と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

人間ドックのホテルにいる 暇だなぁ どこも悪いところがなかったから良いようなもんだが

2019年12月24日 19時14分21秒 | とーま君の流儀2019
人間ドックで泊まっている。病院から1キロあるだろうか。ボキんちからはやはり1キロ。一日目である。どこも具合は悪くなかった。ドクターの診察が一日目にあるからだ。

明日も行く。ホテルから送迎バスで。

ありがたいものである。

ところがだ。現役時代の同僚と会った。高学歴エリートだ。元気だ。まったくエリートというのは、どこまで行っても他人より優れているらしいのだ。しかも、エリートだという雰囲気なんかまったく出さない。こういうのが、ほんもんのエリートなんだろうなぁと思った。去年も同じ日程で会ったのだから、ご縁があるのだなぁ。

威張ったところがまったくない。初代ノーベル賞をもらった U博士の後輩でもあるんだから、どったけエリートだかわかったもんじゃない。

しかし、ありがたいものである。

こういう優れた人と会えるというご縁にである。


ホテルから報告でございます。

ヾ(*´∀`*)ノ
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【武田邦彦】2020年あの大問題がようやく終わります。甘い汁を吸ってきたヤツらの破滅は間近です【テレビでは報道されないホントの話】

2019年12月23日 17時38分34秒 | とーま君の流儀2019
【武田邦彦】2020年あの大問題がようやく終わります。甘い汁を吸ってきたヤツらの破滅は間近です【テレビでは報道されないホントの話】
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【武田邦彦】アルコールに弱い人ほど例の病気になる確率もぐんと向上します…←なるほどねぇ、武田先生さすがでありまする

2019年12月23日 17時31分32秒 | とーま君の流儀2019
【武田邦彦】アルコールに弱い人ほど例の病気になる確率もぐんと向上します…
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人間ドックのために、検便終了しました。明日は、いよいよタノシミにしている中古ジジイの修理ドックじゃ(^_^)

2019年12月23日 09時15分06秒 | とーま君の流儀2019
明日は人間ドックの日じゃよん。もう30年近くやっているのだ。タノシミである。なぜかというと、ボキの身体がどうなっておるのかということにエラク興味があるからだ。特に胃カメラ。はらわたがマックロなのではないのかと思っているから(^_^)。

血液関係は、いつも行っているかかりつけのクリニックで先週済ませてしまった。だからなんの異常も無い。唯一、膝が痛くてこれが徐々に回復しているものの、しょうもないことである。座って読書しちゃアカンと巨大病院整形外科の先生に言われているから、ますますアカン。大学院受験も諦めてしまった。正月まで回復したら、WEB出願という手もあるけどねぇ。どこまで回復するか。

そんなのより、ボキ、一泊二日の宿泊ドックなんである。巨大病院はほとんど町内にあるようなもんだし、泊まるホテルは一キロないのだ。だから、ナースの方にあきれられる。すぐ近くじゃないですかと言われてしまうのである。

ま、いいではないか。たまには、家にいない方がいいというもんじゃ。ホテルから家までよりも、長男の家なら約200メートルしかない。孫と一緒に過ごしたいと言ったら、なんで来たのだ?と長男に叱られてしまうだろうから、行かないけど。

サミシイもんじゃなぁ。ジジイなんてなんの影響力もないからだ。

わははっはははっはははっはははっはははっはははっはははっはは。

ホテルの脇には、スパもある。ショッピングセンターの脇にあって、まだ新しい。昨日もそのスパに行っていた。膝のためにである。暖めてきた。なんだか、調子がいい。しかし、時々ひねると痛い。自業自得である。

で、大学院でやってみたいのが、それ。なんでボキは自業自得というか、悪行三昧ばかりやってきたのだろうかということである。人間なんてそんなもんかもしれないけど、本当に悪いことばかりしてきたのはなぜかという疑問が解決していないのだ。

だから家人に道楽で大学院なんか行かないでちょうだいと言われてしまうのである。

でも、通信教育なら今のバイトで十分行ける。マジに。


明日の夜は、そのホテルから記事をアップします。

生きていたら。


BYE-BYE!
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小椋佳の「少しはわたしに愛をください」から「みちのく一人旅」をいとこ会のカラオケで 後半生の人生の目標はナンダ?と聞かれてしまったけど

2019年12月22日 09時14分47秒 | とーま君の流儀2019
後半生のボキの目標はなにか?と聞かれることがある。答えられない。挫折の連続であったし、仕事だってやっていないのだから。

