自分自身に課している「行」の1つに、「スリッパならべ」がある。「学校で乱れているトイレのスリッパがあれば並べる」のである。乱れていれば、全て並べる。よほど急ぎの時でない限りは、並べるようにしている。
これは、子ども達に「正整美」を味わわせたいからである。スリッパがきちんと並んでいる様子からは、芸術的な美を味わわせることは難しい。しかし、「正整美」(正しく整った美しさ)ならば味わわせることができる。そして、小学生段階では、「正整美」をたくさん味わわせることが大事であると考えている。
逆に、並んでいないスリッパが目にはいることで、それが常に見られるような学校にいることで、感性は鈍くなっていく気がする。
不思議なことに、スリッパ並べを続けていくと、高学年のトイレでは、殆ど並べる必要が無くなってくる。低中学年の間に「正整美」を味わってきたからだろうか?そうだとしたら、うれしい。
これは、子ども達に「正整美」を味わわせたいからである。スリッパがきちんと並んでいる様子からは、芸術的な美を味わわせることは難しい。しかし、「正整美」(正しく整った美しさ)ならば味わわせることができる。そして、小学生段階では、「正整美」をたくさん味わわせることが大事であると考えている。
逆に、並んでいないスリッパが目にはいることで、それが常に見られるような学校にいることで、感性は鈍くなっていく気がする。
不思議なことに、スリッパ並べを続けていくと、高学年のトイレでは、殆ど並べる必要が無くなってくる。低中学年の間に「正整美」を味わってきたからだろうか?そうだとしたら、うれしい。