と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

12月24日(日)のつぶやき

2017年12月25日 06時59分02秒 | とーま君の流儀2017
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孫が来た。これから孫と一緒に成田空港近くの飛行機の見える丘に行ってきまぁ~~す

2017年12月24日 07時14分41秒 | とーま君の流儀2017

孫が二人やってきた。ボキの長女に連れられて。

男児である。5歳と3歳である。

まぁまぁ賑やかである。

昨日まで夫婦ふたりだけで過ごしていたから、この賑わいはなんだ?状態である。

楽しいものである。

身寄りのないボキの唯一の血族である。あ、もう一人いたか。長男の方である。こっちにも孫ができた。3ヶ月の女児。

大事にしなくちゃねぇ。

孫の成長もタノシミであるが、逆にこっちはかなりの速度で老いていく。老いもタノシミである。なぜなら今まで経験したことがなかったからである。ジジイから若返っていくのではない。老いていくのである。楽しいではないか。

孫を見ていると、ほんとうにほんわかする。

なにも知らないからであろうし、したがって悩みもない。

昨夜は、孫がやってきたから日本酒を1合だけ呑んじゃった。なんも関係ないのだが、なんだか呑みたくなったから呑んだ。そして、ニコニコ笑っていた。まさになんの害毒もない。

それに、家人が孫に「バァバの名前は?」と聞くとちゃんとフルネームで答えられる。5歳の男児は、ボキの名前も答えられる。

しかし、3歳の孫は、「ジイジの名前は?」と家人が聞いても答えられない。バアバの名前はフルネームで答えられるのにである。「千葉のジイジ」としか言えない。

ああああああああああああああああああああああああああああああ。

そんな程度のジジイである(^_^)。

 

さ、天気も良いし、出かけます。

 

(@^^)/~~~

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12月23日(土)のつぶやき

2017年12月24日 06時57分01秒 | とーま君の流儀2017
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年賀状を出し終わって

2017年12月23日 08時17分52秒 | とーま君の流儀2017

こちらから出す年賀状を出し終わった。

かなり選択を重ねて、どうしても出したい方々に出した。90枚であった。それでもあちらから来る年賀状もあるだろう。返事は必ず出すから、結局は枚数が増える。

いただく年賀状では、定型文書みたいなものも多い。今は、パソコンが主流なんだろうから。

これだと面白くもなんともない。

近況もわからない。

年賀状をやりとりするだけの関係であっても、近況だけは知りたいではないか。

だから、ボキは写真を4枚使って近況を報告している。

元気ですからご安心をと書いている。

ま、人によっては「断酒して4年・・・」とか書いている。どうもウソっぽいと言われたことがあるが。

で、はたと気がついたことがある。それは、ボキの年賀状はまさにfacebookじゃぁないのかと思ったのである。写真を使っておもしろおかしくやってある。もう、上司なんかいないから気楽なものである。仕事がらみの年賀状なんか不要になっている。親戚もそうだ。義母が亡くなったので、こちらの関係も整理しなくちゃならない。姻族は所詮他人であるからだ。血族は別である。

と、ここまで打鍵してきて年賀状の必要性を疑ってしまった。

facebookじゃぁできないのか?ということである。

面倒だなぁと思いつつ、毎年やっているボキもボキである。優柔不断である。

 

あああああああああああああああああああああ。

 

バカバカしい(^_^)。

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孫たちが遊びにくる。年末恒例のボキンチの行事である。というより、ボキの長女の息抜きタイムだけど。

2017年12月23日 08時07分57秒 | とーま君の流儀2017

あああああ待ち遠しいですなぁ。孫たちと会うのが。彼らの母親であるボキの娘よりも。

 

 

これから孫たちが遊びに来る。一週間くらいいるらしい。娘がラクをしたいからであろう(^_^)。まさか鍋や釜まで持っていかれることもないだろうが。ま、その時はその時。コメは持っていってもらう。あらかじめ用意してある。

しかし、孫たちは狭いアパート暮らしだから、ボキンチに来たら家中をかけずり回る。走ってである。別に豪邸に住んでいるわけではないが、走るくらいのスペースはある。庭も30坪ほどしかないけど、砂遊びくらいはできるようになっている。田舎暮らしだからできる話ではある。

