特集テーマは、「実行するは我にあり」
今月号も学びが多かった。
例えば、児童福祉のパイオニア「石井十次の歩いた道」
執筆者は、曾孫である児島草次郎氏。
石井十次は、明治の変革期に行き場を失った孤児を三千人救済した人である。
徹底した利他の精神で生きた。
驚くのは、若くして亡くなっていることである。
48歳。
初めて孤児を引き取ったのが、十次が22歳のときだから、26年間で三千人の孤児を救済したことになる。
(22歳で孤児救済を始めたというのもすごい。)
十次が亡くなった後も、その遺志は引き継がれているので、十次の存在があったことで、更に多くの孤児は救済されたことになる。
1893年には、孤児の数は300名ほどになったという。
十次は1865年生まれだから、28歳のときである。
22歳から始めた孤児救済が、6年後には、300名もの数になっているということになる。
希望が持てるのは、数年間でも大きな仕事ができるという点である。
自分は50歳半ばであるが、世のため人のためになるような大きな仕事ができそうである。
十次の優しさは母親譲りのようである。
こんなエピソードが紹介されていた。
母はとにかく優しい人でした。隣近所の貧しい家庭を支え子供たちに対して我が子のように面倒を見ていたといいます。そんな母との間に、あるエピソードがあります。
七歳の頃、十次は母が夜なべして織ってくれた新しい帯を巻いて秋祭りに出かけました。神社の境内につくと、ボロの浴衣の上に縄の帯を締めた同級生の松(まつ)ちゃんが皆からいじめられている。十次は勇気を出して割って入り、それから深く考えず、松ちゃんの縄の帯と自分の新しい帯を取り替えてしまうのです。 口先ではなく、まず自分の何かを差し出し実行する母の姿が染みついていたのでしょう。
家に帰り、帯がない理由を恐る恐る母に話すと、「お前、いいことをしたね」と褒められました。
明倫堂での学びと愛情あふれる父母の教育が十次の人格の基盤をつくったのです。
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