掩体壕を見学せり飛行機
を敵の襲撃から守る掩体壕(えんたいごう)戦時中は上に擬装網が掛けられており、
飛行機を敵の襲撃から守る掩体壕(えんたいごう)戦時中は上に擬装網が掛けられており、
掩体壕を見学せり飛行機
を敵の襲撃から守る掩体壕(えんたいごう)戦時中は上に擬装網が掛けられており、
飛行機を敵の襲撃から守る掩体壕(えんたいごう)戦時中は上に擬装網が掛けられており、
くだんの県立図書館に行ったら、司書の女性が「読みましたよ、と~ま君の『鬼来迎』の論文」とおっしゃったのだ。
ありがてぇことかぎりなし。
この図書館に全部置いてあるから。「房総の郷土史」っていう研究誌。
内容まで踏み込んでこられたから、(*_*) マイッタね。
中国語やっている理由まで突っ込まれてしまったですよん。
全然話せないのにねぇ・・・・・トホホ。
さ、立ったまま打鍵方式パソコンから離脱しまひょ。
足にくるので。
一つだけ良かったことがある。それは「山月記」のように、虎にならなかったということである。もっともあれか。それくらいになる人は、優秀だということである。無知蒙昧なる私には、関係のない世界ではある。
「千葉県の歴史散歩」という本を手に入れることができた。一昨日、千葉市文化センターに行ったとき、お昼休みに大雨の中を隣の千葉パルコ7階にある書店で買った。今更であるが、この本、県立図書館でも見たことがなかった。「山形県の歴史散歩」なら、肘折温泉に行く前に借りて読んでいた。それで、このシリーズ本の丁寧な編集ぶりに感心していたからである。
千葉県の歴史について、どうしても私自身の知識にアナがあるからだ。もっとも、そんなことを言ったら、塾で教えている英語も数学もアナだらけである。自称専門分野としている国語もアナだらけ。まったく完成したという自覚はない。あるわけない。所詮チョ~劣等生である。高校時代の同級生たちからの完全保障付きでアル。まったく、まったくどうしようもない。
特に、館山とか鴨川という房総半島南部の知識がない。あまり行かないというのもある。どうしてもわざわざ行って、あちこち経巡る意欲がわかない。
しかしである。
これからは年金生活をしながら細々と生きて行かなくちゃならない。だから、ゼータクな歴史探訪の旅をしているわけにはいかない。でも、千葉県内ならば、そんなに出費の可能性はない。
肝心要の千葉県内の歴史についてよく知らないのでは、死んでも死にきれない。お世話になった職住近接の土地である。所詮流れ者のよそ者であるが、それなりに愛着はある。しかも、家族を作って孫までいる。これからは房総の地への恩返しである。なにができるかと言われても、私なりにできる範囲で恩返しをして行かなくちゃならない。そう思っている。
これから何年生きていられるか、まったくわからないが、余生はそういう形でもって送るつもりである。つまり自分中心主義ではないということである。自分のために生涯学習ごっこをしてきたが、完全に考えを変えた。去年の入院騒ぎで、挫折したからである。もっともこれまでも、挫折続きの半生だったが。
そういう個人主義的なことを夏目漱石は笑ったのであろうなと思う。漱石は、博士にならなかった。拒否したのである。エライもんである。
中島敦の「山月記」には、名誉を求めて、それが達成できず、とうとう虎になってしまった男の物語が登場してくる。そういう地位や名誉や資格をもって、人間の狂気を誘うというのはわかるような気がする。
狂ったように地位や名誉や資格を求めて、そんなもんがナンになるのだろうということである。むろん大学院博士課程でそれこそ命を賭けて一生懸命勉強されている方々を笑うつもりはない。それはそれで大いにけっこうなことであって、そういう方々の努力は非常に尊いものがある。しかし、昔の博士と課程博士では基盤が違う。ま、これ以上は書かない。
そんなことよりも、地元千葉県のことがよくわかっていないということはこれからの課題でもある。それをどういう視点から読み解いていくかということである。
私にとっては楽しい課題である。
愛車と共に、カーナビに場所を設定して、ウロウロと千葉県内を回ろうと思っているのだ。しかも、ガソリン代もそんなにはかからない。県内だからだ。これが東北地方の民俗学を追求するというのとはワケが違う。行ってみたいけど。
むろん、カメラ片手にである。あるいはビデオカメラを手にしてである。
