久しぶりに美容室に行ってきました。
矯正&10センチくらい髪を切ったけれど、
もともと長かったので全体的にはあまり代わり映えしないかな…
ワタシは切る時は思い切ってバッサリ切るんだけど、
今回は珍しく結べるくらいの長さはキープです。
う~ん、やっぱりもうちょっと切ればよかったかな…
(伸びるの超早い人)
で、美容室帰りにこれもまた久々にショッピングなどしてみました。
いつの間にやら、服屋さんには冬物がずらり。
…見てるだけで暑いんですけど…
(シャツやカットソーなどはともかく、コートやセーターは沖縄にはまだ早い…)
でも、秋物を一着、買ってしまいました
出番はもうちょっと涼しくなってからかな。
それから、新しい観葉植物を2つ、
部屋にお迎えしました
写真はそのうちの1つ。
苔玉
長生きしてね~
そのうち、ショクバ用のも買いにいかなきゃな。
やっぱ、植物がないと。
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古琉球の偉人をカラーで描いてみるシリーズ。
懐機(かいき)です!
華僑です!
国相です!
この人なくしては、尚巴志は王になれなかったかも!
ってくらい尚巴志(と第一尚氏王統)を影で支えた実は重要な人物。
尚巴志の死後も5代目尚金福王まで王府に仕えたのですが、
隠居後は王の眠る天山陵の墓前に家を建て、
第一王統の霊を見守るがごとく暮らしたとか。
一度モノクロ落書きで載せたことがあるので、
懐機についてはそちらも参照して下さい。
でもどうも描くたびに顔が違う…
まだワタシの中で定まりません。
(なのでちょっと苦労しました)
とりあえず、中国人らしく切れ長一重色白にしてみましたが…。
唇もっと薄くすれば良かったかな~。
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古琉球の偉人をカラーで描いてみるシリーズ、
次の人でとりあえず第一弾終わり!
さて誰でしょー。
(ちょっと時代はさかのぼる人です)
尚真王やオギヤカはやめときました。
そしたらオヤケアカハチとかもなんとかって増えていくので、
とりあえず第一尚氏王統でストップ…。
もし今後第2弾があれば…そのときに…。
(やっぱりワタシは第一尚氏王統までのドラマが好きだわ)
アクリルでガシガシと落書きした北山王・攀安知。
ちなみに、ベニヤ板です。
「北山の風~今帰仁城風雲録~」を見てから、
北山の歴史とか攀安知像についてちょっと興味湧いて、
いくつか調べてみますと、
攀安知って、
正史でも評価が分かれているんですね
琉球王府編纂の正史は主に3冊あります。
「中山世鑑」(1650年)
「中山世譜」(1701年)
「球陽」(1745年)
そのつど加筆・修正されたりして
編纂されてきたのですね。
現在の一般的な攀安知のイメージといえば、
粗野で乱暴者でめちゃくちゃ強くてワンマンで、
武力で北山地域を圧政していた、
というようなもの。
このようなイメージは「中山世譜」や「球陽」からのものと思われ、
この二史は攀安知について罵倒し、
その淫逆無道ぶりを書き綴っています。
しかし、最初に書かれた「中山世鑑」
これに描かれている攀安知像はちょっと違います。
武力の剛者としては同じものの、
攀安知に対する罵倒はなく、むしろ武将として敬意を払ったような文体。
中山軍(尚巴志軍)に攻め入られ、最後の抵抗をする際には
豪華な源平武者の装いをさせ、
北山の意地を見せた堂々たる王の姿が描かれています。
もちろん、正史は200年後、300年後に書かれたものなので
三史とも脚色や誇張などはあると思いますが、
このような攀安知像もある、というのは面白いですね。
ちなみに、中山世鑑には、
有名な本部平原の裏切りについてはないんですね~。
というわけで、単なる悪者ではなく、
荒々しくも北山武将と勇猛風…な攀安知を描いてみたのでゴザイマス。
(なぜか北山武将を描くときは上半身裸になっちゃうわ(笑))
*参考文献*
「新 琉球王統史2 察度王/南山と北山」(与並岳生著/新星出版)
「蔡鐸本 中山世譜」(原田禹雄訳注/榕樹書林)
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青空なのはいいですが……
暑いです。
絶対日焼けする日差しです。
なので、部屋を大掃除中。
たまった手ぬぐいも洗って、干して、たたんで。
そして山積みの書類とか冊子とか本とか本とか本とか…
を整理整頓!
