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映画「容疑者Xの献身」:湯川先生も「実に面白い」と唸らされたか?

2008年11月23日 22時37分44秒 | 映画(新作レヴュー)
メディアミックスによる一大販促キャンペーンの最終章となった映画版「容疑者Xの献身」は,騒々しい宣伝仕立てとそれに見合った興行収入という現象をもって,名実ともに今年のミステリー界の話題と稼ぎをさらってしまった感がある。しかしその内容はと言えば,話題に反比例するような小さな世界に留まる,という決断が功を奏したのか,私の予想を覆すような佳品となった。
少なくとも,さしたる必然性もないままに韓国へと足を伸ばした挙げ句に,政界までをも巻き込んでとりとめなく発散してしまった「HERO」に比べると,遙かに好ましい出来だ。

物語を突き詰めていけば,自分の魅力を過小評価した挙げ句に,好意を寄せてくれた男の気持ちに鈍感な薄幸の美女が自ら招いた悲劇,という暗い話だ。そのまま映画化すれば,TVシリーズの最大の魅力となっていた福山雅治と柴崎コウが演じる美男美女コンビの珍道中的掛け合いが,どうしても映画の中心から遠ざかってしまうことは明らかだったはずだ。
そこに敢えて枝葉のプロットを付け加えずに,堤真一と松雪泰子という,主人公コンビとは対極に位置するような陰のあるコンビを,ストレートに描いたことが成功の一番の原因だろう。

その代わり,湯川先生の推理は,科学的な推論の積み重ねによって鮮やかなどんでん返しを引き出すようなものにはなり得ないし,犯罪の証拠となる伏線の描写も決して巧みとは言えないのだが,最後に真相を知った松雪の叫びと,それに呼応する堤の慟哭は,通俗的な描写ながらも二人の迫真の演技によって,TVシリーズの拡大再生産を期待して詰めかけた観客を満足させる力を持ち得ている。
TVドラマ「CHANGE」と「上海タイフーン」に続いての登板となった福田靖の脚本だけに,両作品と同様に最後に延々と続く大演説が待ち構えているのでは,と身構えたのだが,演技者のパフォーマンスに結果を委ねたクライマックスは,松雪の「どうして?」という言葉のニュアンス一発で成功に結びついた。

ひたすら真っ白な上に,映画的な編集のセンスにも欠ける登山のシークエンスや,工夫のない捜査会議など,やや冗長な場面を刈り込んでいけば,10分は短く出来そうな気がする。真矢みきや渡辺いっけい,品川祐など,TVシリーズにおける傍役が,殆ど顔見せだけに留まることも物足りない。
それでも「映画版」というフォーマットに対して,必要以上に力が入りすぎることもなく,自然体でTVシリーズとは味わいの異なるスピンオフを作ってみた,というスタンスが上手くいったということは,続々と作られるTVと映画のタイアップ企画に,一石を投じる結果になるかもしれない。
ただ,このレヴェルで実写映画の興収NO.1を勝ち取ってしまうことが出来る,という現実を見れば,大河ドラマの主役に据えたNHKを筆頭に,「俳優:福山雅治」に対するオファーが引きも切らない状況になっていることもまた容易に想像できる。作品に対する評価はともかく,自分が置かれた状況に対して湯川先生が「実に面白い」と思っていることは,間違いないだろう。


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