むろん、そんなことをやってなんになるのだという御批判もあるだろう。それはある程度納得できる。確かに意味があるかないのかということならば、なんにも意味なんかないだろう。ただひたすら「私が知りたい」からというだけであるから。それに、利益も生み出さない。まるっきり趣味のようなものである。それでもいいのだ。それでも。
地位や名誉や資格にも直結しない。あたりまえである。趣味でやっているだけであるからだ。
ただし、こんな趣味でもって余生を送ることができるというのは実にありがたいことである。そしてたまにはゴミ論文を書いてみたい。そういうことである。
さらに碩学たちの講義をいただくことによって、ますます私のこの趣味を充実させていきたい。そう思っているだけである。
思えば、退学した大学院でやっていた「鬼来迎」の研究だって、ほんとうに狭い範囲(土地)の芸能を扱っていたのだった。それを多様な視点から分析していったものであったが、楽しかったな。楽しかった。
鬼来迎分析のために、紀州和歌山にも行った。興福寺も行った。台湾にも行った。マレーシアにも、シンガポールにも行った。さらにさらにアメリカインディアンの踊りも撮影してきた。最後に行って見たかったのが、中国福建省で目連救母劇を見てみたかったが、ここで病気になっちまったのである。
挫折してしまったのだ。
もっとも、アタシノ人生挫折ばかりだったけどね。
しょうもないジジイでございますよん。
でも、一つだけ良かったことがある。それは「山月記」のように、虎にならなかったということである。発狂しなかったということである。
もっともあれか。それくらいになる人は、優秀だということである。
無知蒙昧なる私には、関係のない世界ではある。
さ、これくらいにしまひょ。
友人の奥さんが亡くなったので、これから葬儀関係で出かけますので。
じゃぁ~!
(@^^)/~~~
三内丸山遺跡1994
(この動画は、NHKとは関係ありません)
今日は、老人大学登校日。講師は、私が末席を汚している郷土史の会大先輩のM先生。郷土史の講義をお聞きする。これまたタノシミ。
昨日もNHKの録画を見ていた。「NHKスペシャル アジア巨大遺跡第4集 縄文・奇跡の大集落~1万年持続の秘密~」が2015年11月8日(日)NHK総合 21時放送であった。
録画しておけばいつでも見られるから、気楽に見ていた。で、その録画を昨日見たのである。暇だから(いつも暇だけど)。
そしたら、驚いた、驚いた。縄文文化が約一万年以上も続いていたとNHKは言っていた。当然、現在の我々が生きている文化は、弥生文化の後継であるから、我々よりも遙か以前から連綿として続いているということになる。それに驚いてしまったのである。中国文化よりも古いことになるのだそうな。
ま、遺跡そのものは、そんな期間は継続していないけれども、それにしても古い。日本書紀や、古事記はそれよりもずっと新しいわけであるから、なんという歴史であろうか。そう思った。こりゃ歴史について「も」、素人だけれども、これまでの認識を改めなくちゃならんと正直思ったわけで。
さて、三内丸山遺跡の公式HPから概略を引用してみよう。↓
http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/about/main.html
「三内丸山遺跡は、今から約5500年前~4000年前の縄文時代の集落跡で、長期間にわたって定住生活が営まれていました。 平成4年からの発掘調査で、竪穴住居跡、大型竪穴住居跡、大人の墓、子どもの墓、盛土、掘立柱建物跡、大型掘立柱建物跡、貯蔵穴、粘土採掘坑、捨て場、道路跡などが見つかり、集落全体の様子や当時の自然環境などが具体的にわかりました。 また、膨大な量の縄文土器、石器、土偶、土・石の装身具、木器(掘り棒、袋状編み物、編布、漆器など)、骨角器、他の地域から運ばれたヒスイや黒曜石なども出土しています。ヒョウタン、ゴボウ、マメなどの栽培植物が出土し、DNA分析によりクリの栽培が明らかになるなど、数多くの発見が縄文文化のイメージを大きく変えました。 平成12年11月には国特別史跡に指定されました。」
以上である。
NHKが面白かったのは、食糧問題に絞って放送していたことである。これは目から鱗であった。稲作文化がなかった縄文時代にあって、縄文人は栗や、どんぐりなどの豊かな森林資源を活用していたという視点から放送していたことである。ここが楽しい目の付けどころであった。
縄文時代に行われていた狩猟採集文化は、貧しく、未開文化の匂いがするっていう感覚でいたからである。もしかしたら、言語文化もなかったかもしれないとも思っていた。