ショクギョウ柄、紙類と本が多い!!!!
あきらかに容量オーバー…。
(処分する方ですが、捨てられない本が増えてきました…)
そして、部屋に置いてた観葉植物が全部ダメになってしまったので
(なぜかショクバのもダメになっちゃいました…気候のせい?結構長生きしてたのに…)
新しい観葉植物、買いに行こうかな~。
暑くて夏日和なので、お昼はカフェ…じゃなくて
家で冷やしそうめん。
カメラ女子風(笑)
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ここのところずっと雨模様で蒸し暑かった沖縄に、
久々に青空が戻ってきました
気持ちのいい青空です
今日・明日は久々に舞台やイベントの予定のない土日。
本当は、今日に「護佐丸・阿麻和利ツアー」参加予定してたんだけど、
10月の、あまりの平田舞台ラッシュに、9月に移動したのです。
護佐丸・阿麻和利ツアーも今日が最終日。
晴れてよかったですね~☆
さて、せっかくの青空。
どこか近場へカメラ散歩などしたいけれど…。
(史跡以外で(笑)。花とかカフェとかさ。カメラ女子らしいヤツもそろそろ撮りたいかもよ?)
でも溜まった掃除と課題などをせねばならぬかな…?
最近、尚巴志づいてたので
久々の阿麻和利君。
※最初左向きで描いていたのを完成してから画像反転させたので着物の袷が逆です…
前のがアンニュイだったので、
今回ははつらつバージョン
阿麻和利君は、はつらつなのがいい。
(最初に作った紅型もアンニュイなんだよなー。色はカラフルなんだけども)
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小説「百十踏揚」(与並岳生著/新星出版)
テンペストと同様にワタシが超☆オススメする琉球小説です。
テンペストはエンターテーメント小説で幕末の琉球。
百十踏揚は歴史小説で室町時代の琉球。
その「百十踏揚」に御茶当真五郎(うちゃたい まごろう)という人物が登場します。
探索方、影の忍として金丸につかえ、
金丸の手足となって暗躍します。
小説では、真五郎さえいなければ…!!
という場面がたくさんあります。
(護佐丸もきっと死ななかったし、百十踏揚と鬼大城の勝連脱出も失敗しただろうし、勝連も首里軍に負けなかったはず)
それくらい、重要な場面で影の働きをして話を展開していきます。
えー…、でもこの真五郎って……
フィクションでしょ?
…って思ってたら……!!!!
昨日も書いた、自治体や個人が自費出版で出している読谷村の民話集に
「御茶当真五郎」の名前が……!!!
なにーーーーーっっっ!!!!?
「読谷村民話資料集1 伊良皆の民話」
(読谷村教育委員会 歴史民族資料館編 1979年発行)
“御茶当真五良とアマンジャナー”
※アマンジャナー=阿麻和利のこと
前半部分を要約すると、
真五郎は百姓だが、容姿端麗で頭もよかった。
ある日、尚泰久が首里城でお茶沸かしの役を募集しており、
真五郎は志願して選ばれた。
真五郎は王の体調や様子を伺って
お茶の入れ方を変えるなどをしており、非常に王に気に入られた。
しかし、真五郎は遊郭に行っては遊びまくり、
自分は士族だなどと言って女をだまし
しまいには「だまし屋」と言われた。
その悪評を聞いた尚泰久王は、
「今日はためしに私をだましてみよ」
と真五郎に言った。
「しかし、人をだます棒がないとだませません」
「なら、その、人をだます棒をお前は持っているのか」
「持っていないので、王様の大刀を貸してください。
そうすれば、人をだます棒を切って来ます」
尚泰久は快諾し、
真五郎は王の大刀を持ってそのままとんずらした、という話(笑)
しかし、面白いのは次です。
真五郎はその後、勝連に向かい阿麻和利と会います。
(赤=真五郎、 青=阿麻和利)
「君は、百姓から按司になってよかったね、カナー」
(※カナー=阿麻和利の童名)
「どうして君は、外門も錠を入れてあるし、
内門にも錠を入れてあるのに、どこから入ってきたのか」
「君達が錠を入れてあったところで、
私はどんな錠でも外して入る知恵があるんだから」
「君はたいした奴だなあ」
……ゆるい!