こういう遊びは、ボキもそうであった大事な経験である。父方の祖母の家も、母方の祖父の家もデカかった。何部屋もあって、とにかく広かった。いとこ達も多かったから、暮れや正月になると遊んでばかりいた。これが現在のいとこ会(父方の血統)につながっているのだ。総勢40名近くいる。配偶者共々であるけれどもねぇ。

思い出というのは、こういうきっかけがないと残らない。

そうなのである。ボキの思い出はこうした田舎暮らしにある。原点である。

だから、ボキの孫たちにはそういう思い出を残してあげたいと思っているのである。

こちらは、孫がジーサンやバーサンになるまでは生きていられない。妖怪のようにいつまでも生きていられたら迷惑であろうからなぁ。死ぬまでは元気で生きていたいが。

孫が来たら、千葉市動物公園に連れていく予定である。まだ5歳と3歳の男児である。内孫の女児は、3ヶ月であるからどこにも行けない。

成田空港から離発着している飛行機も見に行く予定である。そうなのである。九十九里浜から成田空港は近いのである。そして、飛行機を見ることのできる場所がいくらでもある。無料である。ありがたいものである。

男児の孫たちは大喜びをする。普段、飛行機を近くで見ることもできない県に住んでいるからである。

絵本では見ることもあるが、なかなかホンモノは見ることもできない。それが楽しいのであろう。

ボキも楽しい(^_^)。

もう少し小さい頃は、ジジイのボキが抱っこして見せていた。今じゃぁ、抱っこを嫌がる。当たり前である。痩せたジジイに抱っこされていたんじゃ不安になる。いつひっくり返るかわからないジジイじゃねぇ。

これもまた成長の証である。

ドンドンデカくなれ!

ドンドン・ドンドン勉強して、優しい子供になれ!

そう祈っているだけである。

そして、「励めよ、なお励めよ」ということを言い続けたい。

大人になったからと言って、完成することはないからである。まったく完成なんてほど遠い。ジジイのボキがそう思うのだから。完成を目指しても到達点はない。あるわけない。

だからいつまでもチャレンジなのである。

チャレンジ、チャレンジである。失敗を予想しないで、あくまでもチャレンジしていくことが、男子の本懐である。

自分に言っているんだよん。

 

わはははっはははっっはははははっははは。

 

早く来ないかなぁ~~~。孫たちが。

 

(@^^)/~~~

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12月22日(金)のつぶやき

2017年12月23日 06時54分05秒 | とーま君の流儀2017
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良い物語をお聞きした。病院に行って。感動してきた。先生の葬式はオレたちで出すからよぉ~~という話であった。

2017年12月22日 14時55分14秒 | とーま君の流儀2017

今は13:50である。

さっきまで病院にいた。エコノミークラス症候群の再検査である。定期的な。3ヶ月に一度の。担当のドクターにお会いして、血液検査をやっていただいて結果を聞いてクスリをもらってきた。もう慣れっこになっている。

結果は実に順調。

糖尿も完治しているし。

全部規定値以内であった。


診察が始まる前に、東洋一の巨大病院内科で待っていた。なにしろ診察室が内科だけで38くらいある。金曜日なので、今日も混雑していた。

待合室のこれまた巨大な長いすに座っていた。

そしたら、ボキの目の前にある長いすにど~~~も見覚えのある御仁が来た。杖をついていた。お隣は奥様のようであった。ところが、見覚えはあるけど名前が思い出せない。

3分くらいしたら、どっかの男性がやってきた。

「先生、しばらくだなぁ」となれなれしい。先生だとはわかったが、誰だか思い出せない。

「どっか悪いのかねぇ?」と会話が続く。

声がデカイからミンナ聞こえてしまう。

「ワシは、***と***が悪くて」とその男性。

次に、お互いの病気自慢が始まった。全部聞こえてくるのだからたまったもんじゃない。

「先生、いくつになっただ?」と男性。

「88だよ」と先生の方。

「ひゃぁ~~ワシは80になるけど、先生の方が若く見える」と男性。

この後の会話がしみじみしていた。

「先生の葬式は、オイラたち同級生で出すから」と男性。

「先生は、身寄りがなかっぺ? だからよぉ」とも言っておられた。確かに、その先生は他県出身で親戚もいないはずである。その時点でどの学校に在職しておられたかも思い出したが、肝心の名前が出てこない。つい最近まで、巨大病院附属看護学校の講師もされていたはずである。それも思い出したが、やはり名前が出てこない(^_^)。