なんだか、今までのデタラメな知ったかぶりが大いに訂正されたような気がしている。
土器にしたって、あの文様に意味があるのかも知れないと紹介していた。ニューギニアに縄文土器の文様と似たようなものがあって、大学教授が研究中だとのことである。それぞれの文様の意味についてである。
タノシミな御研究である。まとまったら、資料を入手したいと思った。マジに。さっそくどっかの博物館もチェックしていこうと思っている。
さらにある。
それは主食であった栗の実を採取するために、計画的な植樹をしていたというNHKの指摘である。いわば、森を破壊しない上に、環境循環型社会を実現していたという点である。
そもそも農耕社会は、自然を破壊することから始まる。当然であろう。稲作は、森林の伐採から始まるからである。森を切り開き、田畑にしてからでないと何にも始まらない。それから水路を切り開き、稲作を始める。そしてその稲は、富のもととなっていく。富を蓄積した一部権力者も発生する。そして部族を形成していく。権力は、社会を構成していって、さらに他部族との合併や侵略をしながら、自称文化を形成していくわけである。
そういう営みをしながら、我々の祖先は生きてきたわけだ。自然破壊をしながらである。
結局すべてが、森の中にある。農耕文化もまた、森との戦いであった。
だが、縄文人は、森と対峙しなかった。森を利用して、あるいはその恵みをいただいて、生命を維持していた。それに驚いたのである。そういう視点から考えてみたこともなかったからである。
だから、弥生人に負けたということにもなるのかもしれないが、ある意味、現代人のユートピアが縄文文化にはあったのではあるまいか。ふと、そう思ったのである。
環境について発信する方々は多い。環境というと誰も反対できない。環境を守ることは実に大切である。しかしながら、そもそも農耕文化すら、環境破壊をして現在があるとなると、ちょっと今までの考えを改めなくてはならないと思う。
こんなことを考えるのは、もしかしたら私だけかもしれないけど。それでもいいんだ、いいんだ。
縄文文化は東北に残っているというのも面白い。なぜなんだろうか。日本はやはり弥生人に征服されたのであろうか。鉄器と、武器と、稲作文化を持った先進型の人種に。
わからないことばかりである。
勉強不足ですなぁ~。
まったくそう思う。
縄文文化が、我々の先祖の土着信仰にもいろいろと影響を与えているという指摘も読んだことがあるし。それが、房総の地にはいくらでもあるからだ。さらに、故郷のみちのく(奥州)にも。
これからタノシミである。
また興味関心が拡大したからである。
今日は、老人大学登校日である。講師は、私の関係している郷土史の会から来られる。大先輩のM先生である。郷土史の講義をお聞きする。これまたタノシミ。
さ、これにて退場します。
また!
もう十分惚けているってか?
故郷みちのくの徒然はなかなかのものだった。
紅葉も美しく、素直にいいもんだ、いいもんだとつぶやいてきた。別に他意はない。旅の徒然である。しかも故郷である。故郷の紅葉を眺めて、後、何回見る事ができるだろうかと思うだけである。
今更大都会に興味関心は無い。まったく無い。うっとうしいだけである。大きな建物にも関心は無い。ナントカツリーとかの鉄塔にも行ったことが無い。行く気もしない。
大都会の方々というのは、紅葉とか落葉とかを見て何を感じるのだろうか。まさか、紅葉は人生の落後者、落葉は死んだ葉っぱだから、あんなふうにはなりたくねぇって思っていたら、世の中おしめぇである。まさかねぇ~。そんな人もいるのかな?わかんねぇけど。
他人がどう思おうと関係ないけど、あまりにも生きてバリバリ稼いでいる人だけが価値があって、その他の人間には生きる資格もねぇっていうことでは、いかがなものか。成果主義から言ったら、私なんぞなんの成果もあげていないし、イテもイナクテモどっちでもいいようなもんだ。
だからこんなくだらないブログなんか書いているのだ。
しかし、である。これはある意味自分のために書いているのであって、完全に「惚け防止」のためである。だから、あまりアクセス数が増えると困ってしまう。なかには、メールをくれたり、Twitterで取り上げてくれる人がいるが、反応はしない。
困るだけである。
なにを今更である。他人の反応のために書いているのではないからだ。文章練習のためである。成果もなんにも要らないブログである。惚け防止のためである。
?
もう十分惚けているってか?
