)、冒険活劇『ロビンソン漂流記』(’54)、そして『皆殺しの天使』(’62)や『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』(’72)のような不条理劇に至るまで、幅広いジャンルの映画を世に送り出したが、その中でも最も興行的な成功を収めたのが、第28回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を獲得した『昼顔』(’67)である。

 原作はフランスの作家ジョゼフ・ケッセルが1928年に発表した同名小説。

当時、長年住み慣れたメキシコを離れ、『小間使いの日記』(’63)を機にフランスへ拠点を移していたブニュエルは、『太陽がいっぱい』(’60)や『エヴァの匂い』(’62)で知られる製作者コンビ、アキム兄弟から本作の映画化を打診される。

既に何人もの監督に断られた企画だったらしく、ブニュエル自身も全く気に入らなかったらしいのだが、むしろそれゆえ「自分の苦手な作品を好みの作品に仕上げる」ことに興味を惹かれて引き受けることにしたのだそうだ。

 そこで、ブニュエルは『小間使いの日記』で既に組んでいた新進気鋭の脚本家ジャン=クロード・カリエールに共同脚本を依頼する。

当時、ルイ・マル監督作『パリの大泥棒』(’66)の撮影でサントロペに滞在していたカリエールは、ブニュエルから「『昼顔』の映画化に興味はないか」との電話連絡を受けて、「あんな下らない凡作を映画にするんですか?」と違う意味で驚いたらしい(笑)。

しかし、「原作にフロイト的な解釈を加えて、良心とセックスの関係性を描く」というブニュエルのコンセプトに関心を持ち、協力することを承諾したという。

 主人公はパリに住むブルジョワ階級の人妻セヴリーヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)。

医者である夫ピエール(ジャン・ソレル)を心から愛している彼女だが、この仲睦まじい夫婦は重大な問題を抱えていた。

セヴリーヌがいわゆる不感症で、夜の性生活が皆無に等しかったのである。

そんなある日、女友達ルネ(マーシャ・メリル)から共通の知人が陰で売春をしているとの噂を耳にして関心を持ったセヴリーヌは、夫の親友ユッソン(ミシェル・ピッコリ)に場所を教えてもらった売春宿を訪れる。

そして、マダムのアナイス(ジュヌヴィエーヴ・パージェ)から「昼顔」という源氏名を与えられ、午後の2時から5時までという条件で働くことになるのだった。

 舞台を制作当時の現代へ移しているものの、基本的なプロットは原作とほぼ同じ。

しかし、ブニュエルはそこへフロイト的な精神分析学の要素を加える。

どういうことかというと、主人公セヴリーヌの深層心理を表すドリーム・シークエンスを随所に挿入しているのだ。

それはいきなりストーリーの冒頭から描かれる。

馬車に乗ったセヴリーヌとピエール。

妻の不感症を責めるピエールは、2人の御者に命じてセヴリーヌを馬車から引きずり降ろし、激しく鞭で打ったうえにレイプさせる。

夫の許しを請い抵抗しつつも、しまいには恍惚の表情を浮かべるセヴリーヌ。

次の瞬間、シーンは寝室で語らう夫婦の様子へと切り替わり、以上がセヴリーヌの妄想であったことに観客は気付く。

ここでハッキリと示されるのは、夫の性的な期待に応えられないことに対するセヴリーヌの罪悪感と、本当は強引に組み伏せられて凌辱されたいというマゾヒスティックな彼女の性的願望だ。

 これはある意味、セックスの不条理を描いた作品といえるだろう。

心では紳士的で優しい夫ピエールを愛するセヴリーヌだが、しかし彼女の体は暴力的で屈辱的な快楽を求めており、それゆえに温厚なピエールが相手では決して満たされることがない。

しかも、彼女は自分のそうした淫らな欲望(ひいてはセックスそのもの)を「汚らわしい」ものと恥じており、こんな私はピエールの妻として失格だと考えているふしがある。

彼を受け入れたら私の本性がバレてしまうかもしれない。

だからこそ、夜の営みを拒絶してしまうのだ。

 でも他の女性はどうなのだろう?

みんなはどんなセックスをしているのか?

そんな折、自分と身近なブルジョワ女性が売春をしているとの噂を耳にして、彼女はいてもたってもいられなくなる。

しばしば、セヴリーヌがアナイスの売春宿で働き始めたのは、不感症を克服して夫の期待に応えるためと解釈されるが、それはちょっと違うのではないだろうか。

まあ、結果的にそうなることは確かなのだが、むしろ己の不条理な性的欲望の正体を確かめるための探求心が原動力だったのではないかと思うのだ。

 と同時に、本作は「女性の性」にまつわる「神話」を破壊するものでもある。

ピエールはセヴリーヌに決してセックスを強要しない。

拒絶されるたびに我慢して受け入れる。

それはそれで良識的な行動であることは間違いないのだが、恐らくその根底には自分の愛する女性は純粋であって欲しい、貞淑な良妻賢母であって欲しいという願望があることは間違いないだろう。

彼女に秘めたる欲望があるとは想像もしていない。

つまり、セヴリーヌを勝手に美化しているのである。

これは多かれ少なかれ男性が陥る罠みたいなものだ。

彼が本来すべきは、何が問題なのかを彼女と話し合って解決していく姿勢なのだが、「男性と同じく女性にも性的欲求がある」という認識が欠如しているため、なかなかそこまで至らない。

そういう意味では、セヴリーヌ自身も道徳的な「女性神話」に縛られている。

だから自分の願望を口にすることが出来ず、愛しあいながらも夫婦の溝が深まってしまうのだ。

 かくして、昼間は不特定多数の男を相手にする売春婦、夜は貞淑なブルジョワ妻という二重生活を送ることになるセヴリーヌ。

最初のうちこそ強い抵抗感を覚えていたものの、様々な変わった性癖を持つ男性客や自由奔放な同僚女性たちと接するうち、次第に淫らな性の快楽を受け入れていく。

女性に凌辱されて悶える中年男を見て「おぞましい」と言っていたくせに、大柄な東洋人男性から乱暴に扱われて恍惚の表情を浮かべるセヴリーヌ。

それはさながら「女性神話」の呪縛からの解放であり、「私は決しておかしいわけじゃない」と彼女が己のマゾヒスティックな性欲を肯定した瞬間だ。

そうやって徐々に自信を強めるに従って、それまでどこか他者に対して冷たかった彼女の態度は明らかに柔和となり、ピエールとの夫婦関係も格段に改善していく。

ある意味、ようやく自分の人生を取り戻したのだ。

 面白いのは、セヴリーヌがそうやって自信を付けていく過程で、現実と妄想の境界線もどんどんと曖昧になっていく点だ。

例えば、カフェでお茶をしていたセヴリーヌが謎めいた貴族男性(ジョルジュ・マルシャル)に誘われ、彼の豪邸で喪服(といっても全裸にシースルー)に着替えて死んだ娘を演じるというシーンなどは、現実に起きたことともセヴリーヌの白日夢とも受け取れる。

これはブニュエル自身があえて狙った演出だ。そもそも、セヴリーヌにとって貞淑な妻でいなくてはならない現実は悪夢みたいなもの。

むしろ、己の性的願望を投影した妄想の世界こそが彼女にとってのリアルだ。なので、自己肯定を強めていくに従い、その境界線が曖昧になっていくのは必然とも言えるだろう。

 ところが、やがてセヴリーヌにとって想定外の事態が起きる。

横柄で乱暴なチンピラ、マルセル(ピエール・クレマンティ)との出会いだ。

兄貴分のイポリート(フランシスコ・ラバル)に誘われ売春宿を訪れたマルセルは一目でセヴリーヌを気に入り、彼女もまた激しく暴力的に抱いてくれるマルセルの肉体に溺れる。

といっても、もちろん愛しているわけじゃない。

セックスの相性が抜群なのだ。

しかし、単細胞なマルセルは勘違いしてしまう。

次第にストーカーと化し、足を洗ったセヴリーヌの自宅を突き止めて押し入るマルセル。

その結果、夫ピエールはマルセルに銃撃され、その後遺症で全身が麻痺してしまう。

 この終盤のベタベタにメロドラマチックな展開も原作とほぼ同様。

恐らく、原作を読んだブニュエルが「まるでソープオペラだ」と揶揄していた部分と思われる。

だからなのだろう、最後の最後に彼は冗談なのか真面目なのか分からないオチを用意し、観客を大いに戸惑わせる。

これもまたセヴリーヌの妄想なのか?

