今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「私はテレビも新聞もろくに見ません。それでいて知ったふりして毎週コラムを書くのは申訳ないので、
時々実物を見に行きます。六本木に行きます。原宿に行きます。行けば得るところがあります。
六本木の『アマンド』は渋谷のハチ公と同じく目じるしだなと分ります。今度はそのハチ公前に立つと、
ハタチそこそこの若者につきあたります。このスキンシップに揉まれたくて若者は盛り場に集まるのだなと
分ります。
アベックはいくらでもいますが羨望にたえないのはいません。ながいながい息もつまるような接吻をしている
男女は、むかしパリでよく見ましたが東京では見ません。街頭の接吻は日本人には馴染まないとみえます。
私は若者の大群を見て、もう一度ハタチの昔にかえりたいとはつゆ思いません。あれは虫けらです。
私は折々女になる、犬になるくらいですから虫けらになるくらいわけはありません。その目で見あげると人間
の雌雄は区別がつきません。
言うまでもなく私は若者をばかにしているのではありません。それどころか私は十年前のハチ公前に立ちます。
若者たちが雑踏していること今と同じです。五十年前のそこに立ちます。ひしめいているのは今の老人のハタチ
の昔で、それは現在只今の、いや百年前の千年前の若者と寸分たがいません。」
(山本夏彦著「愚図の大いそがし」文春文庫 所収)
「私はテレビも新聞もろくに見ません。それでいて知ったふりして毎週コラムを書くのは申訳ないので、
時々実物を見に行きます。六本木に行きます。原宿に行きます。行けば得るところがあります。
六本木の『アマンド』は渋谷のハチ公と同じく目じるしだなと分ります。今度はそのハチ公前に立つと、
ハタチそこそこの若者につきあたります。このスキンシップに揉まれたくて若者は盛り場に集まるのだなと
分ります。
アベックはいくらでもいますが羨望にたえないのはいません。ながいながい息もつまるような接吻をしている
男女は、むかしパリでよく見ましたが東京では見ません。街頭の接吻は日本人には馴染まないとみえます。
私は若者の大群を見て、もう一度ハタチの昔にかえりたいとはつゆ思いません。あれは虫けらです。
私は折々女になる、犬になるくらいですから虫けらになるくらいわけはありません。その目で見あげると人間
の雌雄は区別がつきません。
言うまでもなく私は若者をばかにしているのではありません。それどころか私は十年前のハチ公前に立ちます。
若者たちが雑踏していること今と同じです。五十年前のそこに立ちます。ひしめいているのは今の老人のハタチ
の昔で、それは現在只今の、いや百年前の千年前の若者と寸分たがいません。」
(山本夏彦著「愚図の大いそがし」文春文庫 所収)