子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。
子供はかまってくれない
映画「アーティスト」:丁寧に紡いだモノクロの糸の艶っぽいひだを味わう
モノクロ,トーキーで,主演の男女は世界的にはほぼ無名。おまけに監督はミシェル・アザナヴィシウスという,記憶力の衰え著しい私でなくとも一度聞いたくらいでは覚えられないであろう名前。そんな作品が,今年のアカデミー賞で主要部門を総なめにしてしまった。本命とされていた「ソーシャル・ネットワーク」をダークホースの「英国王のスピーチ」が土壇場でうっちゃった昨年の反省に立った結果,という訳ではないのだろうが,論評的にはおおむね予想通りの結果と受け止められているようだ。
あえて採用したアナクロな手法を,あざとさに陥る寸前に留めて,あくまでシンプルなラブ・ストーリーを描くための武器として巧みに活用したアザナヴィシウスは,粘りとスマートさが同居した新しい才能と言えるだろう。
どう見てもクラーク・ゲイブルのパロディにしか見えない主役のジョージを演じるジャン・デュジャルダンのなり切り振り,カラーフィルムで撮影してからモノクロームにコンバートしたという画面の黒が持つ独特の艶,そしてジョージに描いてもらったペピー(ベレニス・ベジョ)のビューティー・スポット(付けぼくろ)と,観客を惹き付けるフックは多いが,やはり一番はサイレントという制約を逆手に取ったアイデアの数々だろう。
ジョージに対する想いを,忍び込んだ楽屋のジャケットを使った一人芝居で表現したペピーのキスシーンがその最たるものだが,クライマックスで「BANG!」という台詞だけを見せて,果たしてジョージが拳銃で自殺したのか,ペピーが運転する車がクラッシュしたのかを観客に想像させるという業は,余裕綽々のヴェテラン監督のものだ。
またサイレントながらも,劇中2つのシークエンスで音(声)が聞こえるのだが,コップを置いた時に生じる「コツン」という音が,世界の成り立ちを一瞬にして変えてしまう瞬間には,デヴィッド・マッケンジーの「パーフェクト・センス」を想起させる,感覚に対する鋭敏な「感受性」が宿っている。
その一方で,首を捻ってしまう点もない訳ではなかった。
トーキーの波を見誤って厭世的になり,自らの作品までをも焼き払おうとしたジョージが,ペピーが自分の持ち物をオークションで競り落としていた事を知ったことで,更に絶望的になって自殺しようとするという後半の展開は,どう好意的に見ても不自然だった。ジョージのペピーに対するプライドは,焼死寸前の所を救ってもらった段階で振り捨てたと見るのが一般的な解釈だろうし,自殺劇を挿まずに素直にラストへとなだれ込んだ方が,作劇のリズムとしても良かったのではないだろうか。
また作品自体の評価ではないのだが,上述したペピーの一人芝居だけでなく,クライマックスとなるカムバック劇の重要なシークエンスまでもが,予告編とTVスポットで繰り返し流されていたのは,実に残念だった。最近の予告編には,制作者サイド自身が宣伝のために使うべきものと隠すものとの区別がついていないのではないかと疑いたくなるようなものが多いが,せっかく劇場に足を運んだ観客に「お金を払ってくれたあなたにだけ見せます」という姿勢を欠くような宣伝方法は,自分たちの首を絞めるだけだ。
目を凝らしていないと分からないかもしれないマルコム・マクダウェルの特別出演に,☆をひとつ追加。
★★★☆
(★★★★★が最高)
あえて採用したアナクロな手法を,あざとさに陥る寸前に留めて,あくまでシンプルなラブ・ストーリーを描くための武器として巧みに活用したアザナヴィシウスは,粘りとスマートさが同居した新しい才能と言えるだろう。
どう見てもクラーク・ゲイブルのパロディにしか見えない主役のジョージを演じるジャン・デュジャルダンのなり切り振り,カラーフィルムで撮影してからモノクロームにコンバートしたという画面の黒が持つ独特の艶,そしてジョージに描いてもらったペピー(ベレニス・ベジョ)のビューティー・スポット(付けぼくろ)と,観客を惹き付けるフックは多いが,やはり一番はサイレントという制約を逆手に取ったアイデアの数々だろう。
ジョージに対する想いを,忍び込んだ楽屋のジャケットを使った一人芝居で表現したペピーのキスシーンがその最たるものだが,クライマックスで「BANG!」という台詞だけを見せて,果たしてジョージが拳銃で自殺したのか,ペピーが運転する車がクラッシュしたのかを観客に想像させるという業は,余裕綽々のヴェテラン監督のものだ。
またサイレントながらも,劇中2つのシークエンスで音(声)が聞こえるのだが,コップを置いた時に生じる「コツン」という音が,世界の成り立ちを一瞬にして変えてしまう瞬間には,デヴィッド・マッケンジーの「パーフェクト・センス」を想起させる,感覚に対する鋭敏な「感受性」が宿っている。
その一方で,首を捻ってしまう点もない訳ではなかった。
トーキーの波を見誤って厭世的になり,自らの作品までをも焼き払おうとしたジョージが,ペピーが自分の持ち物をオークションで競り落としていた事を知ったことで,更に絶望的になって自殺しようとするという後半の展開は,どう好意的に見ても不自然だった。ジョージのペピーに対するプライドは,焼死寸前の所を救ってもらった段階で振り捨てたと見るのが一般的な解釈だろうし,自殺劇を挿まずに素直にラストへとなだれ込んだ方が,作劇のリズムとしても良かったのではないだろうか。
また作品自体の評価ではないのだが,上述したペピーの一人芝居だけでなく,クライマックスとなるカムバック劇の重要なシークエンスまでもが,予告編とTVスポットで繰り返し流されていたのは,実に残念だった。最近の予告編には,制作者サイド自身が宣伝のために使うべきものと隠すものとの区別がついていないのではないかと疑いたくなるようなものが多いが,せっかく劇場に足を運んだ観客に「お金を払ってくれたあなたにだけ見せます」という姿勢を欠くような宣伝方法は,自分たちの首を絞めるだけだ。
目を凝らしていないと分からないかもしれないマルコム・マクダウェルの特別出演に,☆をひとつ追加。
★★★☆
(★★★★★が最高)
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