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映画「この世界の片隅に」:「暮らしの手帖」と「火垂るの墓」の幸せな融合

ジブリが活動を停止した後も「アニメ大国」と言われ,コアなファンが興行的にも映画の内容面でも邦画を牽引する存在だという言説を聞いても,門外漢の私にはピンとこなかった。
その受け止めは2016年最大のヒットなった「君の名は。」を,若い人の熱気が充満する劇場で観ても,夏から始まって正月まで続く200億円を越える興行の状況を聞いても,やはり大きく変わることはなかった。
しかし本作「この世界の片隅に」を観て,初めて今の日本のアニメーション業界の裾野の広さと深さを思い知らされた思いだ。これは凄い。

本作も事務所からの独立問題に端を発する引退騒動で騒がれた「のん」の声優挑戦が話題となったため,その存在を知ったくらいで,監督の片淵素直という名はまったく知らなかった。辛うじて原作のこうの史代という名を「夕凪の街 桜の国」を読んでいたために憶えていた程度で,予備知識は「拡大ロードショーではないのに中高年が劇場に詰めかけている」らしい,という断片情報のみ。
そんな浅はかな映画ファンの低めの予想は,映画が始まって間もなく木っ端微塵に打ち砕かれた。それはそれは気持ち良いくらいに。

太平洋戦争参戦前の不穏な時代の空気を伝えるところから物語は始まるのだが,とにかく特徴的なのは物語を語る声が「小さい」のだ。
勿論作品が内包する戦争への怒りは凄まじいし,時代に踏みつぶされる庶民に注がれる視線は観ているこちらの涙が止まらないくらいに熱い。だが,作品を通じて貫かれているのは,全ての物語がつましい日常というステージから飛翔せず,どこまでも「薪で焚いたご飯」の湯気の感触にこだわり続けるということだ。

語られる数多くのエピソードは,そのどれもが「もう少し語っても良いのに」というところで切り上げられ,最後まで語り尽くされることはない。だがその潔さがかえって余韻を醸しだし,観客は囲炉裏の中で生まれたであろう笑いや沈黙の中に佇むことが可能になる。決して悪くはないのに,これでもかというような描写や展開が情緒の押しつけになっていた「湯を沸かすほどの熱い愛」の過剰さとは好対照だ。

のんの声優としての資質の確かさを見抜いた監督の眼力,コトリンゴの背景の画面と同質の控えめな音楽も含めて,作品に関わった全てのスタッフに感謝したい。クラウドファンディングの存在を知っていれば,お小遣いを供出したのに,と悔やみながらエンドロールまで楽しませて頂いた。
★★★★☆
(★★★★★が最高)
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