そんな人生つまらないではないかと言われたこともある。老人大学のお友達からだ。そして、そうやって聞く人は金持ちだ。株式投資をばんばんやっていて、外国に行っていても薬品株の動向をさぐってばかりいる。

ボキは、最初から今までもゼニとは無縁であったから投資の世界からは、あっちから断られる。あたりめぇである。

それに、色恋ざたとも無縁であった。だいいち、化粧品の臭いと、ミニスカートと、アルコールの世界に行ってもまったくこころが動かない。カラオケもおもしろくもなんともない。しかしである。この間のいとこ会で(石巻でやった)、みちのく一人旅を歌ったときは、32人もいるいとこ達に叱られてしまった(^_^)。その歌、前回も歌ったではないかとやられたのだ。よくまぁ覚えているもんじゃ。ジジイやババァしかいなかったのに。

それで仕方がないから、小椋佳の「少しはわたしに愛をください」をやってしまった。酔っ払っていたから実にうまかった。自分で言うかであるが。

そしたら、いとこ達は言いたい放題。おめぇずいぶんそれで遊んできたなと言われた。アホかいな。ボキと遊びはまったく無縁の世界である。マジに。冗談ひとつイワナないのだ。世界で一番冗談が似合わないジジイであるから。

嘘だけど。


それで目標のことである。

つきなみだが、「健康」ですなぁ。これは、惚けないというのも含まれる。旅を愛し、うまいものを喰い、美酒を味わう。家人と一緒に行っているのが一番シアワセである。こういう時間の過ごし方が一番である。

仕事上のつきあいも途絶えてしまったし、さらにボキには小中高の同級生というのが千葉県にいない。親戚もいない。長男が近くに住んでいるだけだ。だから本質的に孤独なのである。したがって、その時々の知り合いを実に大切にする。

コミュニケーションをである。

強いて言えばそういうことになるのだろうなぁ。

これだと、老後にタイやフィリピンに移住している老人と変わらないではないか。それもあり得る話ではある。



わははっはははっははっはははっははっははっはははっははは。
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頓挫、とんざ、トンザ。時期というものがあって、ご縁がなかったと思えばいいのだったなぁ。大学院受験のことだけど。なにしろ健康第一だから。

2019年12月21日 09時01分44秒 | とーま君の流儀2019
膝が治らないと、生涯学習もできやしない。大学院受験も頓挫してしまったし、さりとて健康第一であるから無理もできない。大学院の受験には英語の試験もあるから、準備していたのだがねぇ。英文の長文読解なんかをずっとやってきたのだ。マジに。そのために、塾でバイトしていたのだから。教えるということは、自分が一番勉強になりますからなぁ(^_^)。

物事には時期というもの、ご縁と言い換えてもいいが、そういうのが確かにある。ご縁がなかったのだ。それを見誤るとまたまた失敗してしまう。

要するに様子見である。

そう思ったら、やけに旅行に行きたくなった。温泉である。右足はなんともないから、運転はできる。アクセルとブレーキだけは、ふみ間違えないだろうから。

それにしてもゼータクだよ。こんなジジイで良いのだろうかとは思う。でもですなぁ、一年後にこの世からオサラバしていたら、後悔しきれないではないか。一年後に生きているってぇ保証もないしねぇ。

病気で死んでいるかもしれなではないか。あるいは、事故死。あり得ない話ではないからだよん。

だから、この一瞬を大事にして生きているんでござーます。

ブログもそうでありますよん。これを打鍵しながら考えているので。それに、一昨日100円ショップで左足をのっけておける踏み台を買ってきたから、安心であるから。なぜって、それに左足をのっけていれば、膝の痛みが軽減するとドクターに言われたからである。

ありがたいことに九十九里浜はあったかい。関節の痛みには実に良い土地である。しおさいの音を聞きながら、露天風呂に入っているなんてぇことは、雪国の米沢で育った身としては考えられないゼータクである。ありがたいもんである。

こうやってジジイとして衰えていくんだろうけど、それもまた良し。


今日は、2歳の孫(女児)のためにプレゼントを買いに行ってくる。すぐ近くに住んでいるのだが、ジジイはバイトばっかりやっていてなかなか会えないのだ。

あああああああああああああああああああああ。

愛しい孫よ。

待っててねぇ。

BYE-BYE!


