今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「往年の新帰朝者永井荷風は『監獄署の裏』という小編のなかに次のように書いた。
――私はすでに三十になっている。まだ家をなしてない。父の大きな屋敷の一室に閉居している。処は市ヶ谷監獄署の裏である。父は私に将来何になるつもりかおだやかに聞いた。新聞記者になろうか、いや私はことによったら盗賊になっても、まだ正義と人道を商品にするほどの悪徳には馴れていない。私はもし社会が新聞によって正されるなら、その正された社会は正されない社会より暗黒だろうと思っている、云々。
荷風がこれを書いたのは明治四十一年で、私がこれを読んだのは昭和十二年である。かねがね私は何を売ってもいいが、正義だけは売ってはならぬと思っていたから、荷風のこの言葉はわが意を得ていまだに忘れないのである。
もう一つ売ってはならぬものに『平和』がある。そして正義と平和を毎日のように呼号し売っているものに新聞がある。
正義は利益にならないで損になる。正義と利益を並べてどっちをとるかと迫られたら、利益を捨てて正義をとってはじめて正義である。だから正義の人は損益を言うならもっぱら損である。足尾銅山の鉱毒事件の田中正造は正義をとって生涯損した。」
「いま、戦争は悪で不幸だと新聞は毎日のように書いている。けれども侵略と戦ったり自由のために戦うのは正義である。だから戦争は悪だと言われても、なお正義かもしれないと疑われると田中美知太郎は言っている。ただ怒りをこめて他を非難すれば、誰でも正義になれるというのは、いったいどういう正義なのだろうかというほどのことも言っている。」
「新聞が呼号し売買する正義は常に読者の利益と一致する正義である。読者が欲する正義は損しない正義で、それは多く正義ではない。平和もまたそうである。これは内村鑑三が『平和なときの平和論』という一語で言い尽した。平和なときに平和論を喋喋するものは戦争になると黙して、たちまち戦争支持に転じ、支持しないものがいると支持する仲間に引きいれようとする。それでも平和論を唱えてやまないと、見放して当局に密告するか、石を投げる。投げるのはほかならぬあの平和なときに平和論を唱えた者どもだと内村は言っていると私は理解して内村に代って何度でも言う。」
(山本夏彦著「『豆朝日新聞』始末」文春文庫 所収)
「往年の新帰朝者永井荷風は『監獄署の裏』という小編のなかに次のように書いた。
――私はすでに三十になっている。まだ家をなしてない。父の大きな屋敷の一室に閉居している。処は市ヶ谷監獄署の裏である。父は私に将来何になるつもりかおだやかに聞いた。新聞記者になろうか、いや私はことによったら盗賊になっても、まだ正義と人道を商品にするほどの悪徳には馴れていない。私はもし社会が新聞によって正されるなら、その正された社会は正されない社会より暗黒だろうと思っている、云々。
荷風がこれを書いたのは明治四十一年で、私がこれを読んだのは昭和十二年である。かねがね私は何を売ってもいいが、正義だけは売ってはならぬと思っていたから、荷風のこの言葉はわが意を得ていまだに忘れないのである。
もう一つ売ってはならぬものに『平和』がある。そして正義と平和を毎日のように呼号し売っているものに新聞がある。
正義は利益にならないで損になる。正義と利益を並べてどっちをとるかと迫られたら、利益を捨てて正義をとってはじめて正義である。だから正義の人は損益を言うならもっぱら損である。足尾銅山の鉱毒事件の田中正造は正義をとって生涯損した。」
「いま、戦争は悪で不幸だと新聞は毎日のように書いている。けれども侵略と戦ったり自由のために戦うのは正義である。だから戦争は悪だと言われても、なお正義かもしれないと疑われると田中美知太郎は言っている。ただ怒りをこめて他を非難すれば、誰でも正義になれるというのは、いったいどういう正義なのだろうかというほどのことも言っている。」
「新聞が呼号し売買する正義は常に読者の利益と一致する正義である。読者が欲する正義は損しない正義で、それは多く正義ではない。平和もまたそうである。これは内村鑑三が『平和なときの平和論』という一語で言い尽した。平和なときに平和論を喋喋するものは戦争になると黙して、たちまち戦争支持に転じ、支持しないものがいると支持する仲間に引きいれようとする。それでも平和論を唱えてやまないと、見放して当局に密告するか、石を投げる。投げるのはほかならぬあの平和なときに平和論を唱えた者どもだと内村は言っていると私は理解して内村に代って何度でも言う。」
(山本夏彦著「『豆朝日新聞』始末」文春文庫 所収)