1.塩
はるか昔、生命は海で誕生しました。
海水には塩としてナトリウムが豊富に含まれています。原始生命は、このふんだんなナトリウムを体に取り込み、生命維持に利用するようになりました。
やがて人類の祖先は海を出て陸地に進出しますが、海水と違って陸地ではナトリウムが貴重です。そのため、祖先たちは一度体内に取り込んだナトリウムを逃がさず再利用するシステムを獲得して生き延びてゆきます。その結果、陸上生物は少量のナトリウムで生存できる体になりました。
しかし、人類は塩味を求めてやみません。なぜなら、少量のナトリウムで生存できる体とは裏腹に、ナトリウムへの飽くなき欲求が、遺伝子に深く刻み込まれたままだからです。
単純に塩味を欲することも、塩味が味蕾のレセプターを敏感にし濃い味の食べ物を「旨い」と感じることも、そのためにときに塩中毒という症状にさえ至ることも、すべては遺伝子に刻み込まれた、遠い昔の海の記憶なのです。
人類が人類である限り、濃い塩味の誘惑には決して勝つことができません。
2.脂質
人類の歴史は、飢餓との戦いでもあります。
古くは食べ物が豊富な樹上生活を送っていた人類ですが、気候の変動による果実の枯渇から地上に降り立ちます。やがて二足歩行を獲得し草原に進出、肉食獣の脅威に怯えながらも、高度の知性と社会性を武器に狩猟と採集によって食糧を得て生き延びてゆきます。
しかし、狩猟も採集も食糧獲得手段としてはきわめて不安定です。そのため、原生人類たちは摂取した栄養素を可能な限り体に蓄える方向に体を変化させてゆきます。同時に、カロリー源として効率が高い食糧をより「旨い」と感じる味覚を得て、それらを特に好むようになりました。
狩猟採集生活において、最も効率の高いカロリー源。それはつまり脂質です。
脂質は生命維持に欠かせない栄養素ですから、これを人間が「旨い」と感じるのは当然であるといえます。まして長い歴史の中で何度も飢餓を乗り越えてきた上に、かつては滅多に手に入る栄養素ではありませんでした。現代にいたり、脂質が過剰になるほどの環境でも、我々は脂質を「旨い」と強く感じますし、いくらでも摂取してしまいます。すべては遺伝子に刻み込まれた、飢餓との戦いの記憶なのです。
人類が人類である限り、脂質の誘惑には決して勝つことができません。
3.糖質
脂質だけでは生命を維持できません。タンパク質がどうしても必要です。
タンパク質は筋肉や臓器など、人体の主要な構成成分です。しかしエネルギー源が不足すると、タンパク質を合成するはずのアミノ酸がエネルギーとして使われてしまいます。この「糖新生」というサイクルはエネルギーの産出方法としては非常に効率が悪いものですし、場合によっては筋肉そのものが分解されてしまいます。そのため、効率の良いエネルギーを摂取してそれを優先的に使うことで、できるだけタンパク質のロスを回避するようになります。
繰り返す飢餓の果てに人類がたどり着いた、効率の良いエネルギー。それはつまり糖質です。
米・小麦・トウモロコシという三大穀物は、糖質を主成分としています。タンパク質でなく、人類は糖質の栽培を選択したわけです。これには、単に栽培が容易で収量が多かったというだけではなく、栄養上の理由があると考えられます。糖質を十分に摂取していればそれが優先して使われますので、筋肉の分解などによるタンパク質喪失を抑制できます。その上糖新生よりはるかに効率が良い。
農耕を開始するに至り、人類はようやく安定的に糖質が摂取できるようになりました。糖質は脳の唯一のエネルギー源でもあり、脳が肥大し大量の糖を求める体となったのも関係しているでしょう。ならば糖質は、数多の飢餓を乗り越え、高度に知能を発達させてきた人類にとって最も重要な栄養素だとすらいうこともできるかもしれません。我々が糖質を求めてやまないのはその知性を維持するためでもあり、大切なタンパク質を守るためでもあります。すべては遺伝子に刻み込まれた、人類進化の歴史なのです。
人類が人類である限り、糖質の誘惑には決して勝つことができません。
4.結論
以上、人間が生命維持に不可欠なナトリウムを含む塩を「旨い」と感じ、飢餓の中ですぐれたカロリー源であった脂質を「旨い」と感じ、効率の良いエネルギー源であり脳に必須の栄養素たる糖質を「旨い」と感じるのはまさしく人類の歴史であり、遺伝子に刻み込まれた記憶だといえます。
つまり「しょっぱくて脂がたっぷりの糖質」こそ、人類がその誕生以来渇望してきた究極の食べ物だということになるでしょう。これらの過剰摂取は健康にきわめて悪影響ですが、そもそも人体は飽食時代の到来を予測して設計されてはおらず、我々は遺伝子に刻み込まれた人類の、生命の歴史に抗うことはできないのです。
今日もまた、太古の記憶に思いを馳せる人々がラーメン二郎に行列を作っています。人類が人類である限り、二郎の誘惑には決して勝つことができません。