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映画「神々のたそがれ」:最上級のイマジネーションと最悪の異臭を併せ持った前代未聞のアトラクション

2015年05月09日 21時31分16秒 | 映画(新作レヴュー)
上映は連休の夕方で,客席は当初約8割くらい埋まっていたのだが,1時間を過ぎた辺りで私の隣に座っていた女性客がひとり,更に2時間くらい経ったところでもうひとり席を立ったのが確認できたが,後ろの方で帰ってしまったお客さんがどのくらいいたのかは分からない。アンドレイ・タルコフスキーによって映画化された「ストーカー」を書いたストルガツキー兄弟による原作は一応,SFらしい。「らしい」というのは,地球とは別の星が舞台になっているのだが,宇宙服も酸素マスクも登場せず,重力も地球と同様らしく,異星で繰り広げられるSFに必須の小道具や描写が全くないのだ。その代わりに3時間近い上映時間の殆ど,スクリーンを占めるのは泥と糞尿にまみれた人物や死体のアップのみ。本当のところ,映画が始まってしばらくは,何が悲しくて貴重な連休の楽しい時間を,醜悪なものに対する耐性比べに費やさなくてはならないのか,という気持ちが支配的だったのだ。

ナレーションで語られるところに拠ると,舞台はどうやら地球よりも遅れた文明が支配する異星。そこで知識人狩りが行われている最中,地球からの使節団が到着するが,神様と崇められる主人公らしき人物は,そんな蛮行をただただ傍観するだけ。もっと物語らしきものがあったのかもしれないが,途中からトリップ状態に陥った私の脳が認識したものは,泥と汚物にまみれた人物がうろうろする様子と,神様らしき主人公がぼそぼそ呟く「神様だって疲れるし,つらいんだよな」という台詞のみ。果たしてこれが「巨匠アレクセイ・ゲルマンによる不朽不滅の遺作(チラシの表記)」なのかは,まったくもって判断が難しいところだ。

ただ「不朽不滅」かどうかはさておき,これが「空前絶後」の想像力とエネルギーが注ぎ込まれて丁寧に作り込まれた作品であることは間違いない。おそらくは実際に腐臭漂う現場だったであろう撮影所の混沌や,1回観ただけでは会話の意味を理解し,前後の脈絡を追いかけることも難しい脚本の構成力は,軽々に「理解不能」というレッテルを貼って素知らぬ素振りを決め込むには,あまりにも底が深すぎる代物だ。
高度に知的で芸術作品としての評価が相応しい作品でありながら,映画というメディアが持つ機能の一つである「見世物」としての側面だけを見ても,異空間の居心地の悪さを体験できる全く新しいアトラクションとして評判を呼ぶ可能性は充分にある。鬼籍に入った監督も,案外そんな見方を喜ぶかもしれない,と勝手に想像して,星は少し甘め。
★★★★
(★★★★★が最高)


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