それとも、ここへたどり着くまでの全てが彼女の思い描いた夢物語だったのか?

見る人によって様々な解釈の出来るラストだが、ある種の爽快感すら覚えるシュールな幕引きは、本作が女性の魂の解放をテーマにした不条理劇であることを伺わせる。

シュールリアリストたるブニュエルの面目躍如といったところだろう。

 ちなみに、劇中で東洋人男性(日本人とも受け取れる描写があるものの、脚本家カリエールは中国人だと言っている)が、売春婦たちに見せて回るブンブンと音が鳴る箱。

あの中身が何なのか?と疑問に思う観客も多いことだろう。

中身を見たマチルダ(マリア・ラトゥール)は嫌な顔をして目を背けるが、しかしセヴリーヌは興味深げにのぞき込む。

観客には一切見せてくれない。実はブニュエルもカリエールも、あの中身については全く考えていなかったらしく、見る者の想像に任せるとのこと。

そういえば、ブニュエルは本作のラストについても「自分でもよく意味が分からない」と言っていたそうだ。なんとも人を食っている(笑)。

 また、本作は主演のカトリーヌ・ドヌーヴとブニュエルの折り合いが悪かったとも伝えられているが、カリエールによると実際に険悪なムードになったことはあったそうだ。

そもそもの発端は、撮影が始まって2~3日目に、ドヌーヴと夫役ジャン・ソレルが脚本のセリフに異議を唱えたこと。

ちょっとセリフが陳腐じゃないか?と感じた2人は、自分たちで書き直したセリフを現場に持ち込んでブニュエルに変更を申し出たのだ。

それを読んだブニュエルは、その場でにべもなく提案を却下。

ドヌーヴとソレルは納得がいかない様子だったらしい。

だからなのか、ドヌーヴは全裸でベッドに座って振り返るシーンの撮影で脱ぐことを断固として拒否。

これにはブニュエルも激しく怒り、ドヌーヴがショックで気を失うほど怒鳴り散らしたという。

結局、その日の撮影はそのまま中止に。

しかし、翌日ドヌーヴはちゃんとセットに現れ、言い過ぎたことを反省したブニュエルがさりげなく声をかけると、それ以降は監督の指示に素直に従うようになり、撮影が終わる頃には強い信頼関係で結ばれていたそうだ。

 なお、本作はドヌーヴをはじめとする女優陣がとにかく魅力的だ。

セヴリーヌの女友達ルネには、『サスペリアPART2』(’75)の霊媒師ヘルガ・ウルマン役でもお馴染みのマーシャ・メリル、売春宿の女将アナイスには『エル・シド』(’61)などハリウッド映画でも活躍した名女優ジュヌヴィエーヴ・パージェ、気の強い売春婦シャルロット役には『マダム・クロード』(’77)で高級売春組織の元締マダム・クロードを演じたフランソワーズ・ファビアン。

豪華な美女たちを眺めているだけでも楽しい。■

カトリーヌ・ドヌーブがすべて

主人公(カトリーヌ・ドヌーブ)はマゾヒスティックな欲望に悩まされていた。

遂に娼館を訪れ、娼婦になってしまう。
夫には気付かれないようにしていたが・・・。
なんといってもこの役を演じるのが、美しさが絶頂期のカトリーヌ・ドヌーブ、公開当時はフランスの女優はすごいなぁ、と思ったものだ。

カトリーヌ・ドヌーヴの美しさ!

 あらためて観て

カトリーヌ・ドヌーヴの端正な美しさに溜め息が出る思いだった
映画の解釈はいろいろあるだろうけど
とにかく‘昼顔’を演じているのが
ドヌーヴだということだけで十分な映画なのかも知れない
理性と欲望の間でみせる
無機質な表情も
ラストシーン近くでみせる愛らしく
美しい笑顔も
ドヌーヴなればこそなんだろうなと思う
ブニュエル監督もきっと原作のイメージから
ドヌーヴで映画を撮りたいと望んだんだろうなと思う

 

パリで夫と幸せに暮らすセヴリーヌだが、マゾスティックな性的妄想に耽...

