今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「少年は父の後ろ姿を見て育つというが疑わしい。一億サラリーマンの背を見て、皆あのようになりたいと思うのだろうか。私の父はわが国には珍しい金利生活者で、生涯人に雇われなかった。明治十二年下谷根岸に生れ、昭和三年二月二十九日数え五十で死んだ。この年は閏(うるう)年だったからおぼえている。私はまだ小学六年生だった。
明治三十二年父は数え二十一のとき山本露葉と号し児玉花外、山田枯柳と三人の共著新体詩集『風月萬象』を出して世に出た。一連の藤村詩集が出た直後、新体詩の全盛時代だったから明治三十年代はひっぱりだこだったが、明治四十年に新体詩がいっせいに文語を捨て、口語自由詩に転じたとき、父は転じそこねて忘れられた。
その詩は改造社の『日本文学全集』第三十七巻にニページ、筑摩書房『明治文学全集』第六十一巻に十五編採られている。
私が父に触れることを避けたのは、何より露葉という雅号が嫌だったからである。当時の文壇の大立者幸田露伴、尾崎紅葉から一字ずつ借りるなんて恥ずかしい。
それが恥ずかしくなくなったのは雅号なんて皆十六七のころにつける。泣菫(きゅうきん)、白秋、ことに春月(生田)なんていまでも恥ずかしい。してみれば有名ならそれで通るのか、通るのであると悟ってどうでもよくなったのである。
父は階下の茶室を病室に改めて寝たきり一年を経て死んだ。小学生から中学生に移る私はその間に父が明治三十年代に発表した古新聞古雑誌、それから毛筆で書いた日記四十冊を読破した。次いで書棚の鷗外の『即興詩人』 これは漢語沢山で歯が立たなかったが、『水沫集(みなわしゅう)』は一読巻をおかないほど面白かった。『二葉亭四迷全集』(東京朝日新聞社) 『一葉全集』(博文館)の古本を最も愛読した。」
(山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)
「少年は父の後ろ姿を見て育つというが疑わしい。一億サラリーマンの背を見て、皆あのようになりたいと思うのだろうか。私の父はわが国には珍しい金利生活者で、生涯人に雇われなかった。明治十二年下谷根岸に生れ、昭和三年二月二十九日数え五十で死んだ。この年は閏(うるう)年だったからおぼえている。私はまだ小学六年生だった。
明治三十二年父は数え二十一のとき山本露葉と号し児玉花外、山田枯柳と三人の共著新体詩集『風月萬象』を出して世に出た。一連の藤村詩集が出た直後、新体詩の全盛時代だったから明治三十年代はひっぱりだこだったが、明治四十年に新体詩がいっせいに文語を捨て、口語自由詩に転じたとき、父は転じそこねて忘れられた。
その詩は改造社の『日本文学全集』第三十七巻にニページ、筑摩書房『明治文学全集』第六十一巻に十五編採られている。
私が父に触れることを避けたのは、何より露葉という雅号が嫌だったからである。当時の文壇の大立者幸田露伴、尾崎紅葉から一字ずつ借りるなんて恥ずかしい。
それが恥ずかしくなくなったのは雅号なんて皆十六七のころにつける。泣菫(きゅうきん)、白秋、ことに春月(生田)なんていまでも恥ずかしい。してみれば有名ならそれで通るのか、通るのであると悟ってどうでもよくなったのである。
父は階下の茶室を病室に改めて寝たきり一年を経て死んだ。小学生から中学生に移る私はその間に父が明治三十年代に発表した古新聞古雑誌、それから毛筆で書いた日記四十冊を読破した。次いで書棚の鷗外の『即興詩人』 これは漢語沢山で歯が立たなかったが、『水沫集(みなわしゅう)』は一読巻をおかないほど面白かった。『二葉亭四迷全集』(東京朝日新聞社) 『一葉全集』(博文館)の古本を最も愛読した。」
(山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)