白山の石川県側の登山基地の一つとなる市ノ瀬から別山に登るにはチブリ尾根の長い道を登らなければなりません。
市ノ瀬から別当出合までバスで行き砂防新道、観光新道を登る人は大勢いますがチブリ尾根を登る人はわずかですが決してつまらないわけではありません。
主稜線まで行くのに5時間以上かかり山を歩きなれていない人だと、ちょっと大変というだけの理由のように思われます。
避難小屋の近くまでは美しい森が広がり楽しく登っていくことができます。
昭文社の山と高原地図には白山屈指のブナ林と記載されているところがありますが私は登山口に近いところに数多く残るトチノキの巨木だと思います。
これだけ沢山の巨木があるところも少ないと思っていて一見の価値はあるのではないかと思います。
ちなみにブナ林ですが岐阜びいきと言われるかもしれませんが平瀬道沿いのブナ林のほうが美しいと思います(あくまでも私の主観ですが)
この記事では森の写真ばかり載せますが林床植生も豊富で歩いていて飽きない道です。(管理人)
こんなトチノキが沢山あり目を楽しませてくれます
発達した渓畔林。
ブナ林
ブナの巨木に着生したヤシャビシャク
標高2,000mほどで草原地帯へ突入。振り返るとダケカンバ林が見下ろせます
避難小屋からの登りはきつい・・・前半戦に森を楽しんでいた私を追い抜いていった人たちを、この区間で抜き返すことになります。
主稜線近くから見た御前峰方面。遠いな~。今回は別山へは行かなかったので明日以降主稜線から南竜ヶ馬場までを記事とするか。
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市ノ瀬から別当出合までバスで行き砂防新道、観光新道を登る人は大勢いますがチブリ尾根を登る人はわずかですが決してつまらないわけではありません。
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避難小屋の近くまでは美しい森が広がり楽しく登っていくことができます。
昭文社の山と高原地図には白山屈指のブナ林と記載されているところがありますが私は登山口に近いところに数多く残るトチノキの巨木だと思います。
これだけ沢山の巨木があるところも少ないと思っていて一見の価値はあるのではないかと思います。
ちなみにブナ林ですが岐阜びいきと言われるかもしれませんが平瀬道沿いのブナ林のほうが美しいと思います(あくまでも私の主観ですが)
この記事では森の写真ばかり載せますが林床植生も豊富で歩いていて飽きない道です。(管理人)
こんなトチノキが沢山あり目を楽しませてくれます
発達した渓畔林。
ブナ林
ブナの巨木に着生したヤシャビシャク
標高2,000mほどで草原地帯へ突入。振り返るとダケカンバ林が見下ろせます
避難小屋からの登りはきつい・・・前半戦に森を楽しんでいた私を追い抜いていった人たちを、この区間で抜き返すことになります。
主稜線近くから見た御前峰方面。遠いな~。今回は別山へは行かなかったので明日以降主稜線から南竜ヶ馬場までを記事とするか。
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聖岳を長野県側から登る時、かつての遠山森林鉄道本谷線の遺構を見ながら歩きます。
本格的な登山は終点の西沢渡となります。
2年ほど前に遠山郷をサイクリングした時に、かつての停車場であった梨元で復活させた林鉄の機関車を整備していた方に、森林鉄道のことを色々と伺ったことを思い出しながら歩きました。
森林鉄道を廃線したあとは便ケ島までは林道として再整備されたのですが災害の連続で車で行けるところはわずかとなっています。
歩いていて、かつて森林鉄道があったなと分かるのは便ケ島から西沢渡までの区間です。
その区間は勾配も緩く歩きやすく散歩気分で歩くことができました。
森林鉄道が現役だったころは天然木の伐採が中心であったのことで択伐で施業は行われていたようで拡大造林されたところはわずかで今でも大半は天然林となっています。
当時を知る人から話を伺ったときはケヤキとサワラの良材が数多く搬出されたとのことでした。
先日、聖岳登山ではケヤキの巨木を見ることは無く資源はほぼ枯渇しているようでしたがサワラは易老渡登山口から1時間ほど登ったところにサワラの巨木が林立するところがあり往時を偲ばれる場所だなと思い易老渡へ向けて下山している最中に写真を撮りました。
森林鉄道は今では観光目的で残されているだけで現役のものはありませんが昭和30年代には珍しいものでは無く全国各地にありました。
私の住む岐阜県でも数多くあり中津川市川上、付知、加子母、下呂市小坂町、萩原町、加茂郡七宗町、等々沢山あります。
今ではトラック輸送にとって代わられ姿を消しましたが登山や散策しているときに遺構に出くわし山歩きをするときの楽しみの一つとなっています。
さて話は本題に戻しますが遠山森林鉄道本谷線は西沢渡から北又渡までで、北又渡からは梨元停車場までは遠山森林鉄道となり梨元停車場からトラックで飯田線の平岡駅まで運ばれ搬出された材は当時の国鉄に積まれ名古屋方面へ鉄道輸送されたそうです。
このことを知っていて平岡駅を訪ねると、なんでこんなに広いの?と思うことはないでしょう。(管理人)
2年前の林鉄の記事へのリンク
軌道敷あと
便ケ島の近くにブナの大木。当時伐採されることは無かったようです
易老渡から光岳へ上る登山道沿いにあるサワラの巨木が林立するところ。昔はこんなサワラが沢山あったそうです
かつての梨元停車場であったところに置かれている森林鉄道の機関車。これは再整備され動きます
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森林鉄道を廃線したあとは便ケ島までは林道として再整備されたのですが災害の連続で車で行けるところはわずかとなっています。
歩いていて、かつて森林鉄道があったなと分かるのは便ケ島から西沢渡までの区間です。
その区間は勾配も緩く歩きやすく散歩気分で歩くことができました。
森林鉄道が現役だったころは天然木の伐採が中心であったのことで択伐で施業は行われていたようで拡大造林されたところはわずかで今でも大半は天然林となっています。
当時を知る人から話を伺ったときはケヤキとサワラの良材が数多く搬出されたとのことでした。
先日、聖岳登山ではケヤキの巨木を見ることは無く資源はほぼ枯渇しているようでしたがサワラは易老渡登山口から1時間ほど登ったところにサワラの巨木が林立するところがあり往時を偲ばれる場所だなと思い易老渡へ向けて下山している最中に写真を撮りました。
森林鉄道は今では観光目的で残されているだけで現役のものはありませんが昭和30年代には珍しいものでは無く全国各地にありました。
私の住む岐阜県でも数多くあり中津川市川上、付知、加子母、下呂市小坂町、萩原町、加茂郡七宗町、等々沢山あります。
今ではトラック輸送にとって代わられ姿を消しましたが登山や散策しているときに遺構に出くわし山歩きをするときの楽しみの一つとなっています。
さて話は本題に戻しますが遠山森林鉄道本谷線は西沢渡から北又渡までで、北又渡からは梨元停車場までは遠山森林鉄道となり梨元停車場からトラックで飯田線の平岡駅まで運ばれ搬出された材は当時の国鉄に積まれ名古屋方面へ鉄道輸送されたそうです。
このことを知っていて平岡駅を訪ねると、なんでこんなに広いの?と思うことはないでしょう。(管理人)
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便ケ島の近くにブナの大木。当時伐採されることは無かったようです
易老渡から光岳へ上る登山道沿いにあるサワラの巨木が林立するところ。昔はこんなサワラが沢山あったそうです
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