なんだこのゆるすぎる会話は(笑)
読んでて爆笑してしまった(笑)
(古老の語り口をそのまま訳したものなので、こうなるんですね)
まあ、その後で会話が続いて
結論は、真五郎が護佐丸の脅威を説き、入れ知恵をし、
阿麻和利はその警告に従って護佐丸を討つ…
という、あとは正史にある、あの展開になっていきます。
この辺を読んでると、小説「百十踏揚」にあるような、
忍びのような人物、も感じられますね。
西原町内間の人物らしいので、
その地域の民話を調べるともっと色々な説があるんでしょうね。
(西原町内間といえば、金丸の地でもありますね)
ちなみに、「百十踏揚」では…
山々を獣のように駆け抜け、
闇を風のように走り、
鷹のような敏捷さと、
一里先の人を見極め、遠くの話し声も聞き分ける。
耳も鋭かったが、読唇術も心得ていたのだ。
弓・刀・槍・棒……と、武芸百般に通じていると噂されていた。
寡黙で、いつも風か影のように、音もなく動く。
「百十踏揚 121-」より (与並岳生著/新星出版)
と書かれています。
真五郎が小説のような影の働きをしたかどうかは
さすがにフィクションでしょうが、
でもちゃんと伝承のある人物だったんですね。
しかし、1番驚いたのは、
真五郎が「容姿端麗」って書いてあること!!!
絶対、
こんなだと思ってたのに!!!!!
(三白眼のガリ。)
↑これ、本当の落書き。朝薫の下書きの裏でした(笑)
くそう。
容姿端麗とか、なんか許せん。
写真は、勝連グスク。
小説「百十踏揚」では勝連グスクのこの場所と真五郎が、
勝連敗北へいざないます
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尚巴志のお墓については何度か記事にしていますが、
(写真など→ ☆ ☆ ☆ )
「隠れ墓の場所が、なぜ読谷なのか?」
他にも場所はたくさんあるだろうに、
なぜ平田之子と屋比久之子はこの読谷を選らんだのか、という素朴な疑問。
一般の書店では扱っていないような、
自治体(読谷村)や、地域の団体、個人が自費出版している
読谷村にまつわる冊子や本にその手がかりがありました!
たとえばこれ。
『読谷山風土記』
渡久山朝章著
やっぱり、ワタシが尚巴志のお墓を初めて記事にしたときに書いた、
あの記憶が有力説のようです
その説とは…
尚巴志が北山討伐に向かう際、
読谷の喜名村に宿泊。
その村で東松田という娘と懇ろな関係になり、
子供が生まれます。
その子孫が読谷地方に広がっていたため、
その子孫達を頼った。
…というもの。
ちなみに、その喜名村での娘は、妻ではなく「妾」ですね…。
まぁ、妾を持つのは当時の高い身分の男性には当然のことだったとはいいますからね…。
(護佐丸も大城賢勇も聞きますものね。特に護佐丸は多い…。
とすると、阿麻和利は全く聞かないのが不思議。
王女を妻にしてる分、例えいても書けないか?)
でも北山討伐前なのに…余裕だなぁ、なんて思ったりして…
さて、写真は佐敷森の前にある泉、「サシジャー」(別名イーヌカー)
このサシジャーも、この本の一節によると
「佐敷川(さしちじゃー)」の音韻変化では?
