今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「ヒトラーの全盛時代は十年である。おごる平家だって二十年である。栄枯は一炊の夢だと書いたら一睡の夢だろう、字引ぐらい引け、またそのまま印刷に付す編集部も編集部だという手紙をもらったので驚いたことがある。
『邯鄲の夢の枕』また『盧生の夢』の故事はまだ生きているつもりで書いたのは必ずしも私の落度ではない。謡曲に『邯鄲』がある。黄表紙に『金金先生栄花夢』がある。盧生という若者が栄華の都邯鄲の旅籠で粥を待つうちついうとうと眠ると、富貴をきわめたり零落したりする一生の夢を見た。目ざめればもとの盧生である。粥はまだ炊きあがっていなかった。
夕べは一睡もしなかったという言葉はむろんあるが、栄華は一炊の夢でなければならない。この人はあとで待てよと字引をひいてしまったと後悔したのではないかと、むろん返事はしなかった。この時も笑った。」
(山本夏彦著「『豆朝日新聞』始末」文春文庫 所収)
「ヒトラーの全盛時代は十年である。おごる平家だって二十年である。栄枯は一炊の夢だと書いたら一睡の夢だろう、字引ぐらい引け、またそのまま印刷に付す編集部も編集部だという手紙をもらったので驚いたことがある。
『邯鄲の夢の枕』また『盧生の夢』の故事はまだ生きているつもりで書いたのは必ずしも私の落度ではない。謡曲に『邯鄲』がある。黄表紙に『金金先生栄花夢』がある。盧生という若者が栄華の都邯鄲の旅籠で粥を待つうちついうとうと眠ると、富貴をきわめたり零落したりする一生の夢を見た。目ざめればもとの盧生である。粥はまだ炊きあがっていなかった。
夕べは一睡もしなかったという言葉はむろんあるが、栄華は一炊の夢でなければならない。この人はあとで待てよと字引をひいてしまったと後悔したのではないかと、むろん返事はしなかった。この時も笑った。」
(山本夏彦著「『豆朝日新聞』始末」文春文庫 所収)