「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

寒夜母を思ふ Long Good-bye 2021・06・19

2021-06-19 05:30:00 | Weblog



  今日の「お気に入り」は、作家 井伏鱒二 さん ( 1898 - 1993 ) の 「 寒夜母を思ふ 」 と題した 詩 一篇 。


  「 今日ふるさとの母者から
    ちょっといいものを送って来た
    百両のカハセを送って来た
    ひといきつけるといふものだらう

    ところが母者は手紙で申さるる
    お前このごろ横着(わうちゃく)に候
    これをしみじみ御覧ありたしと
    私の六つのときの写真を送って来た

    私は四十すぎたおやぢである
    古ぼけた写真に用はない
    私は夜ふけて原稿書くのが商売だ
    写真などよりドテラがいい

    私は着たきりの着たきり雀
    襟垢は首にひんやりとする
    それで机の前に坐るにも
    かうして前こごみに坐ります

    今宵は零下何度の寒さだらう
    ペンのインクも凍(い)てついた
    鼻水ばかり流れ出る
    それでも詩を書く瘦せ我慢

    母者は手紙で申さるる
    お前の瘦せ我慢は無駄ごとだ
    小説など何の益にか相成るや
    田舎に帰れよと申さるる

    母者は性来ぐちつぽい
    私を横着者だと申さるる
    私に山をば愛せと申さるる
    土地をば愛せと申さるる
    祖先を崇(あが)めよと申さるる

    母者は性来のしわんばう
    私に積立貯金せよと申さるる
    お祖師様を拝めと申さるる
    悲しいかなや母者びと     」

   ( 井伏鱒二著 「 厄除け詩集 」 講談社文芸文庫 所収 )




       

 フリー百科事典「 ウィキペディア 」には、作家の 井伏鱒二 さん について次のような解説が載っています。

  「 井伏 鱒二( いぶせ ますじ 、1898( 明治31年 ) - 1993 ( 平成5年 ) )は、
   日本の小説家。本名は 井伏 滿壽二( いぶし ますじ )
   広島県 安那郡 加茂村 (現・ 福山市 )生まれ 。筆名 は 釣り好き だったことによる。
   文化勲章受章 。」

  「 来歴
    1898年、広島県 安那郡 加茂村 粟根 に父・ 井伏郁太 、母・ ミ ヤの 次男 として生まれた。
    井伏家 は 室町時代 の 1442年 ( 嘉吉 2 年 )まで遡れる旧家で、『 中ノ士居 』の屋号をもつ代々の
    地主 である。 5歳 のときに 父を亡くし、特に 祖父 にかわいがられて育つ。

    1905年、加茂小学校 入学。

    1912年、旧制 広島県立 福山中学校 (現 広島県立 福山誠之館高等学校 )に進学した。
    同校の庭には池があり、2匹の 山椒魚 が飼われていて、これがのちに 処女作 として発表され、
    世に知られることとなる『 山椒魚 』に結びついた。
    作文は得意 だったが 成績はあまり振るわず、中学校3年生ころ から 画家 を志し、卒業すると
    3か月間奈良・京都を 写生旅行 。そのとき泊まった宿の主人が偶然 橋本関雪 の知り合いと聞き、
    スケッチを託して 橋本関雪に入門を申し込んだが断られ 、やむなく 帰郷 する。

    後に、同人誌に投稿などをしていた 文学好きの兄 からたびたび勧められていたこともあり、
    井伏は 文学に転向 することを決意、 早稲田大学 文学部 仏文学科 に 入学 する。
    そこで同じ学科の 青木南八 と親交を深める一方、文壇で名を成していた 岩野泡鳴 や 谷崎精二
    らのもとを 積極的に訪ねる ようになる。

    しかし1921年、三回生の時、井伏 は担当の 片上伸教授 と『 衝突 』し、やむなく 休学 し 帰郷 、
     母と兄の配慮 により中学時代の恩師を人伝に仲介を受け、 御調郡(旧・ 因島市 、現・ 尾道市 )
    因島三庄町千守の 土井医院 2階へ逗留することとなった。

    約半年後に帰京、 復学の申請 をするが、 同教授が反対した ためかなわず、やむなく 中退 となった。
    さらにこの年、無二の親友だった 青木南八 が 自殺 するに及んで、井伏は 日本美術学校 も
     中退 してしまう。

    1923年、同人誌『 世紀 』に参加し、『 幽閉 』を発表。翌年、 聚芳社 に入社するが、 退社 と 再入社 を
    繰り返した 後、 佐藤春夫 に師事するようになる。


    以上、「 ウィキペディア 」に載っている 井伏鱒二 さんの 人生の黎明期 ( 出生から25歳時まで )

   の「 履歴 」です。

    はじめて自作を世に問うたのが 1923年 ( 大正12年 ) 、25歳の時ですから、

    御年95歳になられた1993年 ( 平成5年 ) 《 この年の6月24日、荻窪の東京衛生病院に緊急入院し、

   7月10日に肺炎で亡くなる ⦆ までの 約70年間、ひたすら文学者、作家としての人生を歩まれたことになります。



    


    「 幽閉 」を改作した 「 山椒魚 」は、筆者が接した最初の井伏作品で、「 屋根の上のサワン 」が二つ目。

   確か、中学校の教科書で読んだのが「 山椒魚 」で、夏休みの宿題の読書感想文の課題図書が「 屋根の上

   のサワン 」だったような。いずれも1929年 ( 昭和4年 ) の作品です。

   直木賞を受賞された「 ジョン萬次郎漂流記 」が1938年 ( 昭和13年 ) 、文芸春秋の「 本日休診 」が

   1950年 ( 昭和25年 ) 、そして 新潮の「 黒い雨 」 ( 野間文芸賞 ) が 1966年 ( 昭和41年 ) で、

   この年 68歳で 文化勲章 を受章されています。

   筆者が社会人になった 1970年 ( 昭和45年 ) には、御年72歳、日本経済新聞に「 私の履歴書( 半生

   記 ) 」を連載しておられました。

   


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