ということです。
(過去記事、こちらもどうぞ)
この写真は8月の真夏の時のですが、
すごーく水が冷たくて気持ちが良かったです。
この日は珍しく水汲みに来てる人がいなくて
ゆっくり写真が撮れました☆
ところで、その地方の歴史や史跡や謎を調べるには、
このような一般の書店では売られていない、
地方出版の本や冊子がとてもヒントになることが分かりました。
読谷は古老たちに聞いた伝承や民話を集めた本が多く、
しかも字別に、10数冊にまとめられたものもありました(!)スゴイ量
昨日・今日とそれらの本を色々とトピック読みして、
「なにぃー!?」とか「それはないっ!」とか
色々驚いたり納得したりツッコんだり…(笑)
読谷史跡七不思議、阿麻和利の墓にまつわる話もたくさんありましたよ。
(別記事で書けるかな?)
その地域の出している民話集、
これからマークしておこうと思いました。
ビバ、読谷
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琉球史跡関連記事は同ブログ、『テンペストを読ム』『百十踏揚を読ム』『薩摩侵攻史跡巡り』カテゴリにも多数ございます。
琉球・沖縄の時代と世代をつなぐワンテーマ・マガジン
「momoto」
その第4号が発売中です☆
今回のテーマは
「首里」!!!!
首里城をはじめとして、首里の様々な史跡や御嶽、
そして首里や王家にまつわる人々の大特集!
貴重な過去写真や資料も満載で、
これは琉球歴女、テンペストファン、必携の一冊です!!
(タマランデス!)
momotoの魅力の1つは、写真がとてもきれいなこと。
これって重要よね~
県内コンビにでも扱っているので、
一度手にとってぱらぱらとめくってみてください
クボウグランデさんの「首里城探検ツアー」のページもありましたよ~
県外の方、わしたショップや、amazonでも購入可能です♪
詳しくは、momoto公式HPまで!
このサイトに使われている、ある2人のシルエット写真、
尚巴志ときよらだー(百十踏揚じゃない…(^-^;))☆
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ちなみに、雑誌名のmomotoは百十踏揚からきています☆
でも、「ももと」っていう響きからはアレ以来「上里ももと」ちゃんが真っ先に浮かぶ…(笑)
家紋好きなワタシの、
三つ巴の話。
琉球国王、尚家の家紋はどちらでしょう?
答えは、
「左三つ巴」
でも、
これって右まわりじゃーん!!
って思う方も多いかと。
この巴紋の回転方向については諸説あるようですが、
「右」か「左」かの方向については、
「巴」を「おたまじゃくし」に例えると、しっぽの方向で決まります。
…って読んでても、
いまいちピンと来なかった三つ巴紋の回転方向。
(と、それに伴う名称)
でも、
「家紋を探る―遊び心と和のデザイン」
(森本景一著/平凡社新書)
に書かれているある説を読んでからは
すっきり!!迷うことはなくなりました
それは、なぜしっぽの向きで「右」「左」を決定したのか、
という一仮説にありました。
昔の人はもちろん筆が筆記用具ですね。
で、もちろん家紋を描く職人さんも
筆を利用したでしょう。
筆で巴を描くとすると、あなたはどこからどう描きますか?
頭の部分を丸く書いて塗りつぶし、
そこから筆をすっと走らせてしっぽを描くのでは。
こんな風に。
しっぽから描いて、頭をかく人は…あまりいないはず。
この筆運びこそが「右」「左」の方向定義になったのでは、
というもの。
↑の図の場合だと、
三つ並べるとしっぽが左回転(向き)になるので左三つ巴。
もちろん、他にも様々な説・論争があるようですが
この説が1番分かりやすくて腑に落ちましたよ。
このしっぽの回転方向だと右三つ巴ですね。
(三つ並べるとしっぽの回転方向が右)
琉球国王尚家は「左三つ巴」。
右じゃないよ。
しかし、謎多き尚家の家紋「左三つ巴」…。
まだまだ探求は続く。
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/e/168cfdb9992d2e8cacd187c9c000ee85
http://blog.goo.ne.jp/wa_gocoro/e/879a189e689e5e61f0a39ae8a8e9d1c6
(「尚家家紋 左三つ巴を考える」の記事)
そろそろ、自分を「家紋」モード(=シゴトモード)にシフトしないといけません
今日出勤中、前を走ってたタクシーの後ろのガラスに
尚巴志公演のPRがどーんと貼られててしかんだ(笑)
このタクシー会社、スポンサー?
