と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

世界一の美女とは

2016年06月01日 23時13分39秒 | 悪業三昧自省録

ヴァチカンで、イエスの亡骸を抱いたマリア様を拝見した。

美しい。

世界一の美女である。

何かの本でそういうふうに書いてあった。だから、一度でいいからお会いしたいと思っていた。

なるほど、美しい。

あさましや、あさましや、あさましやとしか言えないボキだけど、それ故にこそマリア様との出会いは、対象として鑑賞するというようなものではなかった。絶体絶命まで追い込まれた悪人としてのボキをそのまま抱いてくださっているのである。

知的な分析対象ではないということ、そういうふうに感得させていただいた。ヴァチカンに来てよかった。

それでも、ボキはまだまだ悪人として生きている。絶対悪を生きていくしかない凡夫として。

死ぬまでは。

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昨日はヴァチカンで懺悔して

2016年06月01日 21時09分22秒 | 悪業三昧自省録

あさましや、あさましや、あさましや。

ヴァチカン博物館からシスティーナ礼拝堂に行って、今度の法王様が今年設定してくださったはからいで開いている聖なる扉をくぐってきた。

ボキハ、アタマも悪いから、アタマもつけてきた。

これで贖罪がなったとは、思っていないけど。

トホホ

(;´д`)

いろんな悪行ばかりやってきたもんじゃよ。

話しにならん。

こんなことで、まともな人間になれるたぁ夢にも思っていないけど。

あさましや、あさましや、あさましや。

わはわはははは。

 

 

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いつまでたっても、あさましいただの田舎ジジイである。改善の見込みなし(>_<)ゞ

2016年05月30日 07時02分59秒 | 悪業三昧自省録

今が勝負ですなぁ。未来も過去もあさましいボキにはまったくナイからで。

 

 

非常勤でさせていただいている某大学の授業資料を昨日は作っていた。A4で50枚。ボキのデータベースからあちこち切り貼りして、ある資料を作り上げたのであるが、まぁ~よくやることよん。学生さんの顔を思い出すと、やりたくなっちまうからしょうがない性格である。これを次回は配布して、学生さんの未来に役にたつようにしている。ま、あまりここに詳しく書けないのであるが。大学の宣伝はしたいけど、守秘義務というのは相変わらずあるようだし。

それにボキは外部講師である。つまりは。だからいつでもクビになる。よって、今が勝負である。来年はないからである。むろん過去もない。実績にはまったくならないし、何を今更である。そうなのである。もうボキには未来はないからだ。未来どころか、明日もわからん。したがって、今やっている授業を充実させないと、学生さんにも某大学にも申し訳ないではないか。「今」が勝負なんである。未来も過去もないからである。ボキのようなジジイには。

これは学習塾もそうである。こっちも非常勤である。つまり非正規雇用職員。だから来年はない。今が勝負である。よって、教材研究が欠かせない。中高生からたとえ専門外であっても、質問には即答できるだけのことをやっていないとアカン。

さらにある。それは、ボキの心の中にあるインテリへの憧れというのがジャマなのである。ボキ自身は、インテリでもなんでもない。ただの田舎ジジイである。無学文盲、オリジナリティーはなにもない。いろんな学者センセや研究者の説を受け売りして、それを販売している学説販売者だよ~~~ん。インチキだと思うのは、そういうことである。

小林一茶がいみじくも書いている。

一茶は、俳聖芭蕉を切り売りしていた芭蕉販売者であるということをおおいに自覚していた。

だからである。だからボキだってエラそうなことは言えないのである。あの天才一茶翁ですら謙虚なのである。それをである。ボキ如き田舎のバカジジイがなにをかいわんやである。

あさましいことである。

うぬぼれてエラそうにくだらないことをしゃべっていたら、小林一茶翁にひっぱたかれるよん。

バカか、って。

あさましいことである。

ボキは。

いつまでたっても、あさましいただの田舎ジジイである。改善の見込みなし。

ううううううううううううううううむ。

今日は朝から雨である。

参ったねぇ。

でもあれか。

ちょっとは休憩でもしておれという天の恵みか。

もっとも、あれですな。

休憩するほど働いていないからなぁ~。

そんなナマケモノが、休憩していたらそれこそナマケモノに嗤われてしまいますな。

あさまし、あさまし、あさましや。

 

Bye-bye

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人格崩壊をしてはアカンぞな(^_^)・・・あさましい、あさましい

