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映画「トウキョウソナタ」:「叫」を超える小泉今日子の眼力

父はリストラ,長男は米軍に入隊,二男は小学校の担任と断絶状態に陥り,給食費を無断で流用して雰囲気が母によく似た先生にピアノを習う。一人で家庭を守る母は,泥棒に拉致され連れて行かれた海岸で,対岸に目には見えない光を見る。
山田太一が1970年代における家庭の崩壊を,連続TVドラマというフォーマットでじっくりと描いた「岸辺のアルバム」を,米国では「Jホラーのゴッドファーザー」と呼ばれる黒沢清が,格差が広がる21世紀の日本を舞台に,超常現象はしまい込みながらも,怨念は盛り込んで描いた,という趣のハードなホームドラマだ。

圧倒されるのは,主人公(香川照之)の家における数多くのショットが持つ量感だ。物語の舞台となるのは,ほとんどが1階の居間だが,どこにでもある日常空間を様々なポジションからシャープに捉えた撮影監督芦澤明子の力量は驚くべきものだ。4人家族のうち,母の相手が順番に入れ替わりながら繰り広げられる会話において,語数の少ない台詞のやり取りが生み出す空気を捉えたショットには,初期の「CURE」のようなホラー作品が持っていた緊張感に通じる力がある。
主人公が配給を受けるために毎日立ち寄る公園の引いたショットや,ラストの演奏会場のシークエンスも含めて,特殊効果を使わないホームドラマでありながらも,一種のスペクタクルとして成立しているのは,そんな空間把握力が大きく寄与している。

シンプルな家族の離散と再生の話を,物語的に膨らませるにあたっては,主人公の高校時代の同級生で,同じくリストラされたことを家族に言えないでいる津田寛治に関するプロットが大きく寄与している。
特に津田が主人公を家に呼び,会社からかかってきたように偽装した電話を終えた後で,部下を演じている主人公を罵倒する場面には,生々しい痛みが宿っている。

問題はその後だ。そのシーンのすぐ後で,父親の事情に感づいているのかどうか定かでない津田の娘が,「大変ですね」と主人公に声をかける場面が挟まれた上で,心中した津田の家を訪れた主人公が彼女と再会する,という重要なシーンが用意される。
父親の死に荷担したかもしれない主人公の嘘に対する,娘の疑念と怒りが表出するだろうという観客の思い込みはかわされ,二人は無言ですれ違うだけで,場面はあっさりと転換してしまう。結果的に死に結びついてしまった父親のプライドと,その片棒を担いだことになった主人公に対する娘の思いは,主人公の家族を考える上でも重要な要素となったはずだが,残念ながらうまく消化されないまま物語の中から消えてしまうのだ。

同様のことは,主人公の妻=母親(小泉今日子)が闖入者(役所広司)に脅されて,遠く離れた海岸まで拉致されるプロットにも言える。
無理矢理車を運転させられる妻が,途中で寄ったショッピングセンターで,清掃員として働いている主人公と鉢合わせをしてしまうエピソードと,海岸で一夜を過ごした後で,闖入者が車で海に入水したことを示唆するエピソードが,どうにも物語の中に収まっていないような印象を受ける。

登場人物やプロットを拡げることが,映画の奥行きを深めることに必ずしも繋がらないという事態は,黒沢監督のフィルモグラフィーのうち中期以降の非ホラー作品で何度か見られたが,それが波及したテンポの乱れ,という点では,本作の失速が最も顕著かもしれない。主人公宅の居間における緊迫感,とりわけ夫の秘密を知ってしまった妻(小泉)が,素知らぬ顔で演技を続ける夫を睨みつけるシーンの迫力が凄まじかっただけに,そこにフォーカスを絞った方が,物語の訴求力を高めることになったような気がしてならない。

並のホラーでは太刀打ちできない怖さを持ったロベール・ブレッソン監督作「ラルジャン」のラストシーンにそっくりなエンディングにはちょっと苦笑してしまったが,かの作品にはなかった明るい希望をきちんと提示したことは良かったと思う。
二男のピアノに関する才能が,父のカラオケの能力を超えて花開くことを望むばかりだ。
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