先日、五色ケ原のカモシカコースの案内をうけていた時、ササウオのことが話題となり平湯には沢山あったという記述があるということが話題となりました。
私は斐太後風土記のことだな~と気が付いたので斐太後風土記に書かれていますよと答えました。
そんな会話していたためか、歩き終える直前にササウオタマバエの虫こぶが!そうですササウオがあったので写真におさめました。
近年、ササウオタマバエが少なくなりササウオを見かけることが稀となっていることもあり本当に久しぶりにみました。
折角ですので斐太後風土記の飛州志に書かれたササウオについて少し触れたいと思います。
斐太後風土記には絵図で記され、色々と書かれています。
国語力の無い私には一字一句間違えずに理解することはできないのですが、形状の説明と平湯村(現在の高山市奥飛騨温泉郷平湯)に沢山あると書かれていることぐらいしか分かりませんが昔からササウオのことは認知されていたようです。
飛州志では、ササウオの伝説の中にササウオが自然に谷川に落ちてイワナとなるというのを編纂者である長谷川忠崇が疑問を持ち調べササの病気であると結論づけているほかに、蠅が卵を産むことにできるものであると考えられるとしています。
今から268年前の江戸時代に、既にササウオはハエが側芽に卵を産み付けることより、できる虫えいであるということを調べていたということも読み取れます。
改めて観察力の鋭さに驚かされるのでした。
ササウオ
斐太後風土記のササウオの記述
飛州志のササウオの記述
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飛州志では、ササウオの伝説の中にササウオが自然に谷川に落ちてイワナとなるというのを編纂者である長谷川忠崇が疑問を持ち調べササの病気であると結論づけているほかに、蠅が卵を産むことにできるものであると考えられるとしています。
今から268年前の江戸時代に、既にササウオはハエが側芽に卵を産み付けることより、できる虫えいであるということを調べていたということも読み取れます。
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ササウオ
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