2016年05月27日 16時52分11秒 | 悪業三昧自省録

ジジイになって、誰も怖くないからということで、言いたいことは言い放題、ワルクチにかけては世間に並び立つモノがないほどだ!とか言っていると「人格崩壊」をしてしまう

 

 

誤字脱字のことでは、いろんな失敗をしてきたから、今でも顔から火が出るほどの恥ずかしい思い出しかない。

まったく、まったく。

あさましいほどである。

しかもである。

こんなダメブログでも誤字脱字のオンパレードである。アップしてから気がつくのであるから話にならん。

だから、オレは、ボキは、アホであると思って生きていた方が無難である。事実アホだからどうしようもない。

でも、出来るだけ誤字脱字をしないように、やらかさないように努力だけはした方がいいと思っている。だから惚け防止ブログなのである。

それをである。元****だったからとかなんとか言って、ふざけたことを考えていると、誤字脱字をやらかしているオノレが許せなくなる。

プライドがジャマするってぇな案配である。

バカでもあるめぇし。

所詮バカなんだから、他人からご指摘をいただいたら素直に「あ、そうでしたか、またやらかしましたか」と言って「ありがとうございます。あなた様のような方がおられるから、ボキも生きていられるってぇもんです」と、心から感謝していればいいのである。

これが出来ないと、世の中から捨てられる。

ジジイになって、誰も怖くないからということで、言いたいことは言い放題、ワルクチにかけては世間に並び立つモノがないほどだ!とか言っていると「人格崩壊」をしてしまう。

自分の「人格崩壊」である。

マジに。

それだけは避けたいものである。

日頃から罪悪の限りをやってきたのに、さらにジジイになってから「人格崩壊」までしていたらそれこそお釈迦様でも呆れてしまうぜな。

あさましい、あさましい。

そんなことはやらないこっちゃ。

ああああああああああああああ、マジにあさましい。

これから塾でヨルバイト。

タノシミ、タノシミ。

誤字脱字をしないように、やって参ります。

わははっはははははっは。

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あさましや節・・・わはははははは

2016年05月26日 22時17分10秒 | 悪業三昧自省録

難しいもんじゃなぁ・・・教えることって。トホホ・・・

 

 

あさましや、あさましや、どこまでいってもあさましや。

ニセモノ・インテリを気取って、まことにボキはあさましや。

どこかに、他人と比較して知的な能力が上だとか、下だとか基地外をやっているですなぁ~~~。

まだまだ修行不足でございますよん。

若い人たちに教えさせていただいているのに、なんでそれをありがたいことだと感謝できないかと思うからで。

気取っておりますのじゃなぁ。

インテリもどきを。

 

わはははっははっははっははっはははっは。

 

どうせバカはバカなりに生きていくしかないのにねぇ。往生際が悪すぎますぜ。ボキの場合。

若い人も含めて、誰にも教えたりしないで、孤高に生きるってぇ選択もあったのに、やっちまったことはしょうがないことですなぁ。

どうせ、ボキの考えていることなんか、伝わらないし。

逆に、どんなに師匠とお慕い申し上げても、伝わらなかったし。

お互い様であったから。

だったら、誰にも教えたりしないで、わかる奴だけついてこい!っていうのもできたんだけど。もう遅いか。

バイトでやっていることも、所詮オイラの惚け防止でやっているだけか。それって、相手に失礼だとは思うのだが。残念ながら、十分伝わっているとは言えないようだし。

限界があるってぇことなんでしょうな。

教えるなんてことは。

でも、それも身から出た錆。

ボキに能力がないからである。

 

あさましい、あさましい、マジにあさましい。

 

おやすみなさい。

 

 

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一介の田舎ジジイで、郷土史・アマチュア・愛好・物好き・暇ジジイなのだよ~ん。あさましいことである。

2016年05月25日 08時51分02秒 | 悪業三昧自省録

郷土史も文学賞も「通」ぶっていたら、舞い上がっていたら、それこそ基地外である。

 

 