「でも、先生よりオレの方が早いかも知れないなぁ・・・」と男性。

・・・・・・・・・・・・・・・・

いい話を聞いてしまった。

ボキ、感動してしまったのじゃ。

ボキだって身寄りがないからである。

うらやましいような、恩師と教え子の出会いである。

しかも、88+80である。あわせて168歳である。

これぞ物語である。おとぎ話のようないい話である。


ボキも、いつまでも元気で明るいジジイ生活を送っていきたい。

 

病院からの帰り道、ほんとうにそう思った。

まだまだ長生きしなくちゃねぇ・・・・・・マジに。

 

ヾ(@⌒ー⌒@)ノ

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いつまでも健康で長生きしたいから、今日は病院の定期検診に行ってくるけど。

2017年12月22日 08時16分09秒 | とーま君の流儀2017

いつまでも生に執着していたい。どうせ悟るこたぁできねえのだから。長生きもしたいのだよ。

 

 

健康と老後という問題は時間がたてばたつほど、多様性を増す。つまり病気が増えてくるからである。なにかしらの病気を抱えているご同輩は多いからだ。仕事人現役時代には、まったく病気と無縁であったから、余計師走の風が身にしみる。そうなのである。ボキは仕事人現役時代には、虫歯すらなかったのである。今では嗤い話である。

今は、歩くことと病院通いが仕事になっちまったからだ。そうは言っても、今は歯科医院に行って歯のクリーニングをやっているくらいだけど。それと今日これから行くエコノミークラス症候群の定期検診。血液の検査(ドロドロ度と血糖値その他)をやってくる。これが一番大切であるから。

ま、血圧も高くないし、糖尿病の数値も基準値以内である。体重も実に上手にコントロールしている。まったく問題なし。ポリープもない。胃も大腸も。

来週人間ドックがある。二日間である。しかもホテルに泊まって通院する。ボキの家と近いのにである。あちこち調べてもらう。東洋一の巨大病院なので、ドクターも医療機器も一流である。病気になっても、なんでも対応できる。これがいいのだ。この病院でなければ、エコノミークラス症候群も発見できなかっただろうし。事実、鴨川にあるマスコミで有名な病院でも、幕張の病院でも、居住地のかかりつけの病院でも発見されなかったからである。もしかして、それらの病院のドクターたちは知識がなかったのではないのかと今になっては疑っているけど。

それも今のところはである。数値的に安定しているからと言って、安心して自堕落な生活を送っていたらアウトである。大学院博士課程ごっこをしていた定年後の時期は、晩酌も寝酒も平気でやっていたからなぁ。論文書きと自称して、まったく動かなかったし。これじゃぁ、血管がつまるわけですよ。でも、早く発見されて逆に良かった。あれで健康問題に関心を持つようになったからである。

B6の京大式情報カードのインデックスにも「健康」というのが一つ増えたし。そうなのだ。しかし、今は健康問題が最大の関心事になってしまった。

なぜか。

健康だと快適だからである。生活がである。さらにある。それは「長生きしたい」からである。

どんなに笑われてもジタバタしても、ボキは長生きしたい。よくいるではないか。自称文学者というヤカラに。かっこうよく死にたいって言っているアホが。いつまでも生にとらわれて、みっともない皺だらけの顔になって、しかもハゲになってまで生きていたくないってぇアホが。

そんなことになったら、ボキはどうすんじゃ?