それとも保護者?( ´艸`)
↑画像をクリックすると拡大します。
ここしばらくの平田舞台三昧で手に入れた
11月6日の「第4回 翔べ!尚巴志」の舞台のチラシ。
昼・夜公演を電話で両方申し込むと10%OFFだそうです。
……ワタシもう両方買っちゃってたんですけど(このチラシができる前に)…。
くそぅ。今からでも10%分払い戻しできないかな…。
今回の舞台は、昼と夜とキャストが全て変わります。
なので、両方を見る価値は十分にありますよ~☆
楽しみです
この間、このチラシを見つつ、同僚のA氏(幕末歴女仲間(笑))に解説。
「これが北山王、攀安知。悪役。」
「いいですね~」 ←悪役好き。
「で、隣が副将の本部平原。こいつも悪役で、攀安知を裏切るわけ。」
「ほほ~」
「で、怒った攀安知と一騎打ちになってから殺されて、攀安知は自害する。」
「尚巴志は?」
「…何もしない。」
…
…
…
…
「とんでもないヤツですね!!!」
「いやいやいやいや!!!!!(汗)」
説明はしょりすぎるとこうなりますわな(笑)
でも尚巴志像もいろんな文献読んでると
いろいろあって面白いよ
尚巴志、絶対A型だはず(笑)
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ところでこのチラシの写真は第2回公演のですよね。
もういないキャラや場面も写ってない?いいのかな?
※訂正※ コメント欄参照
昨日と今日の龍馬伝のコーナー(笑)
昨日の再放送見て、今日はリアルタイムで見て。
2日連続龍馬伝でした。
高杉さん…死にましたね…
サイコーのはまり役者さんだったと思います!
死に際、もっと痩せこけててほしかったけど…
絵的にやっぱり限界がありますか
でもやっぱり「うるっ」っときましたよ…
後藤象二郎のカステラの場面も獣的で印象的だった!
(実際、噛み付くし(笑))
後藤象二郎もやるなぁ~!
ほんでもって、今日のいろは丸事件。
色々な人を巻きこんでの、
ハラハラドキドキする頭脳戦でしたね。
ワタシは(もちろん)成り行きを知ってましたが、
知らない母は、海援隊が勝った場面で「おお~!」って言ってました(笑)
龍馬暗殺まで…あと6ヶ月の設定か。
で、命日の11月15日まであと約一ヶ月。
(今年は忘れないようにしないと!)
放送もあと約一ヶ月ですね。
写真は昨日撮った今帰仁城跡デス。
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…あっ、今日「沖縄そば」の日。
ブログネタにするの忘れた…。
全国エイサー大会2010
創作エイサーコンテスト。
このコンテストのエントリーに
平田大一さん率いる「南島詩人衆」が出ることを知ったのは
15日の新聞。
連日のグスク公演にも関わらず、
「平田さんタフ!!」
って思いました。
でも、会場が沖市営ということで
割と近場だったので行ってきました!
(そういうワタシもタフ?)