あさましや、あさましや。

一介の田舎ジジイで、郷土史・アマチュア・愛好・物好き・暇ジジイなのに、なんだか研究誌に書かせていただいただけでいっぱしの「通」ぶっていたら、あさましい。

少しは(_ _ )/ハンセイせよ!である。

さらに今日会議がある某文学賞の審査委員もせよと言われただけで、舞い上がっていたらそれこそ基地外である。

あさましいですなぁ~。

しょうも無いジジイでございますよ。

基本的には暇だから、郷土史も文学賞もお声がかかったというだけである。その他にはなんにもない。

某大学でのアルバイトもそう。

学習塾もそう。

暇だから、救ってもらっているだけである。

それをである。

あたかもオノレの実力だとか思い違いをしていたら、それこそ天に向かって唾を吐いているようなもんである。

嗤ってしまうぜな。

オノレのことを。

所詮、バカはバカである。

生きていられるだけめっけもんである。

感謝しなくちゃアカンですな。

相手にしていただけるだけで。

今日は、そんなわけで、午前中のwalkingは済ませてきた。

なんと、5時前には起きて、カコチャン神社まで歩いてきた。3472歩である。

夕方は、またgymに行くけど。

だって、やらないと死んじまうから。

エコノミークラス症候群で某大学大学院(D)を中退した基地外である。これ以上、悪化させたくないので。

明日は、バイトで行っている大学の授業もある。学習塾のヨルバイトもある。今やっていることとは、まるっきり違う分野である。

嗤ってしまう。

こんなんでいいのかね。

こんなんで。

ま、それもあり、これもありである。

死ぬまでは生きているんだから。

 

わはははっははははっははははっははははは。

 

じゃぁそろそろ行ってきまぁ~す。

 

Bye-bye

 

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相手がハラを立てて、攻撃してきたらどうすんのか?(^_^)

2016年05月24日 10時18分51秒 | 悪業三昧自省録

想定外であったよ~~~~ん

 

 

ボキがハラを立てていなくても、相手が攻撃してきたらどうするか?

こりゃたまったもんじゃないって、逃げるしかないけど、それでもしつこく攻撃されたらどうするか。

こりゃ考えてもみなかった。

しかし、それをありがたく受けさせていただくというには、まだまだボキは人格未完成である。

ふううううううううううむ。

特に、古女房ドノ。

一旦、怒り出したら手がつけられないではないか。

謝罪しても、なにをしても無理である。

わははっはははっははっはははっはははっはははは。

これは想定外であったよん。

マジに。

逃げるしかないのだなぁ~って思うケド。

所詮田舎のバカジジイである。

字も読めねぇし、難しい本なんぞ、ありがたいけど、まったく理解ができねぇ。

世の中の片隅で、おとなしく生きているだけである。

こういうボキを指導してくださっている方々は、たくさんおられるのだ。菩薩様やキリスト様、神社の神様等々。あ、家の中にいるカミさんも同じ発音じゃな(^_^)。

それを心から感謝申し上げることができるようになるまで、ボキは、生涯学習ごっこをやり続けるしかないようで。

そんなくだらない試みは、死ぬ直前まで継続されていくんだろう。

ボキの場合。

 

あさましや、あさましや。

 

Bye-bye

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比較地獄だなぁ~アドラーの説いていることは

2016年05月24日 08時07分12秒 | 悪業三昧自省録

ハラの立つ木は、根っこをキッチマェ~~~~~(^_^)

 

 

ハラが立った時は、根っこを切ってあるから、ハラが立つという木は無くなったと思えばええのだ。

なるほどそういうことか。

なっとくできた。

ハラの立つ木の根っこを切っていただいたということなり。

今朝、アドラー心理学のことをNHKのニュースで紹介していたが、これぞまさに妙好人の世界なり。

なんでもかんでも他人と比較して、他人に原因があるとし、他人の評価を気にしすぎて比較地獄に陥るということだとボキは理解しているから。アドラーセンセのことは。

比較地獄に陥っていると、登校拒否や、引きこもり、嫁姑の対立、上司とうまくいかない、果ては鬱にもなっちまう。

いろんな問題が、比較地獄から来ているのだ。

ボキは、そう思う。そう思うことにしている。だから、ただのアホなのである。田舎の無学文盲ジジイ。それでいいのである。最低の境涯に生きていると、後は気楽である。

これ以上、落ちるしんぺぇがねぇからだなぁ。

あさましいオノレを毎日毎日自覚させていただいて、それでもって周囲の方々に感謝申し上げて、トボトボと一人で歩いて行くしか無い。

どうせ死ぬときは、一人で死んでいかなくちゃならんからで。

ま、それが今日の夕方だとなったら、ああああああああああ、こりゃたまらんであるが。

あさまし、あさまし。

わははっははははっはははっははははは。

 

