「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

福沢諭吉の遺訓 2005・09・23

2005-09-23 06:06:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から昨日と同じテーマで。これも大のお気に入り。

 「むかし税金はわが国では殿様が、西洋では王様がとった。四公六民といって官が四を民が六をとることになっていたが、実際は

 そんなにとらなかった。百姓は秘術をつくしてごまかした。それを見て見ないふりをするのがいい代官だった。知らないのでは

 ない。知って知らぬふりをするのである。いつの世にも目こぼしというものがあって、目こぼしをしない役人は悪い役人である。

 ギリシャローマの昔から、税金をとりすぎると、社会はその重みにたえかねて崩壊した。その限度はいくらだか知らない。まあ

 五割だろう。五公五民を原則とする藩もあったが、励行できなかった。励行すると百姓は一揆をおこした。なかには将軍に直訴

 するものがあった。直訴すると苛斂誅求していることが表沙汰になって、自分たちもしているくせに、その藩はお咎めをうけた

 から、結局は四公六民あたりにおちついた。西洋では革命をおこした。

  いま税金をとるのは王様ではない。ゆりかごから墓場まで世話しろというのは、国民である。義務教育だから月謝はただ、

 教科書もただ、年をとったら乗物もただ、医者もただ、しまいにはただで老後の世話をせよと言って、国は次第にそれに応じる

 ようになる。結局それだけ税金はふえる。もしそれを給料からさし引くなら、五十万は二十五万に、三十万は十五万になる。

 すなわち五割で、五割とられれば国民は目がさめるかと思うとさめない。少なくともさめない国民が沢山いて、さめた少数は困る。

  昔は悪いのは殿様か王様だったから、彼らを倒せばよかったが、今は悪いのは自分自身だから、どこへも尻のもって行きどころ

 がない。それに私たちは悪いのは他人だと思う訓練なら受けているが、悪いのは自分だと思う訓練なら受けてない。そう思うこと

 をほとんど禁じられている。

  福沢諭吉の遺訓に、一、世の中で一番楽しく立派な事は生涯を貫く仕事をもつ事。一、世の中で一番みじめな事は人間として

 教養のない事。一、世の中で一番さびしい事はする仕事のない事。一、世の中で一番みにくい事は他人の生活をうらやむ事

 一、世の中で一番尊い事は人の為に奉仕して決して恩に着せない事。一、世の中で一番美しい事はすべてのものに愛情をもつ事。

 一、世の中で一番悲しい事はうそをつく事――という七条がある。

  本当のことをいうと、福沢全集のどこにもこの言葉はないそうである。弟子のひとりがほうぼうから拾い集めて七条にしたの

 ではないかといわれている。私はこのなかで、一番みにくいのは他人の生活をうらやむ事だという一条が気にいっている。この

 一条を紹介したいために全部を写したようなものである。

  民主主義というものは嫉妬心を開放して正当化すと、私が言っても信じないだろうから、諭吉の言葉を借りたのである。以前は

 人が恥じたねたみとやきもちが、正義になるのだから、こんな嬉しいことはない。

  以前私はデノミをすすめたことがある。千万だの億だのというから羨望にたえないのである。千万円を千円、一億円を一万円に

 すればそんなに腹はたたないだろう。私は個人の運命の責任は個人にあって、国にないと思っている。これも私の言葉ではない。

 プロテスタントの言葉で、今は時流にさからう言葉で、故に私の好きな言葉である。」

   (山本夏彦著「恋に似たもの」文春文庫 所収)






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする