今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「英雄色を好むといって、むかし英雄は色を好んでも当然として許された。いっぽう恋愛を神聖なものにして、
そのぶん色情をおとしめる風も根強くあった。色をきたないものとみる人はまだまだいる、マスコミが大統領の
醜聞をあばくのはこの人々に対する迎合である。
自分のことは棚にあげ大統領にだけ聖人君子を求めるのは手前勝手である。いやクリントンはホワイトハウスの
一室でモニカ某としばしば情を通じた、それはやむを得ない、ただ裁判になったら手を回してその事実はなかった
と言えと圧力をかけた、咎めているのはその点だと言うがウソである。寝たか寝ないかこまごま書いて売ろうとして
売ったのである。
何代か前のケネディ大統領のホワイトハウスの執務室の隣りにはベッドルームの用意があった。ケネディは醜聞
に次ぐに醜聞をもってかえって人気があった。女優モデル社交界の花形黒人の美人モデル、ついにはマリリン・モンロー
まで登場して世界中の話題になった。国事に奔走しながらこれだけ浮名を流したのは昔なら英雄である。
後継者のジョンソン大統領は秘書の名義で雇った何人かの女を同じベッドルームに呼んで白昼相手をさせたという。
大統領は劇務である。多忙と多忙の間に欲望は勃然ときざす。その時のために雇ったのである。大統領に恋愛なんぞで
ひまをつぶされては国民は迷惑する。
それが昨今の新聞記者は大統領候補に『貴下は姦通したことがあるか』と問うという。むろん候補はないと答える。
ないと答えたら、いやここにある、かしこにあるとあばいて直となす。うそを強いておいてうそだうそだと責めて
正義はわが頭上にある。
わが国では待合政治といって、政治家は、もっぱら待合を利用した。ここでの密議は絶対に外に漏れなかった。
給仕の女は一流の芸者である。むろんあとで枕席に侍った。待合にも一流から末流まであって、分際に応じて
接待をしたからノーパンしゃぶしゃぶのたぐいで失脚することはなかった。
今さら返らぬことながら公娼制度というものはよく出来ていた。吉原、品川、新宿以下無数の廓に限って売笑を
許したのは古人の知恵である。私娼は発見次第捕えられて、廓に送りこまれたから西洋のような街娼は育たなかった。
援助交際は生じなかった、生じたらすぐ捕えられ廓に送りこまれ本職にさせられた。」
「ひとたび禁じたものを復活させることは出来ない。けれども人は清く正しく明るいばかりの存在ではない。内に
邪悪なものを蔵しながら、それを忘れて明るく振舞って、露見するまで潔白だと思い思われ、他を咎めて平然たる
存在である。アメリカ人は時として何をするか分らぬ国民である。あまりまねしないほうがいい。」
(山本夏彦著「死ぬの大好き」新潮社刊 所収)
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