Bye-bye

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これ以上は落ちようがないというボキだから

2016年05月23日 11時50分48秒 | 悪業三昧自省録

平凡な人間ということを自覚させていただけることが、最もありがたいことである。

 

 

これ以上は落ちようがないというボキだから、ボキ以外の全員がエラく見える。

それでいいのじゃ。それで。

平凡な人間ということを自覚させていただけることが、最もありがたいことである。

平凡中の平凡。

この世の中で、ボキくらい悪業三昧やってきたものはいないし、ゼニのことしか興味関心がなかったから。

だから、ボキに注意してくださる方々が、まるっきり菩薩様のように見えるんじゃよ。

別に菩薩でなくともいい。キリスト様でも、神社の神様でもなんでもいい。

ま、こういうところがボキのいい加減さである。

でも、あれだねぇ。知的な興味関心でもって、宗教を詳しく分析するなんてことはできねぇから、やらない。

そんなのは東大の宗教学科でやっているから、ボキ如き凡夫が追求すべき課題ではない。能力がねぇからである。バカはそんなたいそうなことをやっちゃいけねぇのだよん。

そんなことをやっちまったら基地外になる。

これ以上の基地外にはなりたくねぇから、中途半端でよろしいのであ~る。

ただの、九十九里浜に住んでいるバカジジイである。

狂っていると言われてもいい。それだけのことしかできなかったし、所詮その程度である。

人間、諦めが肝心じゃよ。

まったく。

いつまでも拘っていると、基地外街道まっしぐらである。そんなことになったら、亡父や亡母に申し訳ないからである。

ありがたや、ありがたやで生きていくことである。絶体肯定。これでやるしかないではないか。

だって、ボキは、ボキ自身のことがよくわかっていないからで。

 

午前中、あまりも暇だから、ちょっと英語をやって、それから読書ノートをつけてクルマで出かけた。

どこに行ったかというと、居住地にあるスポーツの森公園である。月曜日だから、gymが休みである。

それでも、gymがある体育館の周囲は休館には関係ないので、walkingをやってきた。午前中だけで、3288歩。むろんこれは、強度計付の万歩計である。だから、単純にブラブラ歩いていたらもっと歩いたことになる。

ご苦労様なことである。

これもまた凡夫中の凡夫であるボキの「いつまでも元気で生きていきたい」という執着の現れである。

わはははっははっはははっははは。

 

あさましや、あさましや

 

Bye-bye

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知的な体験をしてみたいと思ったのも、実にわがままな欲求からであったよん。嗤ってしまうなぁ。

2016年05月20日 06時12分34秒 | 悪業三昧自省録

自分の中にある「小」なるものを見つめて行かなくちゃならんですなぁ~~~~マジに

 

 

呪文のように「あさましや、あさましや」と唱えていると、実に心地よい。そうなんである。矮小化しているオノレなんてもんじゃなくて、「小」そのもののオノレが現にここにいるからで。

矮小化なんて言っていてはならぬ。そんなの比較しているだけである。絶体的に「小」なるものとしてのオノレを大いに自覚することが大事だと、最近はしみじみ思う。

知的な体験を求めて、教会にも行ったことがあった。あるいは、僧侶の話も聞きに行ったっけ。東京まで行ったこともあった。

今になって思えば、そういう行動はすべて知的な体験を求めていだだけであった。

そういうのは、オノレの「小」を見つめた行動ではなかった。

知的な体験をして、オノレの「大」を求め、さらにオノレを大きく変貌させてみたい、他人を睥睨して見下してみたいという実にあさましい潜在意識から来ていたのだ。

だから、教会や寺院に行ってありがたい話を聞いても、批判的に聞いていたのである。

そりゃそうだ。信仰ではなかったし、あくまでも知的な体験を求めていたのだから。教養を求めていたと言ってもいい。そういうふざけた体験は、心底から信仰を求めておられる方々から見たら怒り心頭であろう。それこそ下手したら殴られてしまう。

そもそもボキには、教養も無いからねぇ~。(_ _ )/ハンセイすべきである。おおいに。

 

あさましいことである。

あさましや、あさましや。

 

Bye-bye

 

 

 

 

 

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石仏の陰に地蔵菩薩ありと初めて気がついて・・・情けなし(>_<)ゞ

2016年05月19日 12時14分58秒 | 悪業三昧自省録

毎日walkingしていて、お会いしていた石仏がなんと・・・・

 

 