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去年は仙台でスクーリングをやっていたのだった。昨日、女子フィギアで首位に立った紀平選手の学校だった。

2019年12月20日 07時37分31秒 | とーま君の流儀2019
今朝も、日記をつけていたら、去年の今頃は仙台にいたのだとわかった。10年連続日記なのですぐわかる。昨日、女子フィギアで首位に立った紀平選手の在籍校でのスクーリングに行っていたのだった。なつかしいですなぁ。今年は声がかからなかったから、家にいるけど(^_^)。

それにしても、バイトの声がかかるうちはやっていこうと思っているのだ。塾も、もう来なくていいと言われるまではやっていたい。

なぜって?

惚け防止になるからだ。それに人間関係の中で揉まれていると、これまたタノシイ。そもそもが、コミュニケーションが大好きだからである。だから嫌いな人間がいない。ま、イバリンボは嫌いであるけれども。

どうにもならなくなったら、自宅で塾でもやろうかと思っているから気楽なもんだ。いつでもできる。部屋が三つあまっているから。老夫婦二人で住んでいるし。それに、ボキは、生涯現役ティーチャーなのだろうよん。中根東里にあこがれているからだ。ひたすらオノレの陰を消して、存在そのものも消して生きていった先哲でもあるからだ。

年賀状を作り終えた。なかなかの出来である(^_^)。自分で言うかである。旅行に行ったときの写真をベースにおもしろおかしくやっている。アホである。どうせ見ていただけないだろうから、好き勝手にやっている。それに枚数を減らしている。70枚くらいにした。現役のときに比較したら、ずいぶん減った。あたりまえである。もう仕事なんかしていないからだ。バイト先にも出さない。いつ首になるかわからんのでは、葉書一枚といえどももったいないではないか。

わははっははっはははっははっははははっははっはははは。

それにつきあいは大事だとは思うが、それだけで定年まで勤められたのではないと確信しているからでもある。そもそもが、ごますりが下手でずいぶん説教されたこともあるからだ。ゴルフすらやったことがなかったし。

社会性がないですなぁ。

あるわけない。

顔も鬼のようだよん。

がに股で、肩を揺すって歩いているし。


今晩も塾がある。タノシミである。こういう機会を無くしたら、生きている甲斐もなし。

BYE-BYE!
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莫言の「蛙鳴」を買ったよと、昨日の古文書講座で言われた。歴史の会で若い女性講師が紹介した本である。影響力の差ですなぁ、ボキじゃこうはいかないから。

2019年12月19日 06時06分58秒 | とーま君の流儀2019
千葉市民会館でおこなわれた歴史の会で若い女性講師が紹介した莫言の「蛙鳴」を買ったよと、昨日の古文書講座で言われた。ボキなんかよりはるかに先輩である。あ、古文書講座というのは居住地の方。ボキは、ここで初級会員として参加させていただいている。

それにしも生涯学習に熱心である。その御仁のみならずである。鎌倉時代のことが好きで、吾妻鏡なんかも購入して読破しているのだ。すごいパワーである。うかうかしてられん。その方もそうだが、上級コースでも勉強されている。リタイヤしたから、生涯学習をやっているのだ。豪農の方であるから、生活費には困らない。マンションも所有されているから(大家さん)、ボキなんかとは比較にならない(^_^)。

こういう年の取り方もなかなかすてきである。見習いたいくらいである。金銭的には無理だが。

しかも、クルマなんか高級外車である。ボキは、スモールカー。エンジンだけ2000というお化けのようなスモールカーだけど。

閑話休題。

年賀状作りでずっと座っていた。そしたら、また膝が痛くなってしまった。今日、これから大病院に予約診療に行ってくるけど。安静にしているしかないようである。
(*_*) マイッタ

歩けないので、太ってしまうのがしょうもない。だから、食事でエネルギー摂取を減らしている。それでも歩いていた時期より、2キロは増量しちゃったのだ。しょうもない。よって、古文書講座が終わってからいつも行っているかかりつけのクリニックに行った。今週の月曜日にエコノミークラス症候群の薬をもらいに行ったときに、ドクターが血液検査をしてくださったから、結果を聞きに行ったのである。

なんでもなかった。安心した。

もっとも、来週のクリスマスには大病院で人間ドックをやってくるから同じようなもんだけど。

健康不安があったら、生涯学習どころではなくなってしまう。

健康で、いつまでも惚けないで、アタマを鍛えていきたいものである。

あ、頭突きではありませんぜ。


わははっはははっはははっはははっはははっはははっはははっは。😁 


BYE-BYE!
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女性天国なのはどこの国か

2019年12月18日 07時01分22秒 | とーま君の流儀2019
大家族主義でもって、育児も家事も全部相互扶助の精神で生活できるような国があるのだそうな。安価な対価で、メイドさんを雇っていれば、可能なのだそうな。

