今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「去年(五十四年)一月大阪の銀行であった猟銃強盗事件のことは『太陽』に書いた。テレビラジオは猟銃とライフル銃
の区別を言わなかった。拳銃もライフル銃の一種で一弾ずつ発射する。猟銃の弾は散弾で、一発のなかに何十何百の小さな
散弾がはいっていて、五十メートル以内の近距離から撃つと、直径三十センチ大の弾幕ができて、それに当るといちどきに
身に何十粒もくいこむ勘定で、それを言わなければどうして何十発なのか茶の間の主婦には分らない。
この事件の犯人梅川は奪った金で借金を返している。してみれば借りたものは返さなければならぬと思っている律義な男だ
ということが分る。机のかげでひそかにダイヤルを回して何人かの友に電話をかけている。友というのはスナックのマスター
と、そこへ出はいりする麻雀仲間で、これで彼は手帳を持参していたことが分る、それには麻雀仲間の電話番号がこまごま書
いてあったことが分る。このごに及んで彼は別れを告げる友を一人も持たなかったことが分る。スナックの友が友だろうか。
思いもかけぬ梅川から電話をもらったマスターは声をのんだ。『ま、がんばってしっかりやれや』と犯人に言われても返す
言葉がない。
梅川は四国の母親を訪ねると、マスターに土産を持ち帰ったそうで、私たちは戦後数多くの習慣を失ったが、旅をしたら
必ず土産を持って帰るというこの習慣だけは失わないと改めて痛感するのである。
私がここで言いたいのは、この犯人は私たちと酷似しているということで、大会社の社員だって定年でやめれば一度は
会社を訪ねることは許されても、二度と訪ねることは許されない。互にあわせる顔もなし、言うべき言葉もないから、本当は
一度も訪ねないのが礼儀なのである。そして五年たち十年たつと会社は全く彼を忘れるが、彼は忘れない。けれども電話を
かける相手はなく、死んでも知らせる人がなく、知らせても来る人がない。
日商岩井の島田という重役はおびただしい遺書を遺したが内容はなかった。彼は電話をかける相手がなかった。並の会社員
は以前は定年でやめても、帰って安住できる家族を持っていたが今は持たない。成人した子供たちは去って久しくなる。だし
ぬけだが、私たちが核家族を選んだのは重大な選択だったのではあるまいか。」
(山本夏彦著「恋に似たもの」文春文庫 所収)
「去年(五十四年)一月大阪の銀行であった猟銃強盗事件のことは『太陽』に書いた。テレビラジオは猟銃とライフル銃
の区別を言わなかった。拳銃もライフル銃の一種で一弾ずつ発射する。猟銃の弾は散弾で、一発のなかに何十何百の小さな
散弾がはいっていて、五十メートル以内の近距離から撃つと、直径三十センチ大の弾幕ができて、それに当るといちどきに
身に何十粒もくいこむ勘定で、それを言わなければどうして何十発なのか茶の間の主婦には分らない。
この事件の犯人梅川は奪った金で借金を返している。してみれば借りたものは返さなければならぬと思っている律義な男だ
ということが分る。机のかげでひそかにダイヤルを回して何人かの友に電話をかけている。友というのはスナックのマスター
と、そこへ出はいりする麻雀仲間で、これで彼は手帳を持参していたことが分る、それには麻雀仲間の電話番号がこまごま書
いてあったことが分る。このごに及んで彼は別れを告げる友を一人も持たなかったことが分る。スナックの友が友だろうか。
思いもかけぬ梅川から電話をもらったマスターは声をのんだ。『ま、がんばってしっかりやれや』と犯人に言われても返す
言葉がない。
梅川は四国の母親を訪ねると、マスターに土産を持ち帰ったそうで、私たちは戦後数多くの習慣を失ったが、旅をしたら
必ず土産を持って帰るというこの習慣だけは失わないと改めて痛感するのである。
私がここで言いたいのは、この犯人は私たちと酷似しているということで、大会社の社員だって定年でやめれば一度は
会社を訪ねることは許されても、二度と訪ねることは許されない。互にあわせる顔もなし、言うべき言葉もないから、本当は
一度も訪ねないのが礼儀なのである。そして五年たち十年たつと会社は全く彼を忘れるが、彼は忘れない。けれども電話を
かける相手はなく、死んでも知らせる人がなく、知らせても来る人がない。
日商岩井の島田という重役はおびただしい遺書を遺したが内容はなかった。彼は電話をかける相手がなかった。並の会社員
は以前は定年でやめても、帰って安住できる家族を持っていたが今は持たない。成人した子供たちは去って久しくなる。だし
ぬけだが、私たちが核家族を選んだのは重大な選択だったのではあるまいか。」
(山本夏彦著「恋に似たもの」文春文庫 所収)