あさましや、あさましや。

ああああああああああああああ、あさましや。

路傍の石仏が今日もボキに微笑んでくれた。

しかし、ボキはその石仏が地蔵菩薩を伴っている(陰で)不動明王をかたちどっている石仏だとは思ってもみなかった。

ボキのようなボンクラを裁くおそろしい怒りの不動明王様であるが、しかし、陰で慈愛に満ちた地蔵菩薩も用意されているのである。

そのことに毎日walkingしているのに気がつかなかったよん。

あさましいこと限りなし。

そんなボキが、一丁前に仕事してきたのだから、大いに恥じることである。

あさましいこと、限りなし。

ちっぽけな凡夫でごじゃりまするなぁ~。

ボキは。

情けない、情けない。

生きていさせていだいているだけでも、しあわせでございまするよん。

マジに。

Bye-bye

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比較地獄だなぁ~アホらしいこと

2016年05月18日 06時29分25秒 | 悪業三昧自省録

まだまだ比較地獄から抜け出ていないようで、それがあさましい。

 

 

自分を徹底的に見つめて、自分の中に「大」を見つけるのが、知的な方々(エリートと言ってもいい)が行うことなんだろうなぁとしみじみ思う。自分の中にある尊大さも含めて。他人を批判的に見つめて、それをバネに自己を鍛える。だから成長するんだろうし。

ボキは、まるっきり正反対である。

自分の中に、「小」を見つけることしかやっていない。自己否定、自己卑下・・・等々でもある。どんなに罪悪を背負って生きてきたかという(_ _ )/ハンセイの思いしかない。くだらないジジイである。いかにも。

だから他人を責めることもできない。

逆に、責められたら感謝するしかない。

ボキの思い上がりをご指導くださるのだから。

だからボキには、上から目線というものがない。あるわけない。そもそもボキの存在そのものが、社会の下部構造の一員でしかないからである。経済的にも。

あえて言えば下から目線である。

下から見上げているしかない。

しかし、下から見ていると世の中よ~く見えるようである。マジに。手に取るようにわかる。特に自称エリートたちの隠された本音が。

わははっはははっははっははははっは。

あさましや、あさましや。まだまだ比較地獄から抜け出ていないようで、それがあさましい。

そういうオノレがあさましや。

 

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上下とか、優劣とか、東西とか、南北とか、金持ちと貧乏とか、強弱とか、有名無名とか・・・

2016年05月17日 09時29分18秒 | 悪業三昧自省録

区分することの愚かしさ

 

 

上下とか、優劣とか、東西とか、南北とか、金持ちと貧乏とか、強弱とか、有名無名とか、早い遅いとか、あとなんだ?・・・いっぺぇあるではないか。

「比較する対象」ってぇもんが。

アホらしい。

東西というのだって、どこからが起点になっているんじゃ?

上下というと、どこが中間点なんじゃ?これも人間関係でよく使われるが。組織でもそうじゃろう。くだらない、ああつまらない。

強弱もあさましい。柔道の世界で長く生きてきたが、あれってなんになったのかねぇと思うからでアル。そんなもんで一生生きてこなくて良かったよん。もっとも、病気になって、柔道界からも追放されたけれども。部活に命を賭けるなんてことは、考えもしなかったが、それに柔道の昇段も。今はただの4段だが、何の意味もなかったよん。あさましいことであったから。実力もないのに、昇段しようっていう根性が気に入らないのだ。ボキの根性がである。オリンピックにも出たことないのに。

有名無名もそうじゃ。大学にも有名無名があるが、あれもくだらん評価じゃのぉ~と思うからで。なにをもって一流とか二流、三流としているのかね。不思議でならないからだ。自分が勉強したいからというその一点でいいじゃねぇかと思うのだ。教わりたい先生がおられて、通学できる範囲であればそれでいいではないか。ダメなのかね?それじゃぁ。さもしい根性ですなぁ。そういうの。

金持ち・貧乏もそうじゃ。大金持ちは、預金がいくらあってもマンゾクできないだろうから。大金持って居るとかえって不安なんだろうねぇ。持ったことないから知らないけど。ボキのようにスッカラカンだとかえって気楽である。なにしろ年金だけで暮らしているからだ。バイトはスズメの涙ほどでやっているが。つまり、預金ともご縁が無いからである。美人と一緒。あっちの方から、嫌ってくるからご遠慮申し上げるしかない。憧れはあるけど。美人もゼニも。でも、どっちもクソ袋みたいなもんじゃな。

