月刊誌「致知」20023年」5月号「不惜身命 但惜身命」からの学び その1
「東京大空襲の記憶を後世に」というタイトルで、映画監督のエイドリアン・フランシス氏の映画が紹介されていた。
映画のタイトルは、「ペーパーシティ ー東京大空襲の記憶ー」である。
1945年3月10日の未明に、300機を超えるアメリカ軍のB29による無差別絨毯爆撃によって、東京の4分の1が焼け野原になり、一晩で10万人を超える人々が亡くなった。
一晩で10万人である。しかも殆どが民間人である。
これは、戦争犯罪である。
誤解している人がいるが、戦争行為というのは、軍人と軍人との戦いである。
戦時中であっても、民間人を殺せば犯罪である。
10万人もの民間人を一晩で殺した空襲は犯罪である。
エイドリアン氏は、次のようにいう。
「ドイツでは、ナチズムの台頭を許した反省から、先の大戦について非常に詳しく子供達に勉強させています。日本も過去の戦争で何があったのか、もっと真剣に次世代に伝えていくことが必要なのではないでしょうか。」
そうなのだ。
日本の教育では、戦争で何があったのかを詳しく伝えていない。
月刊誌「致知」の「今、そこにある危機」では、占部賢志が国防に関して同じことを書いている。
「世の中には、理想を掲げているつもりでも、実際は「空想」に過ぎないことがある。「平和」などその代表例で、「戦争反対」の新年(?)に凝り固まって複雑な世界を単純化して見がちです。その結果、現実から有利して空想に入り込む。
では、どうすればいいのか。「現実」を直視する勇気を持てば、イデオロギーや空想の呪縛が解けるはずです。」
歴史に学ぶことが必要である。
「戦争反対」と主張するのは必要である。
ただ、あわせて「大東亜戦争はなぜ起こったのか」「戦争は、どの段階なら止められたのか。どのようにして止められたか。」を考える必要もあると考える。
いや、戦争の歴史に学び、どうして起こったか、どうすれば止められたかを考える方が、より重要ではないだろうか。
考えるためには、まず歴史を学ぶ必要がある。
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