今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日、一昨日と同じテーマで。
「昭和二十年八月以前と以後で、私たちは豹変した。これによって、私たちは一夜にして豹変する存在だということが分った。事典はその一夜を越えて用いられることを欲するものだから、いま流行の思潮によって取捨してはいけないのである。
私は百科事典をめったに利用しないから、その例をたくさん知らないが、それでも二、三あげることができる。この事典には教育勅語の全文が出てない。軍人勅諭の全文が出てない。その項目はあっても、そこにはこの勅語がいかに教育を毒したか、いかに天皇制国家の精神的支柱であったか、いかに自然法思想、基本的人権思想を欠いたものであったか――というようなことが書いてあって、ついに勅語そのもののテキストは出てないのである。
この事典は項目ごとに執筆者が署名して、文責を明らかにしている。故に意見を述べることが許されるという方針らしいが、肝腎なテキストなしで意見を述べられても読者は抵抗できない。
それに、一夜にして変る意見は、再び三たび変る恐れがある。後世が必要とするのはテキストである。事典をひらいて、その項目がありながら、原文がなくてその悪口があるなら、その編集方針は疑われても仕方がない。
教育勅語の原文は四百字に足りない。全三十一巻の事典だから、それをのせるスペースはあり余っている。この事典は事典の模範と見られているものである。ながく追随するものがなかったが、十なん年前から、多くの出版社が百科事典を出すようになって、いずれもこの事典のまねをしたから、ここにあるものは他にあって、ここにないものは他にない。教育勅語があるかないか、一々しらべる煩に耐えないから、有志はご自分の事典を見ていただきたい。
阿川弘之氏は八巻本の百科事典には軍艦大和、武蔵、陸奥、長門の名が出てない。アメリカの百科事典には全部出ている、と書いている。
総数二千点も出ている辞書、事典は多く写したものだとは始めに言った。それが許されるのは批評がないせいだとも言った。鑑札の如き項目が欠けているのは、あとから足せばいいのだからとがめないとも言った。けれども、原文を掲げないで批評をかかげ、文責を明らかにすればいいという方針は批評されなければならない。
私は映画のニュースやテレビのニュースを見て、事実が知りたいのに、意見をおしつけられて閉口することがある。意見はその時代を圧する意見だから聞くまでもない。その同じ意見を私はわが国の代表的な百科事典中に見て、次いでその亜流に見るのである。
私はこの短文のなかで、百科事典評をしているのではない。ただ批評の必要を説いているのである。」
(山本夏彦著「ダメの人」中公文庫 所収)
ついでながら、インターネット時代のフリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」に、岡山県「高梁市(たかはしし)」の記載があり、高梁市出身の著名人として、「木口小平」が(軍人、1872年-1894年)という説明を添えて掲載されています。「板倉勝静(幕末の老中、1823年-1889年)」、「児島虎次郎(画家、1881-1929年)」、「水野晴郎(映画評論家、映画監督、1931年-)」、「平松政次(元プロ野球選手・野球解説者、1947年-)」、「平松伸二(漫画家、1955年-)」などと並んで紹介されていますが、それぞれの人物について、どんな功績があったのか、何で有名なのかといった詳しい説明やエピソードの紹介は、紙幅の都合もあるのでしょう、ありません。
「昭和二十年八月以前と以後で、私たちは豹変した。これによって、私たちは一夜にして豹変する存在だということが分った。事典はその一夜を越えて用いられることを欲するものだから、いま流行の思潮によって取捨してはいけないのである。
私は百科事典をめったに利用しないから、その例をたくさん知らないが、それでも二、三あげることができる。この事典には教育勅語の全文が出てない。軍人勅諭の全文が出てない。その項目はあっても、そこにはこの勅語がいかに教育を毒したか、いかに天皇制国家の精神的支柱であったか、いかに自然法思想、基本的人権思想を欠いたものであったか――というようなことが書いてあって、ついに勅語そのもののテキストは出てないのである。
この事典は項目ごとに執筆者が署名して、文責を明らかにしている。故に意見を述べることが許されるという方針らしいが、肝腎なテキストなしで意見を述べられても読者は抵抗できない。
それに、一夜にして変る意見は、再び三たび変る恐れがある。後世が必要とするのはテキストである。事典をひらいて、その項目がありながら、原文がなくてその悪口があるなら、その編集方針は疑われても仕方がない。
教育勅語の原文は四百字に足りない。全三十一巻の事典だから、それをのせるスペースはあり余っている。この事典は事典の模範と見られているものである。ながく追随するものがなかったが、十なん年前から、多くの出版社が百科事典を出すようになって、いずれもこの事典のまねをしたから、ここにあるものは他にあって、ここにないものは他にない。教育勅語があるかないか、一々しらべる煩に耐えないから、有志はご自分の事典を見ていただきたい。
阿川弘之氏は八巻本の百科事典には軍艦大和、武蔵、陸奥、長門の名が出てない。アメリカの百科事典には全部出ている、と書いている。
総数二千点も出ている辞書、事典は多く写したものだとは始めに言った。それが許されるのは批評がないせいだとも言った。鑑札の如き項目が欠けているのは、あとから足せばいいのだからとがめないとも言った。けれども、原文を掲げないで批評をかかげ、文責を明らかにすればいいという方針は批評されなければならない。
私は映画のニュースやテレビのニュースを見て、事実が知りたいのに、意見をおしつけられて閉口することがある。意見はその時代を圧する意見だから聞くまでもない。その同じ意見を私はわが国の代表的な百科事典中に見て、次いでその亜流に見るのである。
私はこの短文のなかで、百科事典評をしているのではない。ただ批評の必要を説いているのである。」
(山本夏彦著「ダメの人」中公文庫 所収)
ついでながら、インターネット時代のフリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」に、岡山県「高梁市(たかはしし)」の記載があり、高梁市出身の著名人として、「木口小平」が(軍人、1872年-1894年)という説明を添えて掲載されています。「板倉勝静(幕末の老中、1823年-1889年)」、「児島虎次郎(画家、1881-1929年)」、「水野晴郎(映画評論家、映画監督、1931年-)」、「平松政次(元プロ野球選手・野球解説者、1947年-)」、「平松伸二(漫画家、1955年-)」などと並んで紹介されていますが、それぞれの人物について、どんな功績があったのか、何で有名なのかといった詳しい説明やエピソードの紹介は、紙幅の都合もあるのでしょう、ありません。