グスク公演にあわせて全国・全県各地から来ている平田ファンも、
さすがに今日のこの演舞までは見れない…
という方もいらっしゃるだろう、
ということで、そんな方々のためにちょこっと様子をお伝えします。
構成は平田さんと、6名の太鼓チーム。
音楽は平田さんの歌声と、銅鑼のみ。
(現代版組踊でおなじみの、アノ曲)
飛んだりはねたり笑顔で魅せるエンターテーメントな
ショー的なエイサーではなく(もちろんこんなエイサーも大好きです)、
とってもシンプルで、原始的な、演舞。
テーマは「祈りの舞」
5分程度の短い演舞。
演舞後、司会の方も言っていたけど、
一舞台を見ているような、
宗教的な儀式のような、
とても独特で、でも力強いエイサー演舞でした。
この創作エイサーコンテスト、
エントリーは21チーム。
子供から大人まで。
県外からも多く参戦。
どのチームも個性的でとても面白かったです。
(写真まとめたらまた記事にします)
ダイナミック琉球(いくまあきらさんバージョン)で
エイサーやってた団体もあったし、
国頭サバクイエイサーもあったし。
でも1番の楽曲人気はパーシャクラブでしたかね。
(好き好き)
ってな訳で、今日もたくさん楽しませてもらいました~。
あ~、芸術の秋。
忙し~~~
舞台じゃないけど…このカテゴリでいいかな…。
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10月16日(土)に今帰仁グスクで行われた
「現代版組踊絵巻 北山の風 今帰仁城風雲録」
を見に行ってきました☆
先週の、勝連城跡での「東儀秀樹×古澤巌」コンサートに始まり、
「肝高の阿麻和利」2デイズ、
座喜味城跡での「花織の宴」
そして今回の今帰仁グスクでの「北山の風」
世界遺産のグスクでの野外公演、
“世界の宝10周年記念大祝賀祭 城ロマン連続公演プロジェクト”も、
この今帰仁グスクでひとまず終了。
初日のコンサートこぞ小雨の降りしきる中…でしたが、
現代版組踊の公演4日間は全てお天気に守られ無事に公演終了。
その全ての公演を見ることができて、
平田舞台ファンとして、
そして琉球歴女として、
本当に幸せです
いまじん太鼓の演舞。
では、城ロマン連続講演プロジェクト、
最終公演「北山の風 今帰仁城風雲録」のレビューです
まず、簡単なストーリー紹介。
琉球戦国時代とも琉球三国志ともいえる「三山」の時代。
(14世紀~15世紀初頭)
北部一帯を治めていた北山王が拠点としていた今帰仁グスク。
その今帰仁グスクの最後の城主、「攀安知(はんあんち)」と、
側近「本部平原(もとぶていはら)」、
攀安知王の遺児「千代松」の話。
琉球統一の夢に向かい、北山を攻める尚巴志率いる「中山軍」、
その時、今帰仁グスクでは……。
昨日の記事でも書きましたが、
攀安知がメインと思いきや、本部平原がメインでした。
この話は、終戦直後の昭和21年、
当時今帰仁小学校の教頭先生だった新城紀秀先生が脚本を書き、
学芸会などで指導してきた史劇だそうです。
その再演を願い、教え子達(と言っても60代、70代の方々!)が
平田さんに依頼をし、そしてアレンジも加えながら今回の舞台となったそうです。
新城先生は今年で御年92歳!
会場にも来られ、最後には挨拶もしてくださっていました!
65年の時を経ての今回の舞台、だったのです。
そのような歴史と、たくさんの人たちの想いが引き継がれた
大事な大事な舞台。
やっぱり一味違いました。
攀安知。中山軍に攻められ本部の裏切りを知る。
*様々な客層*
入場無料ということもあってか(!?)
客席エリアは後ろも横もお客さんでびっしり!!!
しかも、沖縄人らしく、開演直前なってから急激に増えだしました(笑)
事前に並んだり早めに来たり…
という人たちは県外からの熱心なリピーターと、
ワタシみたいな人だけ…だったかも?
客層も、一家総出という感じで小さな子供からおじいさん、おばあさんまで、
ござを広げておにぎり片手に…。
他の舞台では見ないようなまさに地域のお祭りのような光景でした。
たぶん、平田舞台はこれが初めてっていう地域の人や、
地元の子供達で構成される今帰仁チーム(今帰仁中、北山高校)の家族・親戚、
友達や先生たちなどなど、大挙してやってきたんでしょうね
なんか…「村感」があって、いいなぁって思いました。
総踊り。左から、本部平原、攀安知、千代松。
*古典(?)や琉舞満載*
エイサーはもちろん、
「谷茶前」、「スーリ東節」「今帰仁天底節」など(※チラシ参考)、
平田舞台のおなじみの曲、演舞と同じくらい、
古典音楽や琉舞が見られました。
特に印象的だったのは、
攀安知が死に行く場面。
わが子に別れを告げ、後ろを振りむき去ってゆく。
そのときに流れた、ゆったりとした古典音楽!!
