「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2013・11・17

2013-11-17 07:20:00 | Weblog
今日の「お気に入り」。



夏彦 七平さん、同窓会に出ろって言って来ませんか。
七平 来る来る。
夏彦 あの同窓会で友情を温めるというのがくせものなんですよ。あれこそ友に似たものですね。つまり某年某月、一つのクラスの中に放り込まれただけのことなのにね。あそこには選択がない。
  旧制高等学校の出身者なんて一緒に放り込まれたことを生涯自慢して、いまだに放歌高吟(ほうかこうぎん)している(笑)。
七平 強制の友だな。
夏彦 これこそ友だって言うんですから。
七平 いや、さっきフィロスが友だちでフィレーが恋人だなんて言いましたけど、もう一つ。『クシュネーテス』ってギリシャ語があるんです。『一緒にいた人間』という意味ですよ。普通は『友だち』って訳してますけど、違うんですね。
 一緒にいたひとです。偶然おんなじ所にいた。『知り合い』かな。知人であっても友人ではない。
夏彦 ですからね。友だちっていうものを追いつめていくと、次第にそれは存在しないんじゃないかと思われるから追いつめないんですよ。『同級生交歓』とか『交友抄』なんて名物コラムがあるでしょう。みんな成功したひとばかり交歓してますね。互いに『利』のある仲が二十年、三十年続いたのはめでたいが、友でしょうか。
 利のないひととはつき合わないでいたのに、晩年になると同じ学校にいたから友だって言いだすんですよ。死に目が近くなると旧交を温めたがる。それが同窓会です。もう少したつと死ぬひとがふえてくる。死ぬと嘆いたり悲しんだりして、自分は友情に厚いと再び三たび思う。
 なに若い時の友が死ぬと共通の思い出がなくなるから嘆いてるにすぎない。幼馴染はことにそうですよ。筒井筒(つついづつ)の友が死ぬのは、そのひとの記憶にある幼いころの自分が死んだのです。それを惜しんで嘆いているのを、私たちはそのひとの死を嘆いてると好んで取りちがえるんです。
七平 身もふたもない話になってきたなあ(笑)。やっぱり話はだんだん新年号らしく、『老年と死』の方へ行きそうですな。
夏彦 いやいや、友とは何かって試みに追いかけているんですよ。」

(山本夏彦・山本七平著「意地悪は死なず」中公文庫 所収)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする