と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

古本チェーンで数学のチャート式を買った。さらに古文の単語集も。全部で1000円しなかった(^_^)。

2017年12月17日 08時40分46秒 | とーま君の流儀2017

今日からは数学にもチャレンジしていく。数学のノートは、5冊目になる(^_^)。ますます若返ってしまうなぁ。玉手箱はないのだけれども。

 

 

家人が千葉市に出かけて家にいなかったから、昨日は好きな牛丼を食べた。サラダ付き、味噌汁付き、ゆで卵付きであった。それで650円。安い。でもちょっと心配になった。完食したからである。むろん家人には、なにを喰ったかということについてはナイショである(^_^)。

もともと食い意地が張っている。そのまんま育ってしまった。

食べることがなによりもタノシミであった。柔道部時代はとりわけそうだった。なにしろ腹が減るのである。しかも、身長が173センチしかないのに、重量級に出されたからたまったもんではない。従って、太ることが至上命題になっていた。

パワーもあった。腕力がないといっぺんに投げられてしまったからだ。ベンチプレスは、140キロ。これは、55歳くらいまで続いた。

ホントウである。筋骨隆々であったのだ。それが、今ではすっかりイメージチェンジである。若々しいではないか。自分でそう思うのだから間違いない(^_^)。

ダメになったのが体力。そりゃそうだ。基準値が140キロである。140キロ上げていた時が基準値になっていたのでは、どんな体力自慢でも耐えられない。

もうひとつある。それは能力である。とりわけ数学がダメになっている。あ、元々そうなんだけど。

だから、昨日古本チェーンに行ってチャート式の数学参考書を3冊買ってきた。高校受験くらいなら、今でも指導できる。しかし、大学受験となるともういけない。

これも惚け防止のためである。問題をじっと見つめて、5分間で解法が思い浮かばなかったらノートにとることにした。

これは高校受験用の数学勉強法と一緒である。解くタノシミがある。

古文単語の参考書も買った。こっちは風呂で読む。昨日の風呂で読んでいたら、なるほど効果的である。風呂の中で読むからアタマに入る。もっとも、この単語集は居住地の隣にある某進学校でしか入手できない筈の単語集である。学校でしか売ってくれない本である。重々しく、某進学校の先生が生徒たちに売っているのじゃ。単語テストもここから出しているのだ。

それがこんな古本チェーンに売っているということは、高校生が古本チェーンに売ったのだ。不要になったからであろう。

笑ってしまった。

受験勉強なんて高校を出るまでが勝負で、大学に合格したり就職してしまったら不要なのである。だから笑ってしまったのである。

もっとも出版社だって、まさかジジイが喜んで再度勉強しているなんてぇことは想定外だろうけど。

新本を買っているのではないから、あまり大きな声では言えないのだが。

数学のノートは、4冊ある。全部高校受験程度の。さ、今日からは大学受験レベルの数学にチャレンジである。もう一冊ノートを作った。ルンルンである。

ますます若返ってしまうなぁ。

浦島太郎になっちまうよん。

 

わははっはははっはははっははははっははは。

 

玉手箱がないけどねぇ、ボキンチには。

 

ヾ(*´∀`*)ノ

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12月16日(土)のつぶやき

2017年12月17日 06時50分49秒 | とーま君の流儀2017
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チャート式完成ノートは時間短縮のマストアイテム

2017年12月16日 23時36分44秒 | とーま君の流儀2017

ええねぇ~~~~~~!

 

チャート式完成ノートは時間短縮のマストアイテム

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旅のお供はKindleで。

2017年12月16日 08時54分03秒 | とーま君の流儀2017

旅には一冊の本を持っていこうと思って実践している。特に海外旅行には。

 

 

旅をするのに良いお供は本である。とくに、Amazonから出ているKindleがいい。簡単だし、なによりWi-Fiがなくても本さえ読んでいるのならカネのことを心配しなくてもいいからだ。

つまり、Kindleの電子化された本のことである。だいいち軽い。しかも数え切れないほど入っている。全集本まで入っているのだ。先日入れたのが、岡本綺堂全集。立川談志が激賞していたから読んでみたくなった。それだけであるけど。漱石もあるし、太宰もある。鷗外もある。中島敦もある。奥の細道もある。

どうせ旅に出たらやることがない。そのために行っているようなものである。休むためである。だから、旅に出てまでメールをチェックするなんてぇことは絶体にやらない。すべてを忘れるために旅に出ているのである。それくらいいいではないか。さんざん、働いてきたのである。

日本を出たら、飛行機の中ではさらにやることがない。座席にある映像も飽きる。飽きるというより厭きるの字の方が正解。つまらない映画を見てもそれこそつまんねぇのだ。

ましてや、CAが持ってくるアルコールは、もっとアカン。美味いからついつい呑んじゃうのである。家人が怒る。もっと良く無い。しかも、ビジネスクラスで行った時には、出てくるアルコールの質が違うのじゃよ。非常に質の良い日本酒まである。JALなんか、よくまぁこれだけ揃えたもんだと感心してしまう。

どうせツアーで行くのだから、ナンの心配もない。たまに、空港で立ち往生をすることもあるが。

今年の6月にモスクワのホテルで、ワインを一本呑んだ。同じテーブルに座った元商社マンだったという御仁とその奥方と呑んだのである。前日、モスクワの家庭料理レストランでおごってもらった。だからそのお返しである。

代金を払うのにホテルのカウンターに行った。拙い英語でホテルウーマンと会話をしていた。そのホテル、モスクワではかなりの高級ホテルであった。つい最近までトップだったそうな。

ホテルウーマンも英語は拙い。拙い同士で支払い方法を話していた。

ふと気がついたら、脇に添乗員がいた。心配になったらしい。あのジジイ英語で困っているのではないか、と。ありがたかった。

ま、なんとか切り抜けた。トラベル英語と度胸さえあれば大丈夫である。

わはははっはははっはははっははは。

 

そんなわけである。

旅には本がいい。

さらに、ボキはワードで旅程の資料を作ってある。これもまた飛行機の中から読んでいる。写真もついている。それもKindleに入れてある。

楽しい余生でありまする。

 

ヾ(*´∀`*)ノ

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12月15日(金)のつぶやき

2017年12月16日 06時51分12秒 | とーま君の流儀2017
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YouTubeシアター(3)-黒いマリア像の伝説~モンセラット(スペイン) Montserrat in Spain

2017年12月15日 23時04分54秒 | とーま君の流儀2017

行ってみたいですねぇ。

奇跡が起こるというから。

 

YouTubeシアター(3)-黒いマリア像の伝説~モンセラット(スペイン) Montserrat in Spain

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た・す・け・て・く・だ・さ・い、と具合の悪そうなおばぁちゃんに言われて。今日は良いことをしちゃった

2017年12月15日 17時11分13秒 | とーま君の流儀2017

銀行に行くために歩いていた。いつものウオーキングの余興である。

で、裏道をせっせとかなりのスピードで歩いていた。

そしたら、なんとなく「た・す・け・て・く・だ・さ・い」と聞こえたような気がした。微かな声である。女性だった。

後戻りした。そして声のした方を見た。なんと、かなり高齢の女性が倒れていた。髪もバサバサであった。杖を二本持っていた。杖は二本とも倒れていた。体臭がかなりきつかった。

「どうしましたか?」と聞いてみた。

「連れてってください」と言われた。

驚いた。

「どちらへ?」と聞いた。もしかしたら事件性があるかもしれないと思った。銀行なんか後で行けばいいやと思った。

「救急車呼びましょうか?」とさらに聞いた。病気なのかもしれないから。手をさしのべて、「起きられますか?」と言いながら抱き上げようとした。

「Tに連れていってください」と言われて初めて気がついた。

道の反対に老人介護施設があったからである。

「ちょっと待っていてください」と申し上げて、T老人介護施設の玄関を入っていった。受付があった。女性職員が5人くらいいた。

手短かに事情を説明した。職員がすぐさま対応してくださった。3人くらい出てきた。

良かったと思った。さすがに迅速である。病院が経営しているから安心である。

そして、今日は良いことをしたとシミジミ感じた。

 

こんなこともあるんだなぁと思った。

 

それだけだが。

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家族のために生きている働いているという家長の言うことを尊重していかなくちゃねぇ。言い方が古いけど。

2017年12月15日 09時58分23秒 | とーま君の流儀2017

家族を守ることは大事なことである。だから家長の決めることは尊重しないとアカンですなぁ~~~。ボキは家長でもなんでもないけど(^_^)。

 

 

ボキは、タダのジジイである。だから世の中の難しいことはよくわからない。

特に、帝国主義だの共産主義だの民主主義だのということはよくわからない。さらに日本国内の政党の毀誉褒貶もわからない。消滅したり、新規に立ち上がったりという大政治家の動きなんかまるっきりわからない。

どうしても白黒はっきり決着をつけるということが、よくわからない。中間の灰色というのもあり得るのではないのかと思う時もある。

某国が水爆はもちろんのこと、ミサイルも発射準備しているという。あの某国のリーダーについてもよくわからない。あのリーダーにも家族がいるという。国民に犠牲を要求して、自分はぬくぬくと生活しているのかもしれない。否、タブン当たっているだろう。

中国に行ってもそう思った。家族がたくさんいて、みなそれぞれ生活を送っている。生きるために、おおいに働いている。

インドでもそう思った。凄い人口がいる。中国・インド双方の国である。特に、インドでは一般庶民の通う普通のスーパーマーケットにも行ったから、余計に家族の存在というものを意識した。こういうものを食べているんだ・・と感激していた。こういう旅行も良いものである。ビジネスクラス専用のツアーだとけっこうわがままがきくのである。しかも六名しかいなかったから、小回りがきいた。

家族の存在を意識するということは、平和を意識するということである。平和な国家で、争いのない社会でありたいものである。シアワセというのは、ささやかな生活から可能になるからである。

なにも大上段に、帝国主義がどうかとか、共産主義が、民主主義が・・・と争っても意味がないのでないか。その結果戦争になったら、まったく意味がない。戦争をして、争ってその結果なにになるのだろうか。守るべきはなにか。国境なのか。経済か。国家のシステムなのか。歴史か。伝統か。

これもまたよくわからないことである。

しかし、戦争に家族がとられるということは悲惨である。家族単位で生きているのに、戦争で父や兄や弟がとられたらどうするんだい?と思うからである。

ジジイとしては、家族が大事だと思う。そればかりである。最小単位であるが、家族を守るために死地に赴くことも可能になるのである。

特攻の戦士たちも、家族を守るために犠牲になってくださったのだ。

家族を守ることは、すなわち国家を守ることにつながる。

だから家長の決めることには従った方がいい。家長?今の日本にそんな男がいるのか?と聞かれるかもしれない。しかし、家の方針を決め、行動しているのはやはり家長である。家のために、家族のために生きているのである。大事にしてくだされ。ボキも自分の家族はともかく、他人の家でも家長と目される人物の決めたことは尊重している。血族・姻族は特にそうである。モノの言い方には特に気をつけたいものである。他人ではないと思うとわがままが出てくるからだ。でも姻族は所詮他人だけれどもねぇ。ボキには、血族は少ない。九十九里浜には二親等以外はいない。さみしいかぎりではあるけども。

 

ニュースを見ているとそんな気持ちになる。

 

今日も晴れている。朝からである。歩いてアチコチ出かけてくる。銀行に行ったり、スーパーに行ったりする。夜は、塾である。

家族のためである。

 

ホントか?

 

わははっははははっははっはははっははははっははは。

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12月14日(木)のつぶやき

2017年12月15日 06時45分53秒 | とーま君の流儀2017
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寒くなると思い出すのが故郷山形である。今さら帰ることもままならぬしねぇ。もしかしたら野垂れ死にするかもしれないし。

2017年12月14日 08時37分13秒 | とーま君の流儀2017

独居老人になっちまうか、野垂れ死にするかわかんねぇけど。

 

 

「たとえ一人になろうとも、野垂れ死にだけはしない」というのをモットーにしている。

一人になる可能性はある。家族がいなくなる可能性である。女房ドノが先に逝ってしまうという可能性である。あるいは、子供たちや孫に捨てられるかもしれない。

その時はその時である。独居老人になってしまったボキの境遇を受け入れるしかない。

でも安心している。タブン、ボキの方が先であろうから(^_^)。

問題は「野垂れ死に」の方である。こいつは大いに可能性がある。ちなみに、野垂れ死にとは「道ばたに倒れてそのまま死ぬこと。また,そのような情けない死に方。行き倒れ」と、大辞林には書かれていた。

でも、ふと思った。そういう死に方も良いのではないかと。道ばたの名も無い駅で死んでしまったのが、トルストイであった。葬儀には一万人も来たらしいが。もっともトルストイの場合は、奥様との不和があった。勝手なことばかりやっていたらしいから。

西行もそうだった。かの有名な「願わくば花の下にて・・・」の和歌も野垂れ死にへの憧憬があるのかもしれない。

もっとある。

それは奥州出羽の即身仏である。芥川賞作家の森敦によって紹介された。「月山」である。ボキの故郷の山である。しかし、ボキはまだ即身仏を見ていない。

即身仏のことを野垂れ死にとは言いたく無い。言いたく無いが、野垂れ死にをした旅人を仏にした可能性を森敦先生は書いておられた。驚愕した。

春になったら、月山に行ってみたい。そして実際この目で確かめてみたい。

 

冬になると故郷の雪山を思い出してしまう。九十九里浜は、まったく雪国とは違うからである。一年中気候温暖で生活するには、まったくなんの問題もない。なんにもなさ過ぎて、人間が惚けてしまう。あ、ボキは元々惚けているけどねぇ(^_^)。

今から故郷で雪国生活をしようと言っても、もう無理である。帰るつもりもない。帰ったって、今さらである。従兄弟や同級生はたくさんいるが。ここが九十九里とは違っているのだ。やはり故郷は故郷である。古い人間関係が残っている。

しかし、今さらである。高校卒業まで育った故郷であるけれども、仕事人現役時代はまったくいなかった。存在すらなかった。だからなにを今さらなのである。

これから、雪深い故郷山形に帰ってみても家もない。やることもない。毎晩、酒を呑んでいたらまた病気になっちまう。

それこそ野垂れ死にの可能性が大である。そして、そんなことをしたら一人ぼっちになってしまうだろう。

 

今朝、あまりにも寒いのにびっくりしたから、こんなことを書いてみたのだけれども。

 

ヾ(*´∀`*)ノ

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12月13日(水)のつぶやき

2017年12月14日 06時54分04秒 | とーま君の流儀2017
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少年時代の格言は(なお励め)今でもいきているなぁ。まさに大事な体験でしたよ。

2017年12月13日 08時13分12秒 | とーま君の流儀2017

「なお、励め」ということは、ある意味生涯学習にも通じる。ボキの場合は、生涯学習ごっこである。いつまで続くかわからないからである。死ぬまでやっているんだろうから。だから「なお、励め」なのである。

 

 

「なお、励め」ということを格言としている。十代の少年時代に思ったことである。それこそ論語を読んでいたから。小学校の高学年から読み始めたのであったが。むろん訓読付、訳がついた本である。中央公論の世界の名著であった。

楽しかった。なぜなら、周囲にそんな本を読んでいる悪ガキどもが一人もいなかったからだ。

もっともそんな本を読んでいるなんてぇことは、誰にも言わなかったけど。

相変わらず、放課後は小学校の広いグランドで草野球ばかりやっていた。なにしろ、ジャイアンツの王貞治選手が大好きで、マネをしていた。一本足打法をやっていたのである。

けっこう打てた。飛距離が出た。嬉しかった。素振りもした。自宅が小学校から近かったから、かなり努力した。

とうとう、我が小学校草野球チームで4番を任されるようになった。

ホームランを打つとチームのメンバーに激しく褒められた。先輩たちも喜んでくれた。

中学校に行ったら野球部に入れとも言われた。

入らなかったけど。

なぜか。

それは、仲が良かったA君、K君が一緒でなかったからである。二人とも学習塾に通っていた。この二人は、中学から国立山形大学附属中学進学を目指していたからである。彼らは、ボキのように放課後草野球にムチュウになってお勉強をしないというスタイルではなかった。さすがである。二人とも、中学は下宿して通った。そして、A君は慶應、K君は早稲田に進学して行った。言わばエリートである。今、なにをしているのかは知らないけど。

ボキは、中学校の野球部は諦めた。当然である。才能がないということはよく分かっていた。それよりも英語や数学の方が大事だった。ついて行けないかも知れないという恐怖が勝ったからである。

さらにある。勉強しないと喰っていけないのではないかと、ガキのくせして思っていたのである。

怠慢が怖かった。「励む」ことで人生が開けると思っていた。そうなのである。誰からもそう言われたのではない。自分でそう考えていたのである。そういう意味では変わったガキだったのかも知れない。

だから苦学ができたのである。励むことが趣味だったのだ。新聞配達してでも、大学というところに行ってみたかった。大学というところに夢があるような気がした。事実、夢はあった。あったが、実現しなかった。夢は夢のままであった。それならそれでいい。

今、ジジイになった。孫3人いるジジイである。夢は実現しなかったけど、「励む」ことだけはやっている。しかも、「なお、励め」である。

以来、ずっとその精神でやってきた。今もである。完成はないからである。

だから上から目線でモノを言うことがないのであろう。むしろ、完成がないという点では下から目線である。まだまだ未熟であるから。

「なお、励め」ということは、ある意味生涯学習にも通じる。ボキの場合は、生涯学習ごっこである。

いつまで続くかわからないからである。死ぬまでやっているんだろうから。だから「なお、励め」なのである。

 

昨日、隣の市にある古本店に行った。聖書の古本を500円で買ってきた。買いたかったからである。聖書は実は7回通読している。旧約新約含めてである。ボロボロになったので、捨ててしまった。それ以来読んでいなかった。

最近、LINEで中国語を指導してもらっている。居住地の中国語講座は隔週であるから、絶対量が足りない。中国人で無料指導してくださる方を捜していた。そしたらおられた。ただし、その先生クリスチャンであった。それで買ったのである。古本だけど。話題に困ると思ったからである。

もう一つある。箴言の音声をyoutubeで聞いていたからである。

それからGymに行ったのである。

 

「なお、励め」である。まさにまさに。

 

ヾ(*´∀`*)ノ

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12月12日(火)のつぶやき

2017年12月13日 06時56分13秒 | とーま君の流儀2017
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トイレのことが気になって、旅行先を決めかねているってぇのは、いかがなものかとは思うケド。

2017年12月12日 08時20分16秒 | とーま君の流儀2017

そりゃぁ邪道だとは思うケド、そこで日本が世界で一番トイレが快適だと知ったのも旅をしたからである。ヨーロッパですら、遅れている分野であるから。

 


図書館でいろいろな本を借りる。年金で暮らしているから当然である。

ボキは仕事人現役時代には、本を借りて読むということがあまりなかった。できることなら、自分の本にして書き込みたいからである。

ま、それはそれでいい。

最近、居住地の図書館でタイ語の本を借りた。知人の司書がいるのだが、カウンターに偶然座っていた。それで聞かれた。タイに行くのか?って。否、である。検討中なのは間違いないが。

中国語講座で一緒だった司書である。さらに、彼女は語学が堪能である。成田空港でトランジット・ボランティアをやっている。たいしたものである。日本に来た外国人を案内するわけである。来年度も募集中だけど。成田空港で。

それで、タイには3回も行っているという。いろいろと教えてくれた。

ボキが一番気になっているのが、トイレ事情。東南アジアの各国は、トイレ事情があまり良くない。

トイレに関しては、日本が世界一であるが。なにしろ、JALのビジネスクラスのトイレには、ウオッシュレットまでついているのだから。飛行機にすらである。こいつは感動ものである。

しかし、彼女曰わく、ホテルは良いとのことである。

微笑みの国だと言われているし。

なにしろ、最初の大学を卒業するときに旅行会社に決まりかけたボキである。面接まで行ってしまった。筆記試験は大丈夫だったけど。

驚いたのが、赴任地であった。面接で、「君にはチェンマイ支店に行ってもらうから」と言われたのである。

あ、これでボキは採用間違いないと瞬間に思った。いまなら分かる。ありがたいと思った。感謝である。

しかし、それからが惚けている。

「あの~~~、教育実習もやりたいのですけど」と言ってしまったのである。

5人くらいいた面接者が、顔を曇らせてしまった。

つまり、見事に落選である。

当たり前である。

ボキは、苦学していたから教育実習ができなかったのである。

だからせめて教員免許は欲しかった。

しかし、落選。不採用。せっかく二次試験までいったのにである。

当然であろう。やる気がないって評価されて、当然である。

 

それにしても、この時に、旅行会社に採用されていたら現在のボキはない。当然、九十九里浜に住んでいることもない。ずっと海外を転々としていただろう。もしかしたら、定年後はタイあたりで隠遁生活をしていたかもしれない。

人生なんて、選択・選択のオンパレードである。その時、その時の判断が決めてしまう。結果はわからない。どうなるのかということは。結果が分かっていて、人生を生きることはできないからである。

分からないからこそ面白いのであるが。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

 

 

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12月11日(月)のつぶやき

2017年12月12日 06時49分33秒 | とーま君の流儀2017
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/