ウェブのHPを見て有料の乱交パーティーに集まってきた8人の男女(プラス・カップルひと組)が,深夜の12時から早朝5時までの5時間の間に,セックスと会話によって次第に心理的に丸裸になっていく。
作品のフレームはまさに「真夜中のパーティー」なのだが,登場人物の一部はまるで立花隆のノンフィクション「宇宙からの帰還」に出てくる,宇宙空間に出ていったことで人生観が変わってしまった宇宙飛行士たちのように見える。重力を脱するために用いた噴射力は,ロケット燃料ならぬ「あえぎ声とコンドーム」という違いはあれど。
岸田國士戯曲賞を受賞した自作の演劇を,三浦大輔が自ら映画化した+R18指定作品だが,セックス描写が作品自体のど真ん中に置かれている訳ではない。
保母さん役の中村映里子が劇中で発する「私スケベなんです」という台詞が,社会的な規範の束縛を振り切って,ベッドが4つ置かれた部屋へと登場人物を誘う鍵にはなっている。しかし主役カップルの一人,おとなしい女子大生役の門脇麦のあえぎ声を除いては,扇情的な描写は脇役に留まる。代わって前面に出てくるのが,自らの欲望と向き合うことによって,心身に巻き付けたバスタオルを脱ぎ捨てる,池松壮亮演じるフリーターの変身だ。親からの仕送りを乱交パーティーの参加費に使ってしまったことの重みを引き受けて,「あれが自分」と言い切る強さを勝ち得た姿には,一種の清々しささえ漂う。
だが「愛の渦」が観客を異空間に巻き込む「渦」の力の根源は,集団劇としての会話のダイナミズムにこそ宿っているように見える。
強すぎる自尊心を振り払って性欲が支配する異空間へと踏み出すエントランスで交わされる会話は,まるで地域の問題を考える場として設定される「ワークショップ」の,ぎこちないオープニングのようだ。
脇を固めて輝く大勢の役者の中では,最後に全員から拍手を持って讃えられる童貞の工員(駒木根隆介)の照れた笑顔が心に残る。
ある意味,平田オリザのコミュニケーション論「わかりあえないことから」をも連想させる,力を持った作品だ。
★★★★
(★★★★★が最高)
作品のフレームはまさに「真夜中のパーティー」なのだが,登場人物の一部はまるで立花隆のノンフィクション「宇宙からの帰還」に出てくる,宇宙空間に出ていったことで人生観が変わってしまった宇宙飛行士たちのように見える。重力を脱するために用いた噴射力は,ロケット燃料ならぬ「あえぎ声とコンドーム」という違いはあれど。
岸田國士戯曲賞を受賞した自作の演劇を,三浦大輔が自ら映画化した+R18指定作品だが,セックス描写が作品自体のど真ん中に置かれている訳ではない。
保母さん役の中村映里子が劇中で発する「私スケベなんです」という台詞が,社会的な規範の束縛を振り切って,ベッドが4つ置かれた部屋へと登場人物を誘う鍵にはなっている。しかし主役カップルの一人,おとなしい女子大生役の門脇麦のあえぎ声を除いては,扇情的な描写は脇役に留まる。代わって前面に出てくるのが,自らの欲望と向き合うことによって,心身に巻き付けたバスタオルを脱ぎ捨てる,池松壮亮演じるフリーターの変身だ。親からの仕送りを乱交パーティーの参加費に使ってしまったことの重みを引き受けて,「あれが自分」と言い切る強さを勝ち得た姿には,一種の清々しささえ漂う。
だが「愛の渦」が観客を異空間に巻き込む「渦」の力の根源は,集団劇としての会話のダイナミズムにこそ宿っているように見える。
強すぎる自尊心を振り払って性欲が支配する異空間へと踏み出すエントランスで交わされる会話は,まるで地域の問題を考える場として設定される「ワークショップ」の,ぎこちないオープニングのようだ。
脇を固めて輝く大勢の役者の中では,最後に全員から拍手を持って讃えられる童貞の工員(駒木根隆介)の照れた笑顔が心に残る。
ある意味,平田オリザのコミュニケーション論「わかりあえないことから」をも連想させる,力を持った作品だ。
★★★★
(★★★★★が最高)