日本の核家族化はなんだかとてもおかしい。全部奥さんが負担している。育児も家事もである。家の中の掃除も奥さんがやっている。もっとも、台所の汚さ・乱雑さはどこの家でも同じだが。そういう意味で日本の女性はつらい立場にいる。しかも、保育園や幼稚園もなかなか入れない。これは国家戦略が間違ってきたからだ。

離婚したら日本の女性はもっと悲惨だ。収入も激減するし、なにしろ育児も家事も女性ひとりの背中に大きく依存している。これじゃぁ、全部投げ出してしまいたいというのもよくわかる。

ところが、こういう悲惨な目にあわない国が存在しているのだそうな。

フィリピンである。

メイドさんが格安で雇える。数万円だとのことである。調べたら以下のように書かれていた。(https://philippine.yokohama/maid-2/) 

住み込みと通いがあります。 
住み込みは文字通り一緒に生活。休みの日だけ帰るとか、家が遠いから帰らないけど休みはお出かけするとか、いろいろです。
メイドさんの食事や日用品、寝場所などの確保が必要。その分、通いに比べると給料が割安。
3000ペソ/月~ 
フィリピンの大きな家ではメイド用の小部屋がよく見かけられます。
親戚の家ではメイドさん部屋が無いので、メイドさんはリビングにマットレス敷いて寝てました。 
通いの場合は週に1回とか3回とか、主に掃除や洗濯をやってもらうために雇うことが多い。
給料は500ペソ前後/日


立派な職業である。こういうシステムがあるから、フィリピンの女性は天国なのである。日本から移住して住み着いている我が日本男子もいろんなところでそういう発言をしている。

なるほどであった。

さらに、介護もそれ専門の方々がたくさんおられる。日本にも来てくださっている。

要検討である。

独居老人になっても安心かもしれないから。



昨日から、「独居の思想と歴史」というパワーポイントを作り始めた。独居老人という非常にサミシイ単語に触発されたからである。ヤスパース、親鸞、福沢諭吉が出てくる。これなかなかおもしろい内容になるだろう。

歴史の会で講師がドタキャンしたらいつでもできるという前提のもと、作っているのである。ネタ帳みたいなもんだが。

なにしろボキは用心深いので(^_^)。



BYE-BYE!


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バイト探しは、ゴチャゴチャ言っていないで、ともかくエントリーしてみるこってすよん

2019年12月17日 07時25分03秒 | とーま君の流儀2019
バイトをいくつかやっているが、年齢制限だの、バイト代はどうなっているだの、交通費はどうなっているだの、職場の雰囲気はどうだとかゴチャゴチャ言わないことだ。

慎重なのはよろしい。しかし、肝心なのは「行動力」である。ともかく求人にエントリーしてみることだ。

エントリーしても、落ちることは山ほどある。

落ちることが当たり前の時代になっているのだ。

ともかく落ちることを前提にして、オノレを試してみることである。ボキなんか、落ち続け、落ち続け、落ち続けの連続であったから、なんも心配していないのだ。

その結果がバイト8つであるから。

むろん、年金暮らしが長いと世間から異なる目で見られるというのはわかっている。そんなに働いてどうするんだ?と聞かれてしまったこともある。ローンを抱えて苦しんでいるのか?とも言われてしまったこともある。

ボキは、幸いなことにローンはない。一円たりとも借りていない。昔、株で大損をしてからは堅気のまま生きてきたからだ。

それに、エントリーしてみると相手の人間観察になるからこれまたおもしろい。社長と言っても、どのレベルの人間なのかよくわかってしまうからだ。

要するにコミュニケーションが好きだからやってられるのだ。

人間を相手にしてきたからなぁ。生徒という人間をである。

この仕事をするのに英検何級が必要だからとか悩む必要もない。持っていなければ、努力することだ。ボキだって、退職してからNHKのラジオ講座で聞いていただけで、大学受験程度の英語なら指導できるようになっちまったし(^_^)。私立のチョー三流大学出身でもできるのじゃよん。しかも、ボキは新聞配達してやっと学部を卒業した最劣等生だし。昨日、学部の母校から校友会寄付金のお願いが来たけど、ボキは母校がいくつもあるから出来ないのだ。困った卒業生だ。しかも、ボキ、学費は新聞配達していた新聞社が払ってくれただけで、自分で払ったという記憶がないから余計に始末に負えないのだ(^_^)。



