「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

身長と体重 2005・09・11

2005-09-11 06:05:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「夏目漱石があばたであることを、私は少年のときから知っていた。どうして知ったか、今となっては思いだせない。たぶん漱石が自分で、私はあばただと書いたのを見たのだろう。
 私は漱石の写真を、何枚も見ている。どこといって難のない立派な顔である。壮年の漱石は鼻下に髭を貯え、よい生地のよい仕立の洋服を着ていた。その写真のなかに、あばたの痕跡を発見することはできない。
 してみれば漱石のあばたは、写真にうつらない程度のものだったのだろうか。それとも写真に修整がしてあったのだろうか。」

 「漱石がロンドンに行ったのは、明治三十三年の秋である。雲つくようなイギリス人のなかにあって、漱石はさぞ小さかったことだろう。子供かと見ると大人である。その上あばたである。
 漱石はロンドンで自分より小さな男を発見しなかった。向うから人並はずれて背の低い男が来るので、しめたとすれ違いざま見ると、自分より二寸(六・〇六センチ)ばかり高いと漱石は書いている。
 漱石は往来で女たちに、シナ人にしてはましだと評されたことがある。男たちに、ジャップにしてはハンサムだと言われたことがある。茶の会によばれて、フロックコートを着て、シルクハットをかぶっていたから、一寸法師がイギリス人のような格好をしていると見られたのだろう

 昨今の文学の研究はずいぶん枝葉にわたるが、作者の身長に及ばない。身の丈がいくらかということは、その人を理解するかぎの一つだと伊藤整は言っている
 伊藤整は漱石は五尺二寸(一五七センチ)、藤村は五尺一寸ぐらいだったと書いている。緑雨は五尺五寸あったと、これは緑雨の姪の子が書いている。
 明治時代の男は五尺二寸あれば人並で、四寸以上あれば立派で、六寸あれば大男だった。女は五尺そこそこが普通で、五尺二寸あると半鐘泥棒といわれた

 今は大ぜいで海外へ旅して大ぜいで帰るから漱石のように感じるものはすくないだろうが、漱石は一人で行って一人で暮したのである。漱石はクレイグ先生という学者の個人教授を受けて、学校へ行ってない。したがって交際がない。男女を問わず教養あるイギリス人で漱石と食事を共にした者は一人もない。これが漱石をイギリス嫌いにした一因だろうと平川祐弘氏は書いている。」

 「これよりさき森鷗外は軍医としてドイツに留学している。鷗外は軍人として当然しなければならない社交を、進んでしている。いわゆる上流社会にも立ちまじっている。明治十七年十月から二十一年九月にかけての四年間である。
 鷗外の身長はどのくらいか、よくわからないが、露伴と共に写した写真が残っている。露伴は色白く丈低く太った人だと一葉は書いている。明治二十九年に背の低い人だといえばおよそのことは察しられる。その露伴と共に立って、それほど違わないなら鷗外の身長も察しられる。顔色も特にすぐれてはいないという。容貌は立派ではあるけれど、日本人として立派なので、西洋人と並んで立派だというわけではない。
 鷗外もまた鏡のなかに自分を見て驚いたはずなのに、そのことを言わない。顔が扁平なのにそのことを言わない。上流社会で相手にされないこともあっただろうに、そのことを言わない。かえってドイツの一流新聞で、ドイツの学者と論争したことを言う。国際赤十字会議で演説して成功したことを言う。」


   (山本夏彦著「ダメの人」中公文庫 所収)




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