今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「すでに亡びた花柳界の義理と人情を私は知りたいと思っている。有島武郎は『或る女』のなかで明治の女で人間らしく生きたのは芸者くらいかと書いている。谷崎潤一郎は明治の芸者の人気は全盛期の映画スターをはるかに凌いだ、日本中の男のあこがれの的だったと書いている。芸者たちの写真は絵葉書にして売出されたから、その名は全国に知られた。」
「色と欲の世界なのに花柳界はたいてい美化して書かれる。私はそれを芝居で見た、小説で読んだ、もと妓籍にあった老女の懐旧談で知った。
大阪の舞妓照葉(てりはが本当だが誤り読まれるので自分でもてるはと書いた)が自分の小指を切って一世を驚かしたのは明治四十三年十五のときだとは、このごろその自伝で知った。」
「私が知りたいのは多く些事である。些事しか私には興味がないのである。
芸者は芸を売って色を売らないという。これは照葉ではないが、色を売らないはずの芸者の懐旧談のなかに枕をかわした男のなかには顔もおぼえてないのがいると、ついうっかり書いたのをみたことがある。
それなら『みず転』と同じではないかというと同じではないのである。芸を売る芸者だという看板をあげておきさえすれば、かげでは何といわれても枕芸者ではないのである。第一衣裳がちがう。みず転は初めからみず転で、だれも衣裳に金をかけてくれない。
人みな飾って言うと私は書いたことがある。一双の玉臂千人の枕――浮き川竹のつとめをしたものは本当のことを言うつもりでもなかなか言えない。一度や二度みごもったり、悪い病気をわずらったはずなのにそれを書いたものを見ない。いくら苦労しても人はついに本当の告白はできないのではないか、自慢話しかできないのではないか、私は些事を通してこのうそで固めた世の中の一端を描いてみたいと思っている。」
(山本夏彦著「『豆朝日新聞』始末」文春文庫 所収)
「すでに亡びた花柳界の義理と人情を私は知りたいと思っている。有島武郎は『或る女』のなかで明治の女で人間らしく生きたのは芸者くらいかと書いている。谷崎潤一郎は明治の芸者の人気は全盛期の映画スターをはるかに凌いだ、日本中の男のあこがれの的だったと書いている。芸者たちの写真は絵葉書にして売出されたから、その名は全国に知られた。」
「色と欲の世界なのに花柳界はたいてい美化して書かれる。私はそれを芝居で見た、小説で読んだ、もと妓籍にあった老女の懐旧談で知った。
大阪の舞妓照葉(てりはが本当だが誤り読まれるので自分でもてるはと書いた)が自分の小指を切って一世を驚かしたのは明治四十三年十五のときだとは、このごろその自伝で知った。」
「私が知りたいのは多く些事である。些事しか私には興味がないのである。
芸者は芸を売って色を売らないという。これは照葉ではないが、色を売らないはずの芸者の懐旧談のなかに枕をかわした男のなかには顔もおぼえてないのがいると、ついうっかり書いたのをみたことがある。
それなら『みず転』と同じではないかというと同じではないのである。芸を売る芸者だという看板をあげておきさえすれば、かげでは何といわれても枕芸者ではないのである。第一衣裳がちがう。みず転は初めからみず転で、だれも衣裳に金をかけてくれない。
人みな飾って言うと私は書いたことがある。一双の玉臂千人の枕――浮き川竹のつとめをしたものは本当のことを言うつもりでもなかなか言えない。一度や二度みごもったり、悪い病気をわずらったはずなのにそれを書いたものを見ない。いくら苦労しても人はついに本当の告白はできないのではないか、自慢話しかできないのではないか、私は些事を通してこのうそで固めた世の中の一端を描いてみたいと思っている。」
(山本夏彦著「『豆朝日新聞』始末」文春文庫 所収)