ともかく評価は他人がやるもの。

エントリーしてみなくちゃわからんのである。

要するに、「行動力」である。


今日は朝から雨。

本日二度目の記事投稿なり。

ヒマだなぁ。

今日もスパに行ってくるけど。膝をあっためるから。



BYE-BYE!
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二つ三つ先輩だからといって、先輩風を吹かしていたら笑われますぜ。それだけ、死出の旅路が近いからで(^_^)。

2019年12月17日 07時04分04秒 | とーま君の流儀2019
シンプルに生きたい。もうやっているけど。バイトの数は多いが、そもそも毎日やっているわけではないし。それに、人間関係の中でゴチャゴチャやっているのが好きだから。人間観察にもなるしねぇ。

仕事がないのだから、気楽なもんである。年金暮らしをしているだけである。そして、バイトでささやかな小遣いを稼いでいるだけ。居住地にあるスパに行くのをタノシミにしているだけ。それにしても膝が痛いから、最近歩けなくなっているけど。唯一これがシンペェであるが。運動不足だからだ。

老人大学でできたトモダチと来年1月に、ゲートボール大会に参加する。誘われたから行く。終わってから、これまたささやかな宴会があるから行くのだ。バスで日帰り旅行。こっちも、みんなジジババだから、来年生きていられる保証もないのじゃ。だから、つきあいを大事にしているということなのだ。

人間、いつ死ぬかわからんではないか。

一年後、生きていられる保証もない。可能性はあるかもしれないが、死んでしまっている可能性もまったく否定できない。

こういうボキを刹那主義と言えば言える。笑っている方々も多い。それに、75歳のジーサンにまだ若いではないかと言われてしまったが(一昨日のこと)、ジジイになればなるほど、ちょっとした年齢の差でもって先輩面をしてしまうのが多い。ボキにしてみれば、ボキよりちょっと年齢が上だということはそれだけ冥土が近いっちゅうことなのだよん。なにも自慢するようなこっちゃないのだ。

もっと充実した人格でありたいもんである。ちょっと先輩だからと言って、先輩風をふかしていたらアホである。ホンマに、それだけ冥土への旅路が近いというのになぜ気がつかないのであろうか。

前提に、いつまでも生きていられると言うのがあるからだ。

いつまでも生きていたら、そりゃバケモンでっせ(^_^)。

美人だって、いつまでも美人でいられるわけもないからだ。


わははっはははっはははっはははっはははっはははっはははは。


(@^^)/~~~!
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歴史の会を無事終えることができた 参加人数も増えた ありがたいものである 後は去るしかない

2019年12月16日 07時13分22秒 | とーま君の流儀2019
歴史の会研究発表大会が無事終わった。これでボキも終わった。あとは、後輩に道を譲って温泉三昧で生きるべし。そもそも素人である。歴史分野も。そうなのだ。「も」である。

そんなことを昨日は考えていた。ひたすらオノレを消していくべし。自分のやったことなんか、たいしたことはないのだから。

勘違いばかりしてきたなぁと慚愧の思いである。大学院に進学してしまったことが、そもそもの勘違いだったのだ。学者や研究者になれるわけもなかったからだ。所詮素人であったから。

ううううううううううううううううううううううううううううむ。

歴史の会で若い世代が躍進している。研究発表もそうだったし、記念講演をいただた大学の先生にも感服してきた。

終わった後に、寿司屋で忘年会をしてきたが、これもまた楽しかった。それだけである。後は、去るしかない。いつまでもしがみついている必要もない。それだけの必要性も求められていない。

他人のために役立ったという思い出だけがあれば良い。それがボキの記憶に残るだろうからだ。

今週もバイトだけやる。塾である。来てくれと言われているだけ、シアワセである。

それだけだ。それだけ。

頼まれごとは、断らないからだ。そして、たぶん間違っていなかったと思う。歴史の会を再起動させて、回復の道を歩ませることに成功したからである。

もっともボキは仕事人時代もそんなことばかりやってきたっけなぁ。

再建屋でありましたよん。

それがボキの記憶に残っていればそれでよしとしよう。



BYE-BYE!
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笑いはありとあらゆる枠を破ってしまう ボキには破るという枠すらないけど

2019年12月15日 04時45分20秒 | とーま君の流儀2019
笑ってばかりいる。こういうボキを、いつも楽しそうだねぇという御仁もいる。事実である。ともかくタノシイからだ。

