今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「弱年のころ私は借りた本を写してみたことがある。返せと言われて、心外だったからである。借りた本を返せと言われるのは当り前のようで、そうでないのである。
物としての本の持主が、その本の中身の理解者であるとはかぎらない。彼は物としての本を所有しているだけで、読んでない、または読むことは読んだが、理解しない。そんな持主よりそれを借りてよく理解したもののほうが、その本の真の持主だと、むろん貸したほうは思わないが、借りたほうは思う。
こうして本は次第に借手のものになる。借りた本は返さなくていいと、口には出さないまでも、腹で思っているひとはたくさんいる。だから貸した本は返らないのである。
そしてある日、返してくれと言われると、借手はびっくりする。理不尽なことを言われたようにびっくりする。貸手は借手の驚きを見て、べつの驚きを驚く。」
「今にして思えば、昭和十年代は時間があり余っていた。けれども写すことはそのころでも時代遅れであること、今と変らなかった。その時代遅れを試みて、私は古人が模写を重んじる意味を知ったのである。昔の画工は名画を模写してその構図を知った。模して筆が躍るところへくると、同じく筆が躍った。躍らなければ似ても似つかぬ模写になるから、躍るまで写した。ついに躍れば画工は手本の画家と同格になる。五百年前千年前の名人と、つかの間ではあるけれども同格になる。
臨模という言葉があるくらいだから、日本画家の修業は模写にはじまると、ぼんやり私は思っていた。したがって、かりにも日本画家なら牡丹に唐獅子、竹に虎、四君子のごとき伝統の図案なら苦もなくかけると思っていたら、そうでないと知った。模写は行われなくなって久しくなる。
以前は日本画を学ぶには頼みとする師匠の門弟になって師匠と起居を共にして、一挙手一投足まで学んだ。美術学校ができて、このことはなくなった。
工芸の世界も写しである。指物師は親方譲りの指物をつくって一生を終える。同じく大工も一生を終える。創作しない。」
(山本夏彦著「ダメの人」中公文庫 所収)