先週末、小秀山二ノ谷を歩いていた時にヤマグルマの葉が普通に展開をしています。
常緑高木であるヤマグルマは寒い時は葉が丸まった状態となっている印象があります。
ですが今年は暖かいので普通に葉が開いているのです。
こんなところでも暖冬を感じてしまうことができたし、滝が凍ってないわけだよなと思いました。
そんなことを思いながら、ふと昨年、加子母であった徳川林政氏研究所公開講座「かしもの歴史講演会」でヤマグルマについて触れていて面白かったのでブログの記事にしてやれ!と思っただけで記事としていなかったことを思い出しました。
それは、どんなことかというと加子母村における鳥黐の生産・流通の話を聞いたこと。
その時配布された資料を読み返してみると鳥黐は木を切り倒し樹皮を剥ぎ鳥黐を作り、鳥をとったり、資料では蠅取黐や蠅取といったように利用の記述があったり生産方法といった生産に関することの記述。あとは岐阜、名古屋といった遠方は黒瀬(現在の八百津町黒瀬)を経由して出荷とされているので、恐らく木曽川の水運を活用した出荷も行われていたんだなと思ったこと、それ以外の出荷は人馬での運搬であったと思われ中津川、苗木、岩村、木曽に出荷されたということが書かれていました。
この話を聞いていていた時に、あ~ヤマグルマのことだなと思ったことを凍っていない夫婦滝を見たあとの下山中に思い出しました。
講座が終わったあと徳川林政史研究所の方との話す機会があり、研究所の方が我々は記載内容はわかるが、実際記載されている植物が何だか分からないんですよねと言われたので、鳥黐を採った木は、ほぼ間違いなくヤマグルマであろうと答えました。
まぁ何でそんな話ができたかというと加子母から舞台峠を挟んで相対する下呂方から、ヤマグルマから鳥黐をとったいう話と黐の木という話をきいていたからです。(その時の記事はこちらへ⇒下呂の「鳥もち」はヤマグルマ)
これは、なかなか面白い話であると思った出来事だったのですが、今日改めて思ったのはヤマグルマの鳥黐利用をネットで調べると大半はモチノキで作った鳥黐より質が落ち代用とされたものが多いのです。しかし加子母での記録をみると出荷先が広域におよび、遠くは大和国吉野郡へも出荷されていたことがわかっています。
ただ、出荷先ではモチノキがある地域もあります。そんなところへも出荷されている事実を知ると代用とする考えは説得力がなく恐らく客観的な考え方ではないであろうと思い出しています。
本来モチノキは黐をとる木の総称であるものであるのに、標準和名をつけた人が今の時代図鑑に載っているモチノキにモチノキという標準和名をつけてしまったがためになってしまった思います。
また、穿った見方と思いますが標準和名をつけた偉い先生がヤマグルマに注目していたら、今のヤマグルマがモチノキとなっていた可能性だって否定できないということ。
まぁ、私のような者が言っても説得力がないのでヤマグルマから採った黐はモチノキの代用という考えが主流であることは今後も変わらないでしょう。
ちょっと小難しい話となってしまいましたが一度ヤマグルマから鳥黐を作ってみたいものだと思います。(管理人)
先日、見たヤマグルマ、しっかりと葉が開いています
寒いと葉が丸まった状態となります。本来2月末の寒い時はこんなふうになっているんですけど
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常緑高木であるヤマグルマは寒い時は葉が丸まった状態となっている印象があります。
ですが今年は暖かいので普通に葉が開いているのです。
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それは、どんなことかというと加子母村における鳥黐の生産・流通の話を聞いたこと。
その時配布された資料を読み返してみると鳥黐は木を切り倒し樹皮を剥ぎ鳥黐を作り、鳥をとったり、資料では蠅取黐や蠅取といったように利用の記述があったり生産方法といった生産に関することの記述。あとは岐阜、名古屋といった遠方は黒瀬(現在の八百津町黒瀬)を経由して出荷とされているので、恐らく木曽川の水運を活用した出荷も行われていたんだなと思ったこと、それ以外の出荷は人馬での運搬であったと思われ中津川、苗木、岩村、木曽に出荷されたということが書かれていました。
この話を聞いていていた時に、あ~ヤマグルマのことだなと思ったことを凍っていない夫婦滝を見たあとの下山中に思い出しました。
講座が終わったあと徳川林政史研究所の方との話す機会があり、研究所の方が我々は記載内容はわかるが、実際記載されている植物が何だか分からないんですよねと言われたので、鳥黐を採った木は、ほぼ間違いなくヤマグルマであろうと答えました。
まぁ何でそんな話ができたかというと加子母から舞台峠を挟んで相対する下呂方から、ヤマグルマから鳥黐をとったいう話と黐の木という話をきいていたからです。(その時の記事はこちらへ⇒下呂の「鳥もち」はヤマグルマ)
これは、なかなか面白い話であると思った出来事だったのですが、今日改めて思ったのはヤマグルマの鳥黐利用をネットで調べると大半はモチノキで作った鳥黐より質が落ち代用とされたものが多いのです。しかし加子母での記録をみると出荷先が広域におよび、遠くは大和国吉野郡へも出荷されていたことがわかっています。
ただ、出荷先ではモチノキがある地域もあります。そんなところへも出荷されている事実を知ると代用とする考えは説得力がなく恐らく客観的な考え方ではないであろうと思い出しています。
本来モチノキは黐をとる木の総称であるものであるのに、標準和名をつけた人が今の時代図鑑に載っているモチノキにモチノキという標準和名をつけてしまったがためになってしまった思います。
また、穿った見方と思いますが標準和名をつけた偉い先生がヤマグルマに注目していたら、今のヤマグルマがモチノキとなっていた可能性だって否定できないということ。
まぁ、私のような者が言っても説得力がないのでヤマグルマから採った黐はモチノキの代用という考えが主流であることは今後も変わらないでしょう。
ちょっと小難しい話となってしまいましたが一度ヤマグルマから鳥黐を作ってみたいものだと思います。(管理人)
先日、見たヤマグルマ、しっかりと葉が開いています
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