昨日、家人と夕食の材料を買い出しに行った。
いい鯖があったので、4本買って3枚におろしてもらった。(シメサバを作るのも食べるのも大好きなので)
隣には、まるまると太ったアジ380円があったので、それも購入。
脂がのっていそうなので、きっと刺身にしたらおいしいだろう。
他にも、白菜、椎茸、肉、ネギなどの鍋の材料を買ってレジに向かった。
支払いを済ませ、家人は食材を買い物袋へ投入。
私は、レシートのチェック。
そこで、重大なことに気づいた。
アジ(380円)の表記がないのである。
3回見直したけれども、無い。
つまり、アジの値段分を自分は払っていないことになる。
レジうちのお姉さんに「アジの値段が入っていないのではないですか?」と、言おうとしたけれども、現物のアジは、すでに買い物袋の底にある。
効率重視の家人は、てきぱきと食材を買い物袋に詰め続けている。
普段ならば、すぐにレジのお姉さんに言うのだけれども、すべての食材を取り除いて、アジを買い物袋の底から取り出さなければならない。
そこまでしてお姉さんに言うのは面倒くさい。
しかも、ミスはこちらではなく、お姉さんがしたミスなのだし。
ここで考えること3秒。
私の心の中の悪魔と天使が戦った。
結局勝ったのは、天使。
決め手になったのは、天使のささやいた一言
「このまま帰ってアジの刺身を食べても、おいしくないでしょ。」
そうなのだ。
おいしく食べるには、やはりきちんと対価を支払わないといけない。
後ろめたい気持ちで食べるアジはおいしくないだろう。
お酒もまずくなる。
ということで、買い物袋の底からアジを取り出し、レシートも見せて、レジのお姉さんに納得してもらった。
「すみません、申し訳ないです。」というお姉さん。
そのお姉さんに、アジの代金380円(+消費税)を支払い、再び買い物袋に詰めていった。
その夜食べたアジの刺身は、もちろんおいしかった。
この話、いつか道徳の授業で話せないかなあ。
「正直」をテーマにしたの授業の終末なら使えそうな気がする。
いい鯖があったので、4本買って3枚におろしてもらった。(シメサバを作るのも食べるのも大好きなので)
隣には、まるまると太ったアジ380円があったので、それも購入。
脂がのっていそうなので、きっと刺身にしたらおいしいだろう。
他にも、白菜、椎茸、肉、ネギなどの鍋の材料を買ってレジに向かった。
支払いを済ませ、家人は食材を買い物袋へ投入。
私は、レシートのチェック。
そこで、重大なことに気づいた。
アジ(380円)の表記がないのである。
3回見直したけれども、無い。
つまり、アジの値段分を自分は払っていないことになる。
レジうちのお姉さんに「アジの値段が入っていないのではないですか?」と、言おうとしたけれども、現物のアジは、すでに買い物袋の底にある。
効率重視の家人は、てきぱきと食材を買い物袋に詰め続けている。
普段ならば、すぐにレジのお姉さんに言うのだけれども、すべての食材を取り除いて、アジを買い物袋の底から取り出さなければならない。
そこまでしてお姉さんに言うのは面倒くさい。
しかも、ミスはこちらではなく、お姉さんがしたミスなのだし。
ここで考えること3秒。
私の心の中の悪魔と天使が戦った。
結局勝ったのは、天使。
決め手になったのは、天使のささやいた一言
「このまま帰ってアジの刺身を食べても、おいしくないでしょ。」
そうなのだ。
おいしく食べるには、やはりきちんと対価を支払わないといけない。
後ろめたい気持ちで食べるアジはおいしくないだろう。
お酒もまずくなる。
ということで、買い物袋の底からアジを取り出し、レシートも見せて、レジのお姉さんに納得してもらった。
「すみません、申し訳ないです。」というお姉さん。
そのお姉さんに、アジの代金380円(+消費税)を支払い、再び買い物袋に詰めていった。
その夜食べたアジの刺身は、もちろんおいしかった。
この話、いつか道徳の授業で話せないかなあ。
「正直」をテーマにしたの授業の終末なら使えそうな気がする。
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