パリで夫と幸せに暮らすセヴリーヌだが、マゾスティックな性的妄想に耽る。現実の中に妄想があやふやに入り込んでくる。

何か期待してしまった自分もいたが、行為のシーンはない。それでもエロティックに感じてしまうのはさすが

【想像力がエロチシズムを掻き立てる】

ルイス・ブニュエル作品としては、日本では最も人気のある作品のように思う。


カトリーヌ・ドヌーヴ人気がそうさせているようにも思えるが、ベッドの上で裸の背中を見せるセブリーヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)の宣材写真から想像できるほどのエロチシズムは映画のセックス描写にはない。

どちらかというと、貞淑で不感症と思われていたセブリーヌが、犯される夢を見たり、売春宿で「昼顔」という名前で働くようになって、様々な相手を通じて快楽を得て、性に開放的になっていく姿を見て、当時の人々は、女性にも性欲があるのだとか、あって当然だとか、どんなプレイが許されるのかとか想像力を膨らませたに違いないのだ。

そして、夢や妄想と現実の境目が曖昧になっていく状況は、ヒッチコックにも絶賛され、フロイト的と言われたりするが、当時より性的には開放的と考えられる現代でも、多かれ少なかれ、セックス

嘘と真の見極めが難しい

若かりし頃のカトリーヌ・ドヌーヴの美しさに凝視!23歳であの色気、おそろしや。

女性は性欲が弱いだろうとか、性に奔放な女性はアバズレだ!という世間の目や思い込みから、表向きは淑女でありたいが、性の悦びも味わい尽くしたいという願望との複雑な心情と葛藤が巧く表現されている。

性の悦びを知った女性の深淵のような欲と理性。男も女も頭の中ではあれこれと想像を巡らせているのです。人には悟られないように。
どこからどこまでが嘘で本当かがわからない。だけどこれが人間の姿なのだろう。
パリの街並み、上品なファッションと見応えあった。
素晴らしい芸術性。見てよかった。

 

『ルイス・ブニュエル監督特集上映 デジタルリマスター版 男と女』にて鑑賞。

ルイス・ブニュエル監督作品を初めて観た。
この作品は昔から有名でタイトルだけは知っていたけど、カトリーヌ・ドヌーブ当時23歳?の色気にやられてしまいました(笑)

少女時代の性的虐待?がトラウマとなって性的不感症となった女性が、昼間娼婦となって客を取っていくうちに、性格や性的志向が徐々に開放的になっていく。もしかしたら、この作品、かつての日本では"変態な作品"と思われたかも知れない…ような気がする(笑)

でも、この作品、監督の演出力が優れていて、カトリーヌ・ドヌーブ演じる妻役の女性に色気が徐々に出て来るにつれ、観ている私自身も彼女にヤキモキする気持ちになっていった…"監督に見事してやられました"な作品でした(笑)

名作だ

 

昼は娼婦で、夜は貞淑な妻……フロイト的解釈でブニュエルが描く「性」と「道徳」の悲喜劇。

『昼顔』は大学時代に一度VHSレンタルで観ているはずだが、内容は全く覚えていなかった。
あのときは、カトリーヌ・ドヌーヴの裸が観たい一心で借りたのに、肝心のバストトップがどこにも出てこないので、大いに落胆して早送りしながら観ていたのを何となく覚えている。
(僕は当時、スクリーン特別編集の『裸のトップアイドル』に大いに影響を受けて、自前の「女優ヌードシーン集ヴィデオ」を少女編・大人編に分けて独自に編集していたのだw)

今回改めて観ると、ブニュエル作品のなかでは比較的筋を追いやすいし、とにかくドヌーヴの扱いがセンセーショナルなので、彼のフィルモグラフィのなかでも最もよく知られた一本であることはよく理解できる。ただ、あまりにじとっとしているし、けっして後味の良い話ではないので、個人的にはもっとからっとした笑いに富んだ

