「料理人ばっちゃん」
おはようございます。
うさぎや 店主の岩佐です。
しばらく初冬の肌寒さが続いたあとに、
この数日間は十月上旬なみという暖かさ
朝の起き立てにストーブを点けたものかどうか迷いながらのスタートです。
皆様体調をくずしたりしていらっしゃいませんか。
今日は徳島ならではの昔の「料理教室」をご紹介いたしましょう。
テレビの「きょうの料理」や「三分間クッキング」
といった料理番組や流行りのレシピ本なんてない時代です。
どのように徳島の「うまい!」は伝わり、広がっていったのでしょう。
徳島の漁村で、今で言うスーパーなどはありませんでした。
ましてや、そんなところに料理屋さん、仕出し屋さんもあるはずもないです。
しかし、ある程度の「お屋敷」では冠婚葬祭に料理人さんが必要だったんでしょう。
そこで呼ばれたのが、そのあたりでは一目置かれる
料理名人のおばさんこと「料理人ばっちゃん」でした。
「ばっちゃん」というのは、親しみと敬意の気持ちを込めた言葉で、
おかあちゃんと奥さんの中間ぐらいの意味合いです。
普段は浜辺で仕事をしている漁師のおばさんが
割烹着一つ風呂敷に入れて「お屋敷」に向かう必殺料理人です。
勝手口から入って、板の間で奥様に挨拶して料理に取り掛かる。
その頃のお膳は、今の宴会用のものからするとかなり小さいものでした。
けれど、小さいながらも刺身皿がある、
煮物や焼き魚の皿もある、
吸い物は一番と二番の二つを作ります。
そして、ういろ(ようかんのような蒸菓子)や
寒天を使った赤や緑の水ようかん風の甘いもの。
いわゆる、皿鉢料理を小さい器に取り分けたようなもの
例えば、ぼた餅やきなこ餅だったり、
餡こでさつまいものきんとんを巻いた出世芋を作ったりもします。
「盆と正月が一緒に来たような」ハレの日にふさわしい皿数を
整えなければならなかったのです。
さらに、食材はもとより、砂糖、醤油などの調味料が
自由に使えない時代でも、集まった客人を満足させるよう、
いかにまろやかなやさしい味わいにまとめるかが腕の見せ所でした。
「料理人ばっちゃん」は、
その人独自の味付けに秘伝を持っていたのです。
「お屋敷」の冠婚葬祭となると分家筋や
村界隈のおかあさんたちがお手伝いに召集されました。
そのお手伝いのおかあさんたちが「ばっちゃん」の包丁さばきを「見る」。
その所作をじっと「見る」。
『茶わん蒸しができました』
『煮付けができました』
『一番の吸い物ができました』
とばっちゃんがそのたびごとに
『あんばいどないや?(お味はいかがですか?)』
と言ってその家の奥様にお伺いを立てて味見をしてもらう。
実はその味見をした奥様が今度は分家筋、
そして近くの家の冠婚葬祭を仕切り
「料理人ばっちゃん」のように味付けをすることが多かったらしいです。
「あの時ばっちゃんは糀でつくった、甘酒入れた」
「さっとゆでてすぐ火からおろした」
「酒粕に漬けていた魚を焼いた」
という秘伝が見よう見まねで伝わっていったのです。
そして現代。
それは今、公民館の井戸端会議へ。
天気の話、孫の自慢話、姑や嫁の悪口まで、
実はこの公民館の井戸端会議は「プチ秘伝交換会」に変わるのです。
お茶うけに持ち寄った漬物や料理を前に「この茄子漬けおいしい!」
「これどないして(どうやって)漬けたん?」
「いたずり(虎杖)はどないしたら色よくとっておけんの?」といった具合ですね。
徳島の人は間違いなく食いしん坊だ。
「料理人ばっちゃん」の時代からそして今も、
徳島の「うまい!」は口伝えでそれぞれの食卓に広がって受け継がれていきます。
そんな伝承された料理はこんなところにも生かされています。
季節はちょうど桜のころ。
徳島のひな祭りの恒例行事「遊山遊び」。
ぽかぽかとあたたかい日差しを浴びながら、
磯の浜辺や山やれんげ畑や、
みんな思い思いの場所でお弁当をひろげます。
遊山箱につめた数々の料理を楽しみに子供たちは、
この箱を持って山や海に出かけるのです。
遊山の風習は消えつつありました。
でもね、
最近またこの「遊山箱」ブームが徳島で再熱しておりまして、
子供たちにこの楽しい行事を伝えていこうと各地で
「遊山の会」が催されるようになってきているのですよ。
さて、
この「遊山箱」のお話は次回をお楽しみにしてください♪
今日も、皆さんのhappyな一日を願っています(^-^)
ゆったり、ほっこり♪
巻寿司大使・昆布料理研究家・岩佐 優