わははっははははっはははは。
それならそれで仕方なし。いつまでも、打鍵できるように生きていきたいだけである。それだけ。夢も希望もない。その日一日生きていれば、めっけもん。夜になって、今日一日生かされてきて、ありがとうございましたとやっていれば幸せなんであるから。
それにしても、山形県の肘折温泉は良かった。
旅館の女将の優しさにこころ打たれてきた。ナビだよりで、ずっと東北自動車道を北上して、それから山形道に入って、あるインターで降りたのである。事前に電話で道順も聞いていた。***から入ったらダメですよと言われていたのに、それをすっかり忘れてダメコースを選択してしまったのである。
つまり迷子になってしまったのである。
途中、ローソンで道をお聞きした。店員の方が大変親切で、こっちは故郷であるから、東北弁で喋っていたのである。そんなジジイにも親切に、地図まで書いてくださった。あああああ、故郷はいいもんだと思った。
肘折温泉に近づいてきて、温泉街に入ってからまた迷子になってしまった。道が細い。まことにまことに細い。それで、宿に電話したのである。入っていけない道を入ってしまったらしい。ダンダン道が細くなって、とうとう行き止まり。川の側の道で、あと、10センチで川底に墜落となってしまうくらいになって、立ち往生。そしたら、行き止まりの道の向こうから、「あららららららら・・・」という声。宿の女将であった。
「こんなところまでよく入ってきたもんだなっす・・」と言われてしまった。
それから、川の反対側に軽トラックが止めてあったので、女将がその所有者を知っていたから、その家まで連絡をしてくださって、軽トラを移動してもらって、やっと脱出できたのである。
さらに「わたしもお客さんのクルマに乗って案内します」と言われるのである。
こういうのを感謝感激というのであろう。助かった。助からなかったら、今頃、こうやって打鍵していられるわけもない。
惚けジジイだから、どうしようもない。確かにどうしようもない。
だったら、出かけなければいいと言われそうだ。しかし、まだ元気なうちは、driveもしたい。さらに家に引きこもりでも仕方なし。
草の枕を旅の友として、せめて死ぬまでは旅をし続けたい。
その日の女将の料理は簡素だが、実に美味しかった。山菜中心で、こころが籠もっている。クチのききかたも、懐かしくて、美しい。部屋は古かったが、こころがあったまった。部屋にもうストーブが用意されていたけど、それだけであったまったのではない。人情にあっためていただいたのである。部屋は全部で、6室。温泉は三つもあった。入り放題である。源泉掛け流しであるから。
次の日の朝に、六時から朝市が行われているというので、行ってみた。農家の方々が、山菜中心のまるで宝のような食材を売っておられた。さっそく古女房ドノが、ずいきの甘酢漬けを買った。これは珍品である。喰ったことがなかった。
そして今朝千葉の家で喰った。
美味い。
実に美味い。
まだまだ故郷のことを知らないなぁと思った。
来年も元気でまた行きたい。
肘折温泉にである。
さ、今日はこれから古文書講座に出かける。
夜は、中国語講座。
中国語講座も風前の灯火であったのだが、自主講座として、我々の会費で運営可能となった。中国人女性獣医師の先生のご厚意である。ありがたいもんである。これでまたホンモノの発音が聞ける。
それでは、これにて。
(ToT)/~~~
最高!
今月いっぱいで冬季休業に入る滑川温泉!
高校の時に一度行ってそれ以来。
50年ブリになるかなぁ~
混浴主体であるが、女性用の内風呂もある。
じいさんしかいなかったけど。
でも、いろいろと話をして楽しんできた。
これぞ、ジジイの本懐でしたな。
紅葉もこれで今年は見納め。
燃費は、16キロ/リッター。
cx5のデータとしては、ちょっと物足りないけど。
惚け防止と、墓参を兼ねて、山形県の肘折温泉へ行ってきた。
それと退院してから長距離driveをしていなかったので、その訓練もあった。
紅葉がすばらしい。
それに旅館も。
木村屋さんのオカミさんにはお世話になった。
迷子になったし。
ナビが使えなくて。
わはっはははっははははでした。
料理も、温泉も実に良かったですな。
続いて、米沢市の滑川温泉福島屋にも。これは次の記事でアップします。
台湾高砂族古写真 Takasagos - Taiwan Aborigines (Part 1)
今日は、ここで能「土蜘蛛」を見てまいります。
ありがたい限りでございます。
感謝です、感謝!
飯高寺(飯高檀林)
奇習 鬼追い
鹿児島県曽於市末吉町深川 熊野神社で1月7日に行われる奇習
夜8時よりその年の25歳の厄男が3匹の鬼になり宵闇の集落駆け回ります。
鬼が身に着けた御幣を取ろうと襲いかかり観衆、取られまいと鬼の手を振り回す鬼と2人の付き人、約30分間の格闘が繰り広げられます。
2012.1.7 曽於市 '奇習 鬼追い' 鬼神太鼓
毎年1月7日に行われる祭り'奇習 鬼追い'の中で演奏される鬼神太鼓です。
山の中から御幣をまとった鬼に扮した演奏者が駆け下りてきて、幻想的で大迫力の演奏です。
平成24年度 三木鬼追い式(舞台)
兵庫県三木市 大宮八幡宮・月輪寺
大宮八幡宮の舞台で1回目は花、2回目は松明、3回目は黒鬼が松明、赤鬼が餅を切る為の"まさかり"を持ち踊る。
最後は餅まきでお開きです。