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「新歌ニイウタとあるが正月の歌でなしどういう意味か読めばわかるか(十二年十一月シモツキ九日、太宰オホミコトモチの時の梅の花の歌を追ひて和ヨめる新歌ニイウタ六首)」
「御冬過ぎ春は来たれど梅の花君にしあらねば折る人もなし(新歌ニイウタ六首 1/6 #17.3901)」
「冬が過ぎ春は来たけど梅の花あなた居なけりゃ折る人もなし()」
「梅の花み山と繁シミにありともやかくのみ君は見れど飽かにせむ(新歌ニイウタ六首 2/6 #17.3902)」
「梅の花山繁るようにあったとてこんなに君を見れど飽きない()」
「春雨に萌えし柳か梅の花ともに後れぬ常の物かも(新歌ニイウタ六首 3/6 #17.3903)」
「春雨に芽生える柳か梅の花友に後れぬ柳だろうか()」
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「『チエホフ祭』は27首の歌でなる若き猛りや父を歌いき()」
「主格なる『は』を使えれば説明の歌になるかも注意してみよ()」
「向日葵の種子蒔いただけ荒野へと修司は見るか群生するを()」
「チエホフの日とはいかなる日であるかなんのシンボル知りてしやまん()」
「歌に出でし桃は修司が幼きに父につながる甘い想いが()」
「言い負けた時に思える人として風の又三郎はこれは使える()」
「突然に高き塀から飛翔する揚羽はすなわち道化者とは()」
「修司言う『黒人悲歌』はブルースかゴスペルなるかよくはわからず(多分ブルース)」