今から5年ほど前の二度目の下呂市萩原町暮らしをしていた時に、ある人から、「管理人さん、羽根(下呂市萩原町羽根)の山の中に池があるらしいんだけど知っている?」と聞かれました。
「池?いや知りません」といった会話をしたことがあります。
池なんか無いだろうと思っていたのですが、斐太後風土記を読み進んでいた時に益田郡中呂郷羽根村山中に飫備平に飫備池という池があると書いてあります。
しかも、絵図と一緒に。
記載内容を要約すると、馬瀬郷名丸村へ越える山の上に飫備平というところに飫備池があり、昔は沢山の水を蓄えていたが、今では、昔の面影は無く縦十五間、横八間の池となり十八の小さな島があり、矮化した松の古木で生い茂っている。
また、島ごとに五月やツツジが生い茂っていて季節になると花で綺麗であるけど、訪れる人がいないのが残念であるとありました。
何だこれは!!と思い何人かの人に聞いてみたのですが、皆知らない・・・・
転勤して郡上へ移り住んだこともあり、すっかり忘れていたのですが、三度下呂市萩原町へやってきて住み着いたのが下呂市萩原町羽根です。
そんなことで5年前のことを思い出し、地図を広げてみると下呂市萩原町羽根と下呂市馬瀬名丸の境界に平坦地があります。
ひょっとしてまだある?と思いたち時間があったら探しに行ってみようと考えるようになりました。
そして昨年の大晦日の実家に帰る前の時間を活用し、国道257号線の旧道を車で走り、今は閉鎖された日和田トンネルの抗口近くに車を止めて探しに行ってきました。
幸いなことに萩原と馬瀬境に道があったので辿っていき、小一時間ほど経ったところで平らなところにたどり着きます。
これは!と思い歩を進めると池とはいえないが水たまりがあります。
これが飫備池だな!と妙に感心をしました。
ただ、現状は斐太後風土記に書かれた内容とは大きく違い、今は池とは言えない状況です。
また、矮化した松の古木は数本はありましたが、今ではヒノキが植林されているし、斐太後風土記に書かれていたサツキやツツジは見あたりません。
今は池というより湿地といった状況となっていました。
でも、なんで山の上にこれだけの平坦地があり、水が溜まっているんだ?という不思議があります。
近くにある阿寺断層系の萩原断層と関係しているのかな?と思いながら証拠写真を撮ってきました。
また、飫備池を発見!という感動より、かつて下呂市へ合併前の益田郡萩原町が飫備池を散策地にしようとしたようで朽ち果てかけた東屋があったことです。
私のように斐太後風土記での記載をみた人が憩いの場としよう!思ったのかな?
そんな、インフラ整備をしたにも関わらず、私の周囲で飫備池の存在を知っている人がいないのです。
これは一体全体何なのと思った昨年最後の一日でした。
ただし、私のような人間しか楽しむことができないと思いますので、是非行ってくださいとは口が裂けていいません!(管理人)
とても池とは言えませんね。深いところで足首ぐらいの深さ。湿地といったほうが良い状況です。
昭和の遺跡?朽ちかけた東屋がありました。
国土地理院の地図で場所をみてください。
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池なんか無いだろうと思っていたのですが、斐太後風土記を読み進んでいた時に益田郡中呂郷羽根村山中に飫備平に飫備池という池があると書いてあります。
しかも、絵図と一緒に。
記載内容を要約すると、馬瀬郷名丸村へ越える山の上に飫備平というところに飫備池があり、昔は沢山の水を蓄えていたが、今では、昔の面影は無く縦十五間、横八間の池となり十八の小さな島があり、矮化した松の古木で生い茂っている。
また、島ごとに五月やツツジが生い茂っていて季節になると花で綺麗であるけど、訪れる人がいないのが残念であるとありました。
何だこれは!!と思い何人かの人に聞いてみたのですが、皆知らない・・・・
転勤して郡上へ移り住んだこともあり、すっかり忘れていたのですが、三度下呂市萩原町へやってきて住み着いたのが下呂市萩原町羽根です。
そんなことで5年前のことを思い出し、地図を広げてみると下呂市萩原町羽根と下呂市馬瀬名丸の境界に平坦地があります。
ひょっとしてまだある?と思いたち時間があったら探しに行ってみようと考えるようになりました。
そして昨年の大晦日の実家に帰る前の時間を活用し、国道257号線の旧道を車で走り、今は閉鎖された日和田トンネルの抗口近くに車を止めて探しに行ってきました。
幸いなことに萩原と馬瀬境に道があったので辿っていき、小一時間ほど経ったところで平らなところにたどり着きます。
これは!と思い歩を進めると池とはいえないが水たまりがあります。
これが飫備池だな!と妙に感心をしました。
ただ、現状は斐太後風土記に書かれた内容とは大きく違い、今は池とは言えない状況です。
また、矮化した松の古木は数本はありましたが、今ではヒノキが植林されているし、斐太後風土記に書かれていたサツキやツツジは見あたりません。
今は池というより湿地といった状況となっていました。
でも、なんで山の上にこれだけの平坦地があり、水が溜まっているんだ?という不思議があります。
近くにある阿寺断層系の萩原断層と関係しているのかな?と思いながら証拠写真を撮ってきました。
また、飫備池を発見!という感動より、かつて下呂市へ合併前の益田郡萩原町が飫備池を散策地にしようとしたようで朽ち果てかけた東屋があったことです。
私のように斐太後風土記での記載をみた人が憩いの場としよう!思ったのかな?
そんな、インフラ整備をしたにも関わらず、私の周囲で飫備池の存在を知っている人がいないのです。
これは一体全体何なのと思った昨年最後の一日でした。
ただし、私のような人間しか楽しむことができないと思いますので、是非行ってくださいとは口が裂けていいません!(管理人)
とても池とは言えませんね。深いところで足首ぐらいの深さ。湿地といったほうが良い状況です。
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