今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)と山本七平さん(1921-1991)の対談集から。
「 夏彦 僕は二葉亭四迷をよく知ってるンです。そう言うとね、みんなびっくりして、どこでどうして知ったか
なんて膝を乗り出してくるんです。あの人明治四十二年に死んでます。大正生まれの僕が知るわけないじゃあ
りませんか(笑)。
僕はね、死んだ人と生きてる人をはっきり区別したことがないんです。いま生きている人、必ずしも生きてる
わけじゃない。すでに死んだ人のほうがまざまざと生きていることがありますからね。僕にとって二葉亭四迷
も幸徳秋水もそういう人です。
七平 そうそう。関心がないのは、みんな死んでるんだ(笑)。
夏彦 いや、生きてるつもりで、実は死んでる人でこの世はみちみちています。高風を欽慕するっていう古い言葉
がありますが、僕は二葉亭の高風を欽慕しているんです。」
「 夏彦 二葉亭は文学は男子一生の事業でないと思っていた。じゃ本当は何になりたかったのか。
七平 何でしたっけ、かれ、本職は。
夏彦 初め軍人になりたかったんですね。けれどもちか目でしたから駄目でした。次いで外交官になって国事に奔
走するつもりだった。外国語学校に入ったのはツルゲーネフを読むつもりじゃない。来るべき日清日露の戦さに
備えるためでした。ひと口に言うと、あの人はすこし遅れて生まれた、維新の志士みたいな人でした。志はいつ
も天下国家にありました。
七平 うーむ。天下国家ねえ。国家という言葉は、ま、どこの国にもあるんでしょうけど、テンカコッカという日
本語は少々独特なんだなあ。あれ、始末が悪いもんなんです。」
(山本夏彦・山本七平著「夏彦・七平の十八番づくし」中公文庫 所収)