今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「 私は記事より広告を信じると言うと、怪しむ人があるがそれは間違っている。記事は給金を
もらっている新聞記者が書くから、デスクまたはその社の社長の気にいることしか書かない。
当時の新聞が反米親ソ(または親中国)なら、反米の記事を書く。アメリカの原爆はいけない
がソ連(または中国)の原爆ならいいと書く。バカバカしいと今は思うだろうが、当時は思わ
ない。それをもっともらしく書くのが記者の腕だから、記事はあいまい難解になる。そして
読者はそれを信じる。」
「 再び言うが、記者は月給をもらっているからウソを書く。時と場合によって中国ソ連また北
朝鮮べったりの記事を書く。北ベトナム軍が共産軍だと知りながら、終始解放軍だと書いた
のは社をあげて反米だったからである。それなら今も鬼畜米英か。記者はわずかな出世のため
に、あるいは没書にならないために国を誤る、または売ることがある。
広告は一字千金、莫大な金を払うのだからまず分らないことは書かない。自分の利を書いて
も不利は書かない。不利を言わないのは裁判でも許されている。読者の目をひいて読ませ、立
って歩ませて、買いに行かせるのだから並々ならぬ手腕である。
私は広告を出すのも好きだが、もらうのも好きである。私はインテリアの情報誌『室内』を
経営して近く満四十年になる。『室内』には広告がいっぱいはいっている。この不景気に激減
するかと思うと一割そこそこしか減らないからまあ経営は健全なほうである。四十年続く雑誌
は稀である。あの『少年倶楽部』だって四十年は続いてない。なぜ私の雑誌が続いたかという
と全盛時代がなかったからである。満つれば欠くるといって、全盛時代があればあとは衰える
ばかりである。」
「 私は記事を見ないで広告を見る。ことに週刊誌の広告を見ると、そのレイアウトは今どきこん
なきたないのがあるかと思うほどきたない。けれどもそこではニュースはすでにふるい落され
ている。婦人週刊誌まで硬軟十なん誌をタイトルだけ見れば今週の出来事の全部が分る。読む
に及ばないことまで分る。」
(山本夏彦著「世は〆切」文春文庫 所収)