うっわ~~~~~~……。
トリハダトリハダ…。
そのまま、場面暗転となりましたが、
すごく印象的でした。
まさか、この緊迫した場面で古典で来るとは…。
沖縄の代表的な琉舞「谷茶前(たんちゃめー)」
*北山戦での空手演舞*
実は、今回の舞台で1番期待していたのがコレでした。
4月のシュガー尚巴志公演で、かなりツボった北山戦での空手演舞。
東京公演ではカットされていて涙をのみ、
是非、復活させてほしい!!また見たい!!!!
と思っていた演出の1つ。
キターーーーーーーーーーーーーーー!!!!!
※18:40修正&追記※
なんか、いろいろと謎が解けました…。
とにかく、音楽も空手もかっこいいです!!!
やっぱり、やっぱり、やっぱりかっこよかったです!!!!
今回は人数は少なめでしたが、
これを倍の人数でやられたら迫力倍増ですよ。
やっぱり、11月の尚巴志公演でも入れてほしい演舞です。
もう、コレを見れただけでも…満足…
蛇足
これって、(尚巴志の舞台では)中山軍が攻める戦いの場面の一演出なんだけど、
左三つ巴の旗(肝高の阿麻和利にあるヤツ)を持った人の棒術が空手の背景にあってもいいかも…。
(空手+棒術 …うるさいかな?)
そしたら、「攻めてる中山軍」ってより分かりやすくなるかなーって思った。
まぁ、シュガー尚巴志では先頭に尚巴志や護佐丸たちがいたから、
演者で「中山軍」って分かりはするんですけどね。
謝名大主。攀安知の遺児を託される。
*グスクのライトアップ効果*
毎年開催されている今帰仁グスク桜まつり。
そのときにはグスクのライトアップも行われています。
そのライトの色まんちゃーぶりに
ちょっと引いてたんですが
その設備が今公演ではよく生きていました!(笑)
背後のグスクを照らすライト。
青、赤、白…様々な色で表情を変えるグスクが
とても効果的でした
*あれ…っ?アカインコ&オモロコンビ?*
今帰仁グスクの怠け者の門番2人「うしー」と「うまー」(笑)
コミカルな演技が笑いを誘っていました。
…あれっ、
これって尚巴志東京公演でのアカインコ+オモロの子たちか?
(アカインコ君は確かですね。オモロは…違ってたらゴメン…)
※追記※↑オモロ君ではないようです。失礼しました…
どちらにせよ、
2人の掛け合いが、アカインコ&オモロを髣髴とさせました(笑)
それにしてもアカインコ君(…役のT君)、コミカルだな~(笑)
国頭サバクイ踊ってるときもコミカルだったよ~。
(そのまま、「うしー」と「うまー」のキャラで演じてたからかな?)
彼が今度、尚巴志役ですから、
どんな尚巴志になるのか楽しみです。
まさか、コミカルな尚巴志ってことは…(笑)…あるのか!?(笑)( ´艸`)ぷぷっ
良心の呵責に悩み続ける本部平原。
*人間味のある攀安知・本部平原*
「花織の宴」では肝高の阿麻和利のスピンオフ的な話が堪能できましたが、
今回は、「翔べ!尚巴志(鬼鷲)」のスピンオフ的な感じで
劇中台詞や演舞(三つ巴の舞とか)もちょこっとあったりしました。
で、尚巴志の舞台ではひたすらの悪役・攀安知そして本部。
鋭い目つきとダークな笑い声が魅力的
だったんですが、今回は一転。
“攀安知父ちゃん”が見れました。
よって衣装は全く同じだけれど、
まなざしや立ち振る舞いもやわらかく、
攀安知の違った面を見れました。
お・も・し・ろ・い。
役者さんも違ったしね。
っていうか、つい5日前まで
護佐丸だったでしょ!
大城賢勇だったでしょ!
尚巴志だったでしょ!
アカインコだったでしょ!
すごいな!!!(驚)
その間、学校とかも普通にあったでしょうに……。
ストーリーテーラーの“劇作家・平田大一”(笑)
*これってフィクション?*
公演紹介文に、
「王の遺児・千代松による敵討ち」とあったので、
敵討ち…?
誰を?
尚巴志?護佐丸?