皺だらけだし、ハゲはもともとである。

それのどこが悪いのか!と怒鳴りたいくらいである。

 

わはっはははっはははははははははっはは。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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12月21日(木)のつぶやき

2017年12月22日 06時49分08秒 | とーま君の流儀2017
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身心と思考のバランスをとることが、生涯学習ごっこの秘訣なんでしょうねぇ。

2017年12月21日 09時00分50秒 | とーま君の流儀2017

長生きしたいから生涯学習ごっこにはまっているのかも知れないけれども・・・

 

 

ほんのちょっとの日本酒と、ほんのちょっとの中国料理で腹一杯になってしまった。昨日のことである。中国語講座受講生で、要するに忘年会をやった。中華料理店である。中国語で今年はお世話になりましたと言ってである。ボキはできなかったけど(^_^)。

要するにフレーズが出てこないってぇのは、実力がないからである。

もともと能力がないからである。これは仕方なし。でも、能力はなくても受講生たちとの交流があるから楽しい。それに尽きる。

行きも帰りも歩いて行った。おかげで、昨日は17キロ歩いた。美味いものを喰ったから体重が増えるだろうと予想していたが、毎朝やっている体重測定ではそんなでもなかった。安心した。

今日も歩こう。歩くのが一番である。健康になる。昨日の宴会でも「そんなに歩くのか?」「歩くのが仕事になっているのではないのか」と言われた。言われて当然。他に仕事もないしねぇ。

なぜなら、長生きしたいからである。

わははっはははっはははっはははっははははっはあはは。

 

そうである。長生きしなけりゃ、なんのために楽しい老後を送っているのかわからんではないか。長生きしないで、辛いジジイ生活を送っていたらアホである。成果をあげたい、博士になりたいとあがいてその結果早死にしたら目も当てられない。

生きていなけりゃ、なんのやりがいもない。

そこにこそ、ボキの生涯学習ごっこの存在理由がある。

で、今、迷っていることがある。それは、また老人大学に再入学しようかと思っているからである。またである。また通学しようかと思ったのである。なぜなら、中国語講座の仲間たちで在学中の方がおられるからだ。ただし、人間関係がこういうところでも複雑である。いろいろあるのだ。ま、これについては書かないけど。

 

それしにても中国語講座の仲間たちは、みんな元気である。元気を通り越している。病気とかにまったく無縁の表情をしている。これがいい。これがあるから、生涯学習ごっこはお勧めなのである。

やることがあるってぇいうことである。なんにもやることがなくて、朝から居眠りばかりしていたらそりゃ老いる。オイルショックである。

ふんだんに潤滑していなくちゃアカン。凝り固まって、堅くなってしまってはアカン。関節も柔軟でなくちゃアカン。

身体も思考も柔軟でありたい。

それが長生きのコツなんではなかろうかと思うからである。

これがどっちかに偏ったら、故障が起こる。身体ばかりではいけない。思考だけでもいけない。バランスである。ほどよく調和されていればいいのである。

意識してそういうことをやればいいのだ。

 

落語を聞きながら、いつもそう思っているのだ。なにしろ、ウオーキングの友は落語だからである。

 

ヾ(*´∀`*)ノ

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12月20日(水)のつぶやき

2017年12月21日 06時54分43秒 | とーま君の流儀2017
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居住地の中国語講座が終わったら、夜に食事会という名の飲み会があるのだ。タノシミである(^_^)。

2017年12月20日 08時50分35秒 | とーま君の流儀2017

中国語講座がタノシミで行っているのか、時々やっている飲み会がタノシミで行っているのかわからない時がある。

 

 

なんの意味もないけど、こんなことを打鍵してみても。

わははっはははっはははっはははっはは。

ミンナ仕事が別である。これが良いのだ。現役時代になにをやっていようと、そんなの関係ねぇである。お互い、そんなことは聞きもしない。

一度、中国語だけで会話して、日本語使ったら罰金とろうかという話になった。ボキがまっさきに反対した。なぜなら、ボキが一番の高額罰金支払い者になりそうだからである(^_^)。マジに、そんなことになったら恐ろしいではないか。

二週間に一回の講座では忘れてしまうのだ。それでなくても物覚えの悪さでは超一流である。その間、密かに自分で自学自習していれば良いのだが、生まれつきのナマケモノである。できないのである。情けない。

今日、その中国語講座飲み会が予定されている。

会費がない。これがおもしろい。自分が呑んだり、喰ったりした費用を自分でオノオノ支払うのである。一律****円というようにしないのである。こういう飲み会は珍しいのではないか。仕事をしていた時代には考えられなかった。だから逆に遠慮ナシである。会費を気にしなくていいのだから。

