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映画「セッション」:「GOOD JOB」を忌み嫌う教師VS.今時の若者

一度見たら忘れられない顔,聞いたら耳について離れない声,というものがあるとしたら,この映画の実質的な主役であるJ.K.シモンズこそ,まさにそんな個性を持つ役者の代表格だろう。
「ジュノ/JUNO」におけるお父さん役は,出番こそ少ないものの,あの迫力のある顔と深みを湛えた声によって,映画のベースを支える柱の一つになっていた。その「ジュノ/JUNO」を監督したジェイソン・ライトマンが制作に廻った本作「セッション」での抜擢に,ライトマンがどの程度関わったのかは分からないが,シモンズの怪演がこの映画の成功の一番の要因だったことに異議を唱える観客はいないはずだ。

だが,シモンズ演ずる音楽教師フレッチャーが,主役のニーマン(マイルズ・テラー,若い頃のジョン・キューザックにちょっと似ている)をしごく場面に対する巷の高い評価には,若干の違和感を覚える。
次から次へと演奏者を試しては駄目出しをしていくシークエンスにおいて,各々に演奏させる時間があまりにも短く,その違いを把握出来なかった私は完全に置いてけぼりを食わされた。天才を見抜く眼力を持つ指導者であるフレッチャーの耳の確かさを強調し,理不尽な人間改造を目的とする軍事教練を扱った「フル・メタル・ジャケット」におけるR.リー・アーメイをも超える存在を生み出そうと意図した演出だったのだろうが,あまりにもあざとく映った。

28歳という年齢で,メジャー且つ実力派の俳優を使って長編を撮ることが許されたデイミアン・チャゼルの肩に入ったそんな力みを,見事にカヴァーして見せたのは「チョコレート・ドーナツ」を担当した編集のトム・クロスを始めとする,アメリカ映画界を支える裏方たちの技術の高さだ。
特に演奏シーンでのカットのつなぎに如実に現れた編集の見事さは,もうひとりの「演奏者」とも言うべき冴えを見せ,録音と共にオスカー戴冠という栄誉に輝いたのも肯ける出来映えだ。

とは言え,先に挙げた先達の偉業ともまたひと味違う作品となった終盤の展開をクリエイトしたチャゼルの力量も讃えたい。
フレッチャーの怨念の結晶とも言える復讐譚から,最後に「共感」と「尊敬」という高みに到る怒濤の転回には血が滾った。
敢えて言えば,ジャズの世界では「一度きりの共演」というニュアンスを色濃くたたえる「セッション」という単語を,わざわざ邦題に持ってきたセンスは残念。「フル・メタル・ジャケット」の日本語訳に注文を付けて,全面的に書き直させたという大先輩キューブリックに倣って細部まで拘らないと,フレッチャー先生がシンバルを投げてくるかもよ。
★★★☆
(★★★★★が最高)
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