今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「まことに投書は記事の生き写しである。これを見るごとに私は我々の『口』は
何のためにあるかを思わずにはいられない。他人と同じことを言うためにある。
ちがうことを言うのは恐ろしい。だからキャンペーンという。
同じことをいっせいに言うことである。」
「投書は掲載されることを欲するから、掲載されないと予想される文を投ずる者は
ない。投書は常に新聞と同意見である。すこし違った意見があっても、それは
色どりに採用されたのである。
新聞と投書の仲は戦前と同じである。二・二六事件の前後の新聞は、政党者流を
利権の亡者、財閥の走狗と書くこと毎日のようだった。それをまに受けて青年
将校は閣僚重臣を殺した。殺したのはよくないがその憂国の至情は諒とすると
新聞は書いたから、諒とする投書が集まった。ほら血書まであると写真入りで
報じたから、投書はさらに集まった。集まったのではない。集めたのである。」
(山本夏彦著「愚図の大いそがし」文春文庫 所収)
「まことに投書は記事の生き写しである。これを見るごとに私は我々の『口』は
何のためにあるかを思わずにはいられない。他人と同じことを言うためにある。
ちがうことを言うのは恐ろしい。だからキャンペーンという。
同じことをいっせいに言うことである。」
「投書は掲載されることを欲するから、掲載されないと予想される文を投ずる者は
ない。投書は常に新聞と同意見である。すこし違った意見があっても、それは
色どりに採用されたのである。
新聞と投書の仲は戦前と同じである。二・二六事件の前後の新聞は、政党者流を
利権の亡者、財閥の走狗と書くこと毎日のようだった。それをまに受けて青年
将校は閣僚重臣を殺した。殺したのはよくないがその憂国の至情は諒とすると
新聞は書いたから、諒とする投書が集まった。ほら血書まであると写真入りで
報じたから、投書はさらに集まった。集まったのではない。集めたのである。」
(山本夏彦著「愚図の大いそがし」文春文庫 所収)