飲み過ぎて健康を害しても、自己責任である。

ある意味、理想的である。

ボキは、たいてい五目焼きそばを魚に日本酒を一合だけ飲むことにしている。中国語講座の仲間であるから、中華料理店に行くからである。野菜もとれるし。

ビールは飲まない。今年の九月に西安に行って中国のビールは常温で飲むということを、現地のガイドさんに教わってから宗旨を変えた。なるほど、常温で飲んだ方が健康にはいい。冷たいものは身体に悪い。もっとも、アルコールはもっと身体に悪い。さらに香水のにおいがしているところは、最悪である。そんなところでおバカキャラのミニスカ・オネーチャンと一緒にアルコールをやり、カラオケなんかやっていたら早死にしてしまうでっせ。ヤメタ方がいい。忠告ですよん。

西安では、白湯の効用も教わってきた。白湯を飲むのもなかなかいい。ラジオ講座を聞くために早起きしているが、いつも白湯を飲みながら聞いている。ゆっくりである、ゆっくりと朝のひとときを過ごしている。

もっとも引退してからは毎日がゆっくりだ。ゆっくリズムである。すべてがスローモーである。ほら、オーストラリアというところにいるではないか。コアラとかいうゆっくり生きている御仁が。あれ、みたことないけどある意味憧れですなぁ。今度行ってみるか。飛行機でまっすぐ南に下がっていけば着くらしいから。

太極拳というのも健康には良いらしい。ゆっくりやっているからである。もっとも流派によっては、激しい格闘技太極拳もあるらしいが。

12月の9日から腕立て伏せをやっている。Gymでも公園でもやっている。40回がやっとである。しかも顔が真っ赤になる。なぜ、12月9日なのかというと、前日の8日に某所で講話をしてきたからである。その時に某所のトップと終わってから飲酒をしたのであるが、彼が腕立て伏せを一日150回やっていると言ったのだ。午前午後夕方と分けてやればできるというのである。こりゃいい話を聞いたというわけである。それで隔日でやっている。連続は良く無い。休みを入れなくちゃねぇ。

それでも40回しかできない。

情けない。

140キロをベンチプレスで上げた鉄人だったとーま君である。だから情けないのだ。

でもちょっと気になることがある。40回でも顔が真っ赤になってしまうのだ。

ゆっくりやっていれば良いのかな?

そんなわけである。生涯学習ごっこは、ゆっくりといつまでも続くのである。

 

(@^^)/~~~

 

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12月19日(火)のつぶやき

2017年12月20日 06時50分19秒 | とーま君の流儀2017
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郵便局にはめられて、毎年恒例の年賀状を作っている。難行苦行でありますなぁ(^_^)

2017年12月19日 08時36分45秒 | とーま君の流儀2017

年賀状を作成しているのだが、面白くもなんともない。世間の習慣なのだ。オサラバするわけにはいかないのだろう。だからかなり個性を出している。

 

 

年賀状を作成中である。毎年のことで、面白くもなんともない。この記事を打鍵しながら、宛名を印字させている。プリンターに。ありきたりの行事で、退屈している。

だから、かなり工夫する。文章だけだと貰った方も読まないで捨てるだろうから、ボキの場合裏に写真をチマチマと入れる。海外旅行で撮影した写真である。

去年は喪中であったから、そんな年賀状を出すわけにはいかなかった。

今年は二年分の写真を印刷した。場所も書いてある。親しい人ばかりだから、許してくださるだろう。

あ、このバカジジイこんなところに行っていたのかというわけである。

とりわけ、ボキのいとこ達がタノシミにしてくれている。いとこ達が連れ合いも含めて40名近くいるからである。いとこ会をやったらそう言ってくれたから、必然的にこっちは張り切る。そうなのだ。九十九里浜には親戚がいないからである。ボキには。

故郷でしか会えないのじゃ。いとこ会で会うのを実にタノシミにしているのである。

仕事人から引きはがされてしまったから、現役時代の年賀状のやりとりはセレクトしている。数を減らさないと、たまったもんではない。年賀状だけで一万円以上吹っ飛んでいたからである。

こんな風習が続くことがよくわからない。短文で決まり切ったパターンの年賀状も多い。しかも印刷されているだけである。どうせ、印刷するのならそこに特徴が欲しいではないか。

あああああ、とーま君らしいなぁという特徴である。それでないと、SNSにとってかわられる。FacebookもTwitterも楽しさという点ではかなりのモノであるからだ。もっとも、ボキはそういうの詳しくないけど。

