「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2005・01・09

2005-01-09 09:00:00 | Weblog
 今の日本の社会では、生れ落ちたとき、すべての人は平等、同じところから出発するとされています。

 それは先哲が考え、欧米諸国で広まった平等思想が、近代化、西欧化を目指す世界中の多くの国に広まり、この日本でも基本理念として採用されているからです。100年一寸の間に広まった考え方です。

 世界中に王制や立憲君主制を敷く数多くの国が存在し、歴史的現実と平等思想に折り合いをつけながら、それぞれに何とか体制維持を図ろうとしています。この日本も例外ではありません。

 血筋、家柄の特別な人間が、それだけを理由に人の上に立つ、象徴的なものであるにせよ一国の頂点にたつ、それを尊重するという考え方、論理は、歴史的経緯があり、戦前の教育が染み付いた世代や、長く象徴天皇制を経験し、現実的な統治形態としてそれをよしとする世代が多数存命するうちは、今の形を継続することが出来るかも知れません。戦後世代にとって、少なくとも尊重する振りを続けることは可能だからです。

 しかし、昭和の時代も後半になって生まれ、戦後生まれの戦後教育を受けたベビーブーム世代の家庭で育ち、親と同じ世代、あるいは親より若い世代の人間が教師を務める学校で長期間、教育を受け育ってきた今の若者には、この先なかなか通用しにくい論理です。この先20年後、30年後、世代交代が進むにつれて大きく変質していくような予感がいたします。

 実害がないばかりでなく、むしろ積極的な効用があり、うまく機能しているうちは、それを壊さない方が平和だと、多くの人が信じているうちは、たとえフィクションであってもリアリティーをもち続けますから、それを工夫して維持していくのが人間の「知恵」だとは思います。


 この地球上に60億人近い人が地域々々、国々に棲息し、限られた資源、限られた生産力の下で、それも地域々々、国々にそれらが偏在するため、ある地域、国では余剰がある一方で、ある地域、国では食っていけないものがあふれているという現実があります。

 人は自らの生まれてくるところ、ときを自らの意志で選び取ることはできません。どのような両親の子として生まれてくるかは選べませんし、どのような環境の下で育つのかも、ある程度の年齢に達しないと選択できないのが普通です。天賦のものは与件として受け容れるしかないのが現実です。

 自分の力ではどうすることもできない部分が人生のかなりのところを占めるということを生れ落ちたときから条件付けられているのが人間だと思います。

 「一分の楽観、二分の悲観、七分の諦観。」

 人生の午後になって、この一番大きいところを認識できなかったら、この世は生きていくことが随分とつらいところだと思います。



 

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