今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「つぶれた会社のもと社員は、どういうわけか仲好しである。時々同窓会に似たものを開いている。『満鉄』はそのなかの大きなものの随一で、独立した事務所があるくらいである。もと社員は死ぬまで満鉄の社員で、ほかの何ものでもないようである。
けれどもそこにあるのは『過去』である。四十年ぶりでめぐりあった男は、老人のなかに青年の面ざしをさぐりあて、何度も発した同じ驚きの声を発して久闊を叙すのである。
改造社の社員も折々は集まっているのだろうか。十年ほど前、改造のつぶれた経緯を書いたパンフレットが出たと聞いて、芝の某ビルまで買いに行ったことがある。改造と満鉄では会社の性質も規模も違うから、そこは独立した事務所ではなくて、もと社員がいま重役をしている某会社の一隅だった。それでも旧社員にとってはよりどころなのだろう。
つぶれた会社は美化される。だから何かにつけて集まろうとする。経営よろしきを得ないでつぶれた会社なら、社長は責任者だからのけものにされるかというと、必ずしもそうでない。社長が再起してくれれば、いつでもはせ参じるという社員がいる。言っては悪いがそれは有能な社員ではない。つぶれてもう十年になるなら、有能な社員はとうの昔に四散してどこかで活躍中である。いまだに旧社に恋々としているのは有能でないからで、薄情なようだがそれと縁を切らなければ再起はおぼつかないのである。
けれども縁を切れる人ばかりではない。切れない人もいる。そのダメな人を捨てきれないのは、自分にダメな部分があって、彼我のそれが呼応するからである。ダメのかたまりである私は、そのほうに親しみを感じないわけにはいかない。」
(山本夏彦著「冷暖房ナシ」文春文庫 所収)
「つぶれた会社のもと社員は、どういうわけか仲好しである。時々同窓会に似たものを開いている。『満鉄』はそのなかの大きなものの随一で、独立した事務所があるくらいである。もと社員は死ぬまで満鉄の社員で、ほかの何ものでもないようである。
けれどもそこにあるのは『過去』である。四十年ぶりでめぐりあった男は、老人のなかに青年の面ざしをさぐりあて、何度も発した同じ驚きの声を発して久闊を叙すのである。
改造社の社員も折々は集まっているのだろうか。十年ほど前、改造のつぶれた経緯を書いたパンフレットが出たと聞いて、芝の某ビルまで買いに行ったことがある。改造と満鉄では会社の性質も規模も違うから、そこは独立した事務所ではなくて、もと社員がいま重役をしている某会社の一隅だった。それでも旧社員にとってはよりどころなのだろう。
つぶれた会社は美化される。だから何かにつけて集まろうとする。経営よろしきを得ないでつぶれた会社なら、社長は責任者だからのけものにされるかというと、必ずしもそうでない。社長が再起してくれれば、いつでもはせ参じるという社員がいる。言っては悪いがそれは有能な社員ではない。つぶれてもう十年になるなら、有能な社員はとうの昔に四散してどこかで活躍中である。いまだに旧社に恋々としているのは有能でないからで、薄情なようだがそれと縁を切らなければ再起はおぼつかないのである。
けれども縁を切れる人ばかりではない。切れない人もいる。そのダメな人を捨てきれないのは、自分にダメな部分があって、彼我のそれが呼応するからである。ダメのかたまりである私は、そのほうに親しみを感じないわけにはいかない。」
(山本夏彦著「冷暖房ナシ」文春文庫 所収)