LINEだって最近始めたばかりだし。もっとも、LINEで中国語の先生を見つけたから、こっちは活用している。教科書も中国人の先生に教えてもらったし。昨日、その教科書が来て家で読んでいた。今までにない、良質の教科書である。昨日の晩に、その先生からLINEで連絡があった。Amazonで購入する旨、お伝えしていたからである。それを報告していた。

そんなわけで年賀状というシステムに疑念を持っているのである。

印刷だったら必要ないではないかと思うからである。しかも決まり切ったワンパターンの例文集から集めてきたような文章である。

もしかしたら、郵便局にはめられているのではないかと思ってしまう。

ま、これもまた習慣だというのなら、ボキは個性を出そうとしているだけである。

ほら、ボキは個性がないから(^_^)。

謹厳実直を絵に描いたような、面白くもなんともないジジイだからである。無芸大食、無為徒食である。なんの意味も価値もないのじゃよん。

ああああああああああ、年賀状をやっているだけバカバカしいですな。

 

わははっははははははっはははっは。

 

トホホ。

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朝からよく晴れている。まぶしいくらいの青空である。朝から寒いと、九十九里浜は一日中天気がいいのだ<(_ _)>。

2017年12月18日 07時06分07秒 | とーま君の流儀2017

九十九里浜は今日も天気晴朗なり。雪国の方々には申し訳ないのだが。

 

 

孫のところにいた。昨日のことである。午後。歩いていった。家人はクルマ。孫に会いに行くのにウオーキングを兼ねているのは、これまた良いものである。健康にもなるから。

孫のところから帰るのに、また歩いた。今度は県立図書館に行った。予約していた本が来たからである。

伊集院静が激賞していた「プラド美術館の三時間」という本が来たからである。最近、伊集院静にはまっているからだ。年齢もそんなに変わらない。描き方が実にうまい。スペインに旅に行った時のことも書いてある本「旅だから出逢えた言葉」で、この本を激賞していたから借りた。

それを持ち帰って家で読んでみた。なかなか難しい。ちょっとこれはボキのようなものでは太刀打ちできない本じゃった(^_^)。

スペインに行ったら良い旅のガイドになるのだろう。いつか行ってみたい国であるけど。スペインは。

これまで海外旅行に行って、美術館に行くことが多かった。家人が好きだからである。ボキはそれほどでもない。絵画を見てもよくわからないからである。従って、上野にある美術館等の経巡りもあまり好きではなかった。

でも、旅の目的はシンプルでいいのであるそうな。伊集院静によると。

そりゃそうだ。旅であれもこれもと欲張って、具合が悪くなってしまったら話にならない。コースを盛りだくさんにして、大名旅行をやっていたらということである。

ボーッとしていても良いのである。

その点、九十九里浜はうってつけである。ボーッとしているのには最適である。昨日なんかも天気が良くて、高台から青空を見ていた。こっちはクルマで行った。快適である。富士が見えるかと思ったが、富士はいなかった。恥ずかしがって隠れていた。乙女のようである。二月になれば、見えるだろうけど。

九十九里浜の岬の旅館に泊まりたい。魚も美味しい。そこで、ボーッとしてみたい。カネもかからないし。そんなところに、一週間くらいいたい。小説でも持っていって。ただし、残念ながら温泉はない。沸かし湯ならあるけど。九十九里浜には。

温泉も海も料理も美味しいというところだと、それこそ海外旅行よりも高くなってしまう。それが日本である。

旅は、そういうカネの世界からは関係ないと言われてしまうかもしれないが。しかし、宿泊料はかかる。それくらいのカネは必要である。まさか、無銭飲食をやるわけにはイカンのだから。

と、ここまで書いてきてふと思った。あまり近すぎて誤解されてしまうなということである。家が近い。こりゃ家でなにかあったのか?と疑われてしまう。しかも経営者が知人であったら説教までくらってしまう。その可能性はおおいにあるからだ。

 

わははっははっははっははははっはははっは。

 

今日も天気晴朗なり。雪国の方々には申し訳ない。生まれ故郷の米沢は、今日も雪に埋もれているのだろうから。

 

<(_ _)>

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/