自分のチカラだけでなんとかしようとやっていたから、亡父は起業もできなかったし、失敗したのだった。
亡父は松下幸之助に憧れていた。なんもないところから、あれだけの大成功者になったからである。ある意味憧れに近い感情を持っていたのだろう。
銭をためて会社を打ち立てて、金持ちになりたかったのだろう。しかし、見通しは甘かった。成功しなかったからである。
学歴もない、貧しかったし、さらに病気もあったのが松下幸之助翁であった。だから優秀な人材を雇ったのであるし、ヒトを活用したのである。
これに気がついていなかったのが残念ながら亡父であった。
全部自分のチカラでなんとかしようとしていたからである。せいぜい、親類縁者を頼ってなんとかしようとしていた。事実、特許をとってある製品を製造して販売をしたのである。失敗した。これも残念ながらである。他に旅館の経営にも手を出した。
ボキは、ガキだった。けれども、どうも違うような気がしていた。亡父のやり方は。全部自分の手でやろうとしていたからである。
要するに集金力がなかった。営業力もなかった。
しょせん、田舎の役場職員の限界であったのだ。
さらにある。
それはヒトを頼ろうとしなかったということである。起業をするということは、資金が要る。会社組織にしていくには、他人のチカラが必要となる。全部自分の銭でまかなうことはできない相談である。
亡父にカネを出してくれる他人がいなかったということである。
50人に手紙を出して、会社をつくるから一人30万出資してくれと頼んでみても、誰も出資してくれなかっただろうと思うからだ。
ましてや、退職金で起業してみようというのは、あまりにも大胆不敵である。
世渡りができなかったら、おとなしくしていれば良いのである。
つきあい下手なら、これもまた個性と思って、おとなしくしていれば良いのである。
そして、そういう個性ならば、断念することだ。起業なんて。
ボキは、断念させることも教育の大事なポイントであると思っている。
いつまでも夢を追っていて、それだけで果たして良いのだろうかと思っている。
現実を直視してから行動をしても良いのだ。
あるいは、教育とは他の可能性を捨てることだと言っても良し。
ボキが、美男俳優を志さなかったのは、そういう断念をしたからである(^_^)。
また、柔道家として一家をなすことも断念した。最初からである。途中、ベンチプレスで140キロ上がったときは、もしかしてボキのようなもんでも、もしかすると成功するかもしれないと思ったときはあった。しかし、ボキは平穏な人間で争いごとが苦手である。こういうのは、格闘技の世界ではまったく通用しない。
だから断念した。
最近では、大学院博士課程を断念した。こっちも身の程知らずであったのだ。自分の能力次第では、もしかして博士になれるかもしれないと思ってしまったのである。恥ずかしい限りであった。
だから、今だからこそ言えるのだ。
自分のチカラだけでなんとできるとうぬぼれるのは、もうヤメヨウと。
要するにいかに人間を活かして使えるかというその一点が最重要であるからだ。
さ、今日も元気でアルバイトに行ってきましょう。しかも昼と夜の二つ。
わははっはははっはははっはははっははっはははっはははっはははは。
ヾ(*´∀`*)ノ