ボキなんかあさましいものである。まだ生きているし。さらになんにも世の中に残していないし。他人に誇りうる実績もなにもないし。一丁前に職業人であったのかもしれないと思って生きてきたし。
本の蔵書数を自慢し、貴重本なんかあったら、それこそ同好の士を呼び寄せお互いに鑑賞しあったり・・・それこそ自慢に他ならない。
今、考えれば微笑ましい幼稚なチャレンジであったなぁと思う。
蔵書数と貴重本のことでは、競いあって勉強していた同年の親友がいたからである。東京九段高校の教員をしていたのがいたっけ。ボキの一番最初に在籍していた大学で修士をとってから、高校教員になった俊秀であった。ちなみにボキは、学部卒でしかなかったけど。当然、一番最初の母校の大学院からは成績劣等で相手にされなかったからである。
彼は函館の出身であった。函館中部高校という名門の出身であった。
彼の実家にも遊びに行ったっけ。彼の車で、あちこち北海道をさ迷っていたっけ。中国哲学が専門で、それこそ尊敬できる親友であった。かれもボキと同様新聞配達して苦学したから、なんとなく気があったのである。
ところが、彼は九段高校在職中に交通事故で亡くなってしまったのである。
自転車に乗っていたのだった。トラックにはねられたのだ。
身も蓋もない。葬儀に行って泣いたっけなぁ。残念であったろうに。
それに比べたら、ボキなんかあさましいものである。
まだ生きているし。
さらになんにも世の中に残していないし。
他人に誇りうる実績もなにもないし。
一丁前に職業人であったのかもしれないと思って生きてきたし。
あさまし、あさまし。それっきり。