今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。今から20年ほど前に書かれたコラムの一節です。旧弊が改められるまでには気の遠くなるほど長い時間がかかるものです。
「何年か前『暮しの手帖』は『こわれもの』と但書きして茶わん二百なん十組を全国に送ってテストした。宅配便はほとんど割れないで着いた。次いで鉄道小荷物は一割四分、郵便小包は実に半分こわれて着いたという。窓口の女はきっと割れますよと保証して、それでもいいならと引受けて『こわれもの』と書いた注意書をマジックで塗りけしたという。
なぜこわれるかというと投げつけるからである。局員は明治の郵便開始以来小包は投げるものと心得て育ったのだから、今さら改めることはできない。こうして郵便小包の扱数は激減したのである。そこで十個以上まとめて出すなら二割引、百個以上なら二割五分引にするとたまりかねて言いだした。幹部は客をとりもどしたいらしい。
その幹部もはじめは宅配便を郵便法違反で取押さえてこの危機を免れようとした。それができなければせめて小さいものを扱わせまいとして、何年か扱わせなかったがついに古い規則では抗しきれなくなって小型六百円を許した。
六百円であくる日着くなら、いかなる速達小包より安い。速達にしたって明日着くとは保証できないと窓口嬢は言うから、窓口は客を追いはらっているようなものだ。文句を言うと郵便局は小包だけ出しているのではない、貯金も保険業務もしていると答える。
さて旧冬わが社はお歳暮の小包を近所の特定郵便局から三百個以上出した。郵便番号別にして料金別納スタンプを押して出した。いつもしていることだからしたが、考えてみればいずれも郵便局員がすべきことである。それをなが年命じて客にさせているのである。こっちは窓口を独占して他の客に迷惑をかけては悪いと思ってしているのである。すっかり片づいたあとで局員は、これだけ数がまとまっているなら、電話すれば取りに行くのにとつぶやいた。
『えっ』と思わず声をあげたら何十個以上まとまれば取りにきてくれるのだそうである(但し手があいていれば)。『だれが?』『本局の係員が』。
あとからここは特定局であって本局ではない。それならそうと早く言ってくれれば混みあわないですんだのである。小声で言ったのはそんなサービスをするのが不本意だからである。ここが『官』と『半官』と『民』のちがいである。」
「古い規則を励行してまだ意地悪できるのは、役人にとってはこの上ない快事である。さぞかし宅配便にもしたことだろう。
全逓にかぎらず国鉄でも幹部は少しでも客をとり戻したいと思っているが、下っぱは『こわれますよ』と引受けまいとする。親の心子知らずかというと実はそうでないのである。ナニ上役だって本当はサービスなんかしたくないのである。そもそもそんな発想はないのである。うそだと思うなら、別納便のスタンプを局員に押させることを考えてみるがいい。それと察して下っぱもサービスなんかするつもりはないのである。両者はいまだに一心同体である。」
(山本夏彦著「『豆朝日新聞』始末」文春文庫 所収)
「何年か前『暮しの手帖』は『こわれもの』と但書きして茶わん二百なん十組を全国に送ってテストした。宅配便はほとんど割れないで着いた。次いで鉄道小荷物は一割四分、郵便小包は実に半分こわれて着いたという。窓口の女はきっと割れますよと保証して、それでもいいならと引受けて『こわれもの』と書いた注意書をマジックで塗りけしたという。
なぜこわれるかというと投げつけるからである。局員は明治の郵便開始以来小包は投げるものと心得て育ったのだから、今さら改めることはできない。こうして郵便小包の扱数は激減したのである。そこで十個以上まとめて出すなら二割引、百個以上なら二割五分引にするとたまりかねて言いだした。幹部は客をとりもどしたいらしい。
その幹部もはじめは宅配便を郵便法違反で取押さえてこの危機を免れようとした。それができなければせめて小さいものを扱わせまいとして、何年か扱わせなかったがついに古い規則では抗しきれなくなって小型六百円を許した。
六百円であくる日着くなら、いかなる速達小包より安い。速達にしたって明日着くとは保証できないと窓口嬢は言うから、窓口は客を追いはらっているようなものだ。文句を言うと郵便局は小包だけ出しているのではない、貯金も保険業務もしていると答える。
さて旧冬わが社はお歳暮の小包を近所の特定郵便局から三百個以上出した。郵便番号別にして料金別納スタンプを押して出した。いつもしていることだからしたが、考えてみればいずれも郵便局員がすべきことである。それをなが年命じて客にさせているのである。こっちは窓口を独占して他の客に迷惑をかけては悪いと思ってしているのである。すっかり片づいたあとで局員は、これだけ数がまとまっているなら、電話すれば取りに行くのにとつぶやいた。
『えっ』と思わず声をあげたら何十個以上まとまれば取りにきてくれるのだそうである(但し手があいていれば)。『だれが?』『本局の係員が』。
あとからここは特定局であって本局ではない。それならそうと早く言ってくれれば混みあわないですんだのである。小声で言ったのはそんなサービスをするのが不本意だからである。ここが『官』と『半官』と『民』のちがいである。」
「古い規則を励行してまだ意地悪できるのは、役人にとってはこの上ない快事である。さぞかし宅配便にもしたことだろう。
全逓にかぎらず国鉄でも幹部は少しでも客をとり戻したいと思っているが、下っぱは『こわれますよ』と引受けまいとする。親の心子知らずかというと実はそうでないのである。ナニ上役だって本当はサービスなんかしたくないのである。そもそもそんな発想はないのである。うそだと思うなら、別納便のスタンプを局員に押させることを考えてみるがいい。それと察して下っぱもサービスなんかするつもりはないのである。両者はいまだに一心同体である。」
(山本夏彦著「『豆朝日新聞』始末」文春文庫 所収)