定年退職後、枠がなくなってしまった。つまらない枠がである。そもそも枠なんて要らない。そんなもんに縛られているから、ろくでもないことばかり起きる。

職業上の枠もなくなってしまった。さらにある。地域の縛りもない。ボキは、九十九里浜に住んではいるが、別に縛られて生きているわけでもない。血縁関係はまったくないし、家人と結婚してからここに住み着いているだけである。頼朝さんみたいである。彼氏も流人の身で伊豆に住み着いてしまった。あ、頼朝さんと一緒だと言ったら怒られるですな。熱狂的なファンから(^_^)。

意識の枠が破られた世界が、理想である。と、ボキは思っている。生老病死の苦からも逃れられる世界と言ってもよし。

無意識の世界で二元相対的なものを持っているとろくなことはないからだ。善悪とか、強弱とか、優劣だとか、正邪とかいろいろあらぁな。一番は、自他の区別。これって差別にも結びつく。

仏陀がすごいのは、そういう二元相対論的な思考方法をやめちまったことにある。ボキはそう思っているのだ。仏陀は、一元絶対の世界を説いてくださったのだ。つまり、絶対というのは「対」を絶するということなりである。いっさいの対立関係がないってぇことだ。

ところが、ボキは、ありもしないことをゴチャゴチャと考えてしまうから混沌としてくる。アタマが悪いのに、比較しながら生きているから苦しくなっちまう。我々人間は、誰だって本来一元絶対の世界を生きているはずなのに、忘れてしまっているのじゃよん。

ワンコだって、猫だって迷いがない。「いま、ここを生きている」ではないか。動物たちの方がよくわかっているではないか。まさに、本当のリアリティを生きているではないか。過去も未来もないではないか。結局アタマの中にしかないではないか。しかも、そいつは触ることもできやしない。

昨日のお茶も飲めないし、明日のお茶も飲めない。それなのに、観念の世界にはまり込んでしまって、目の前にある「今」をないがしろにしてしまう。だから苦しむことになる。


今日はこれから千葉市民会館で、歴史の研究発表大会がある。冒頭、ボキは開会の挨拶をしなくちゃアカン。この会は別に学会でもなんでもない。歴史の研究連絡協議会という名前である。だったら、枠にとらわれることなく、裾野を広げるために活動していこうではないですかと会員の皆様に訴えるつもりである。実証的な研究も大事だが、ボキとしては比較文化の範囲からもこの会の存続意義を考えてみたかったからである。

タノシミでもある。

新知識を得たいからだ。


BYE-BYE!




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名刺をつくっていて、あっと気がついたことがある バイトは一つ減っていた 八つである

2019年12月14日 15時05分00秒 | とーま君の流儀2019
副業が五。

ボランティアが三。

これがボキの真の姿。

わはっははっはははっははっはははっははっははっは。

どうせろくなもんじゃぁねぇけど。

それにしても、この記事の前で「もしも一年後にこの世にいないとしたら」という新書を今朝コンビニから買ってきて、読んでいる。そうなのだ。一年後に死んでいたら、どうするんじゃ?

あり得ない話ではない。一年後どころか、明日かも知れない。未来のために、今日を生きているのではない。明日は、今日のためにあるだけである。だから、今日を充実していかなくちゃアカンのだ。明日は、いつまでも明日かもしれない。されど、永遠に続くものでもない。今日の延長が明日であって、二年後、三年後、十年後も永遠に続いているのではない。

この本、実におもしろい。

バイトだって、いつクビになるかわからん。わからんからおもしろくやっていられる。もう、バイトなんかやらなくてもボキは喰っていける。それでもやっているのは、どっかで他人のためになることをしていたいと思っているからだ。

それにバイトをやっていると、人間観察になる。イバリンボが実におもしろいからだ。なんでこんに自信たっぷりに生きていられるのだろうと笑ってしまうからである。アホの見本が、ボキの目の前にいるからだ。

こうはなりたくないと思ってしまうからだ。

わはっははっはははっはははっはははっはははっははっは。


今日は、二歳の孫(女児)に「いっちょに遊びましょ」と言われてしまった。さっきだ。孫だけだ。こんなことを言ってくれるのは。

BYE-BYE!
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書籍「もしも一年後、この世にいないとしたら」を読み、私が気づいたこと。←ホンマですなぁ

2019年12月14日 08時57分53秒 | とーま君の流儀2019
書籍「もしも一年後、この世にいないとしたら」を読み、私が気づいたこと。
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/