創作 希望の星

2022年12月21日 12時45分53秒 | 創作欄

希望の星とは、木村徹の<最終目標>でもあった。

だが、挫折はつきもの。

何もかもが、中途半端に終わる。

愛するより、愛されたい―などという思惑は虫のいい願望でもあった。

4年間、密かに心に秘めた人の存在は、同じサークル内なので常に身近であったが、挨拶程度で言葉らしい言葉を交わしたことはなかった。

つまり、自意識が過剰で慕う思いの表出がまともにできなかったのだ。

ある意味で、コンプレックの裏返しであった。

沼田利根は、高校の2年にもあこがれの女性がいたが、同じ高校でありながら男女共学ではなかったのだ。

祖母がフランス人であったその人は、彼が憧れたフランス映画のヒーローインのように魅惑的で、特に横顔が絵画の中の人のようで魅せられた。

コンプレックといえば、それは彼が育った街にも起因していたのだ。

彼が少年時代に過ごしたのは、下町と屋敷街が混在している地域で、洋館に住むいわゆる令嬢は、近くて遠い存在に思われた。

和服姿の美貌の母親に似た美少女は、彼が通学する小学校では、各段に目立つ子どもであった。

だが、父親の仕事の関係であろうか少女はアメリカへ移住していく。

少年の原風景ともいえる「希望の星」が消え去ったのだ。

原風景は、人の心の奥にある原初の風景。懐かしさの感情を伴うことが多い。また実在する風景であるよりは、心象風景である場合もある。

 

 

 


人類の使命

2022年12月21日 11時37分13秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▽「悪」とは何か?

生命軽視の人間観である。

▽悪というのは特別に人間的現象であり、人間は「善にも悪にもなりうる」―エーリッヒ・フロム

「最大の悪とは生に最も逆行しようとすることである」

悪の「生き方は<地獄>のなかの生き方である」

エーリヒ・ゼーリヒマン・フロムは、ドイツの社会心理学、精神分析、哲学の研究者である。

ユダヤ系。マルクス主義とジークムント・フロイトの精神分析を社会的性格論で結び付けた。

新フロイト派、フロイト左派とされる。

▽戦争に熱狂している知識人について、「心を国家的目標にのみ向けたまま進軍すれば、それは堕落し、目標を正当化するために人間性に対する野蛮行為さえすすんでやってしまうということを、私は経験からわかっている」

「われわれは今、核兵器による第三次世界大戦の瀬戸際という国際的無秩序のただ中にいる。一人ひとりに良心を意識させなければならない」

<核兵器>という悪に立ち向かうために必要なのは?「人の心を変えねばならない」アインシュタイン

▽核抑止論とは、結局は、生命を人質にする、いわば生命の手段化であり、生命軽視の思想にほかならない。

▽「制止することができるときに罪悪を防げない者は、それを奨めているのと同じだ」哲学者セネカ

▽善が悪に勝ってこそ善が証明されるのだ。

▽人は自身の内なる悪と戦い、生命を鍛えていくことで、尊極の生命を創出できる。

▽長い物には巻かれろという諦めの精神を根底から打破することだ。

▽結局は<人間の価値>とは<何を成したか>で決まるのである。

▽自分一人ではなく、対話によって周囲の人々と一緒に悪について考え、悪に向かっていかなければならない。

▽大切なことは生命軽視の思想を転換していくことだ。

▽最終的に、人類は悪の象徴である<核兵器>の廃絶に向かうことだ。

▽あくまで基本は「人間」である。

その人間を「強くするのか、弱くするのか」「善くするのか、悪くするのか」「賢くするのか、愚かにするのか」。

そこに中途半端な態度はない。

悪とは徹底的に戦い続けなければならない。

終わりなき「悪」との闘争に勝利していくことが、人類の使命なのだ。

 

 


自分の意見を持つ

2022年12月21日 10時52分27秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▽「優しさ」「親切」「温かい」期待される人間関係の心情。

▽恩を知り、恩に報いる。

▽思いは「声」に発してこそ、相手に伝わる。

▽人間共和の集いが期待される。

共和】複数の者が仲良く共同で事に臨むこと。

例えば、「座談会」

座談会とは、数人が集まり特定のテーマについて意見や感想を述べ合う場のことです。

▽人も組織も、目標を明確に掲げて、新たな山の峰を目指して登のである。

▽どんな苦難にも負けない一念で、自ら決めたの目標を一つ一つ達成することだ。

▽挑戦と忍耐で勝利への執念を燃やす。

▽一人一人が意識して行動していけば、全ては変わるとの信念を胸に目標に挑む。

▽自分の意見を持つ。

一歩踏み出してみる。

対話の輪を広げる。

▽一人一人が社会問題への理解を深めることが、解決への一歩である。