わはははっはははっはははっはは。

つまり、分別をする意識というのは、根本にそれをしている「私」がいるからであるということである。

なんでもかんでも二つに分けて、あーでもない、こーでもないと区分しているから迷うことになる。

アホらしいことかぎりなし。

あさましいことかぎりなし。

あんまり知的な傾向にオノレを振らないことである。分析し、区分し、それぞれを比較して欠点を指摘し、批判し、是正をはかるなんてこたぁ、意味がないんですな。

しかし、自称知的だという方々には、ありがたく接することである。なにしろバカなボキに教えてくださっているのだから。ありがたいではないか。

教えてくださる方々が実力あるかどうかなんてことは関係ないのである。真理を教えてくださるのであるから、人間の好き嫌いではないのである。だからボキは、教えてくださる方は誰でもいい。誰にだって教えていただくわけである。

時には、ガマガエルからも教えていただくことがある。スズメにも教えていただくことがある。ネコにも、ワンコにも。道ばたでクソをしているワンコを見て、あんな風にクソをしてはいけないと思えばいいだけである。

そういうことでは、小林一茶の俳句はなかなかのもんであるが(^_^)。

ありがたいではないか。そういう奇特な方(動物も含む)がおられるのだから。世間には。合掌して拝むことである。マジに。

最近、やっとわかりましたよん。そういうことが。

どったけあさましいことをやってきたかということが。

どーせ、みんな死んじゃうんですぜ。

やがて消えゆく我が身であるのだから。ジタバタしたってはじまらねぇっていうもんじゃ。

 

わははっははっはははっはははっははは

 

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歩くクソ袋・・・・わははっはははっはははは

2016年05月17日 06時45分37秒 | 悪業三昧自省録

図書館脇を昨日は歩いていた。Gymが休館であったから。

 

 

あさまし、あさまし、あさましや。

こうやってブツブツつぶやきながら、昨日もwalkingをしていた。県立図書館の脇にあるトレーニングコースを歩いていた。結構快適である。好きなコースである。

同好の士もおられるから、簡単な挨拶をすることもある。その時には、さすがにあさましやとは言えない。誤解されたら困るからだ(^_^)。

しかしである。誤解もへったくれもない。まさにボキこそクソ袋が歩いているだけである。汚物を出すだけのクソ袋。しかもそれは、ボキの身体の中にある。歩きながら作っているわけである。

不思議なもんじゃ。

同じもんを喰っても、身体にいいものになるのと、不要になってクソになるものとあるんだから。

人間も一緒ですな。

ボキ?

ボキは、不要物でございまするよん。

当然でございます。

いてもいなくてもいいんじゃから。

世間的には。

わはははっははっははっはははははははっははははは。

 

 

 

 

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比較の世界から脱却できないと、肯定の世界で遊ぶこたぁできねぇ、できねぇ。

2016年05月16日 09時56分16秒 | 悪業三昧自省録

無学文盲そのもの。それでも、ボキは、そういう世界を絶体肯定していきたいと思っておりますのじゃ。あまりにもあさましい生き方をしてきたからである

 

 

肯定肯定また肯定。

こういう心境で生きていきたいもんじゃと思う。マジに。

無理だろうけど。

なんでか。

どうしても屁理屈が先に立つからで。

そういう生き方をしちゃったからだ。

下手くそな田舎芝居のようにである。

まぁまぁまぁ・・・なんちゅうみっともない。

そもそもみっともないと思う方が、まだ他者との比較に拘っているからだ。

比較の世界から脱却できないと、肯定の世界で遊ぶこたぁできねぇ、できねぇ。

どんなに学問やったって、無理ですな。

どんなにエライ学者センセでも無理ですな。

知識と智恵は違うからである。

ま、ボキだって、所詮無理。

そもそも学問の世界に住んだこともないし、学問自体やったこともにゃ~~~であるから。

無学文盲そのもの。

それでも、ボキは、そういう世界を絶体肯定していきたいと思っておりますのじゃ。

あまりにもあさましい生き方をしてきたからである。

バカバカしい程の。

ま、バカだからしょうも無いということなんじゃが。

わははっははっははっはははっは。

さ、これからバカな午前中のwalkingに行ってきます。

路傍の石仏が今日はどんなお顔をしてくださるだろうかねぇ。

タノシミ、タノシミ。

じゃぁねぇ~!

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/