と思ってましたが、なんと本部でした。
攀安知王の側近でありながら中山軍(尚巴志)に寝返り、
攀安知を裏切った本部。
激怒した攀安知と斬りあいになり、
両者果てる…
というのが尚巴志の舞台での流れであり、
「史実」(とされていること)であり、
ワタシもそのように受け取っていました、が。
今公演では、本部は生き残り、攀安知に変わって次の今帰仁城主に就任。
しかし、裏切ったという良心の呵責にさいなまれ続け…。
時は流れ、成長した攀安知の遺児「千代松」と運命的な出会い、
そして攀安知王墓前での再会。
尚巴志の舞台とはまったく違ったストーリー展開。
ほほうっ!?
これはどっから来た展開だ!?
ってことで、
調べました。
どうやら、攀安知王よりかなり前の時代にあった
一伝説(「北山騒動」)のようですね。
重臣・本部大主(本部平原とは別か)が謀反を起こし、
王は殺され、側室の乙樽は幼い松千代と共に逃亡。
成長した松千代(丘春)は兵を集め、本部大主を打ち今帰仁グスクを取り戻す。
いつの時代の話なのかははっきりとしていないそうですが、
14世紀前半ごろとか。
まぁ…尚巴志による北山討伐の頃とは時代が違いますね。
攀安知が死んで後の今帰仁城主は、
敢えて言うなら護佐丸だしな…(※今帰仁看守)
乙樽(うとぅだる)も、
「あれっ?確か北山王の妻か、神女じゃなかったっけ?」
って思ってたんだよねー。
(舞台では本部の妻でした)
でもこうやって、舞台をきっかけにその歴史を知りたくなる、調べてみたくなる、
そして舞台(フィクション)と史実と見比べてみる。
そしてまた興味や意識が広がっていく。
これってとっても面白い。
北山について、まだ全部は読んでないので
またしっかり読んでいきたいと思います。
成長した千代松。素性を隠した本部と出会うが…。
*霊石、千代金丸*
北山といえば…ワタシ的にコレ。
今帰仁グスクの御嶽にあったという霊石。
尚巴志に攻められ敗北を悟った攀安知が
この霊石を斬り叩き、自刃した。
そしてその時の刀、「千代金丸」。
中山軍に戦利品として持ち帰えられ、
尚家宝刀として今尚残る…。
この2つのエピソード…
あるかな?っておもったけど、
なかったです
そのうち、ちょこっとでも組み込んでくれると…
琉球歴女としてはツボですわ~
攀安知の墓前で再び出会う本部と千代松。仇を打つため刀を抜く。
この舞台は1月末の今帰仁グスク桜まつりのときにも
再演を予定している(5デイズ!?)のだそうです!!
それはまた楽しみですね!!
これからもどんどん進化していく舞台の予感です。
真冬…寒いだろうケド…頑張って行こうっと!!
ところで…
今公演、写真(一応)OKだった~!
そうと知ってればこの席取らなかったのに!
ちゃんとレンズ持ってきたのに!!(涙)
手持ちのカメラ(とレンズ)ではこの記事で載せた写真が精一杯
(舞台全体の引きの写真もあるけど…お客さんの頭がいっぱい写ってるので没)
くそ~
(All photo by RICOH CX1 …あっ、トップのグスクの写真だけデジイチ。)
*教訓*
地べたへのござ敷き席の時は、1番前か、後ろから立ってみるべし。
(前のお客さんたちの頭が……)
肝高の阿麻和利を除いた平田舞台は12回目。
観劇合計37回になりましたー。
(忘れないようにカウントしておこう…)
公演のたびごとに描いてる舞台レビュー。
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「北山の風 今帰仁城風雲録」in今帰仁城跡
見てきました!
攀安知が主人公と思いきや、
意外と本部平原がメインでした(!)
本部平原、今日の舞台を見ると
↑こ~んな悪人面なんてとんでもないです(笑)
…でも、この落書き、
もともと悪人面すぎたし、着流し姿もないだろう、
ということで没になったんですが(笑)
(カラーにしたのはこっち。全然違います)
詳しいレビューはまた明日書きますねー。
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