今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「 むかし私は電車のなかでずらりと男女が居並んでいるのを見て、これに一々配偶者がいるのかと
怪しんだことがある。いるのである。
戦前は年ごろの男女がひとりでいると、きっと世話してくれる者がいて、高望みしなければ必ず
まとまった。仲人口といって双方に美点だけ言ってまとめたのである。
西洋人はこれを理性による結婚といって羨んだ。家がら財産係累までをくらべて相応の人を世話
してその上で見合させる。向田邦子の昭和十年代を描いた小説中に、門倉修造の妻が水田仙吉の一
人娘に帝大生を世話するくだりがある。
見合しても拒否権は女にある。五回でも十回でも断ることが出来る。かげで悪く言われもう世話
してくれなくなるが、突然別口から世話してくれる人があらわれ、あっというまにまとまることが
ある。縁である。
戦前と戦後の大きな違いの一つはこの世話してくれる人がなくなったことである。戦後は原則と
して配偶者は自分で見つけるものときまった。ところが器量のよしあしと関係なく縁遠い男女があ
る。むしろふえた。見かねてうっかり口をきくともうきまっていてバツの悪い思いをする。会社の
上役はこりたのだろう。頼まれ仲人ならするが、自分から進んで世話はしなくなった。したがって
縁談の全くない男女が何千何百万人もいるという。」
(山本夏彦著「世は〆切」文春文庫 所収)