今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)と山本七平さん(1921-1991)の対談集から。
「 夏彦 僕が好きな人に、一葉女史がいます。僕は一葉になが年惚れています。死んだ人に惚れる人は
ずいぶんいて、その話をするといつ果つべしとも思われませんから、今日は自ら禁じます。
その一葉女史はわずか二十五で死んでいます。数え年二十五で死んだんですから、何ほどのことや
あらん、と思う人があるかもしれませんが、そうじゃないんです。早く死ぬ人は、それまでに完成
して死ぬんですよ。
七平 うん、うん。
夏彦 燃焼し尽して死ぬんです。
七平 そうね。」
「 夏彦 石川啄木なんて、数えの二十七で死んでますから、満の二十六くらいと思うかもしれないけど、
そうじゃないんです。あの人は二十六年間に、一生涯につくほどの嘘はみんなついちゃった。
七平 一生涯にかける迷惑はみんなかけちゃった。同じく一生涯に借りられる金はみんな借りちゃった。
金田一京助は啄木にとっては神さまみたいな人ですよ。
夏彦 僕は啄木は好きじゃありませんが、やっぱり生きてる人のように知ってるんですよ。借りた金を
返さないけれど悪人じゃない人のひとりですな。」
「 夏彦 金田一はのちにアイヌの『ユーカラ』(岩波書店)を訳した人です。あれは名訳ですよ。金田一
さんはね、文章が下手なんですよ。文章が下手だから、啄木を尊敬したのかもしれない。
七平 いや、そういうことってあるなあ。そういう友達っているのね、なんかね。どんな迷惑かけられて
も、なんで、おれはこんなやつのためにこんなにカネを払ってるんだろうと、自分でもよくわかんない
わけね。なんとなくそうなっちゃうっていうのいるんですね。
夏彦 ほんとですよ。金田一京助の『ユーカラ』っていうの、僕は昔々、二十代に読んだ時ね、なんて下
手くそな訳だろうと思ったんですよ。それがね、ながく記憶に残っているの。
アイヌラックルとオキクルミの話。アイヌラックルはアイヌの神様らしい、うろおぼえで恐縮ですが、
人間が出てきて何か言うと、このアイヌの神様は『たかが人間の言うことだとわれ思いしに』とつぶや
くんですが、やっぱり人間にしてやられるという話ばっかりなんです。この何度でも『たかが人間の言
うことだとわれ思いしに』と思うところがいいのです。それがね、どういうわけか絶版になっているん
です。だから僕、もう一回読んでね、いかに金田一の『ユーカラ』が名訳であるかということを、広く
天下に訴えたいんです。
七平 売れないらしいですなあ。
夏彦 金田一さんの訳はね、実にたどたどしいんですよ。それがアイヌの『ユーカラ』を訳すのに打って
つけなんです。だから僕は、金田一京助さんには深甚な敬意を表してますよ。」
(山本夏彦・山本七平著「夏彦・七平の十八番づくし」中公文庫 所収)